♯198 お酒はほどほどに

 こうして時間は過ぎていき、街外れで夕陽を眺めた後は夜の街へ。クレスたちも馴染みの人気酒場バルで食事をすることになり、その際にはリズリットも再合流。また彼女が連れてきたレナも一緒になって、大所帯での楽しい時間が流れた。


「おうおう、シノさんマジでイイ飲みっぷりじゃねぇか! つーか女はやっぱ服と化粧でかわんなぁ! オレはそっちの方が好みだぜ。ほらよ、もう一杯驕りだ!」

「……どうも」


 ヴァーンから麦酒エールのおかわりを注がれ、姿勢良く酒を煽るシノ。酒に強いヴァーンですら顔が赤らんできているというのに、同程度の量を飲んでいるシノは未だに素面のような白い肌をしている。彼女は他にも葡萄酒などの果実酒、蒸留酒、この大陸では珍しいマノ産の清酒さえ嗜んでいたが、酔っている様子はない。好みなのか、塩ゆでした豆を時折口に運んでいる。


「ふわぁ……シノさん、お酒にお強いんですね……」

「家系ですよ。酒の耐性は体質遺伝ですから。そういうフィオナさんは……あまり、強い方ではないようですね。無理に付き合う必要はありませんよ」

「はい~」


 両手でミルクティーカクテルのカップを持ったまま、へにゃ~っと蕩けた顔で返事をするフィオナ。いまだに一杯目のそれはアルコール度数が最も低く、甘くて飲みやすい女性向けの酒ではあるが、頬が火照ったように赤くなっている。そんなフィオナをクレスやレナ、リズリットが時折心配そうに見つめていた。もちろん、レナとリズリットはジュースのみである。

 フィオナはアルコールに弱く、そもそも特例の成人資格を得ていなければ年齢的にはまだ子どもであるため、決して飲み過ぎることのないよう、付き合い程度に留めていた。何よりも以前、クレスとフィオナがデート中にたまたまヴァーンとエステルと再会したときに初めてここで“酒”というものを経験したフィオナは、思い出すのも恥ずかしい酔い方をしてしまったので、我を忘れないよう努めているのだ。そもそも飲まなければ良い話ではあるが、家でクレスの晩酌に付き合うためにも酒に慣れておきたいという妻の想いゆえである。


 エステルが流し目を向けながら、グラスの氷をカランと鳴らして言う。


「フィオナちゃんも、少しずつお酒の味を覚えているようね。これもオトナの第一歩、といったところかしら。クーちゃん、ちゃんと見守っていてあげなさいね」

「ああ。既にだいぶ心配なのだが……しかしエステルも相変わらず酒には強いな。強めのロックばかりだろう」

「氷の魔力でアルコールの分解を早める術を覚えてからは、めったに酔うこともなくなってしまったわ。フィオナちゃんのように、可愛らしく酔いたいものね」


 そんな二人の視線の先で、フィオナがカップをテーブルに置いてシノの腕を掴んだ。


「シノさん~」

「はい? ……フィオナ、さん?」

「シノさんは~、すごいですね~。がんばっていて、エライですね~」


 とろーんした目のフィオナは、年上のお姉さんであるシノの頭をよしよしと撫で始める。突然のことに、シノはしばらく停止してしまった。


「わたしは、ちゃ~んとわかってますからねぇ。シノさんは、クレスさんのためにがんばったんです~。立派なお師匠さまなんです~。だから、がんばったシノさんは、たくさん褒められてもいいんですよぉ~」

「……あ、あの…………フィオナ……さん……」

「よしよし……よしよぉ~し♪」


 腕を掴まれたままのなでなでに為す術を失うシノ。いつの間にかすぐそばにきていたリズリットとレナがそんな光景をどこか羨ましげに見つめており、鉄壁の仮面で取り繕われていたシノの眉がわずかに下がって困り顔へと変わる。するとフィオナが二人に気付いてリズリットとレナの頭を撫でると、二人もまたへにゃっとした顔になった。夫の師匠と義娘と後輩、三人を分け隔てなく甘やかすフィオナの酔い方に、他の客たちもなんだか微笑ましい顔をして酒を楽しんでいた。


 そして、そんなフィオナをクレスだけが真剣に見つめている。


「あ、あれほどまでに師匠が誰かに心を許す顔を見たことがない……フィオナ、君はやはりすごい……! 俺がいないわずかな間に、師匠と一体何が……!?」

「フフッ。どうやら勇者のお師匠さまも、勇者の嫁には敵わないようね。ほらクーちゃん、お嫁さんが呼んでいるみたいよ」


 こちらを手招きするフィオナ。どうやらクレスのこともなでなでしたいらしく、店内にもかかわらず夫婦の日課となっている抱擁なでなでが始まってしまう。それを羨ましがった他の客らもフィオナのなでなでを求めて押しかけてくるものだから、その場でちょっとしたなでなで行列が形成されることになってしまうのであった。



 食事を済ませて店を出ると、風はだいぶ涼しくなり、すっかり夜の匂いへと変わっていた。リズリットとレナは外出許可を得ていたものの、あまり遅くなっては怒られてしまうため、慌ててアカデミーの寮へと戻る。また、ちゃんとセリーヌへのお土産を持ち帰ったリズリットの気遣いにクレスは感心したものだった。


「美味い酒! イイ女! はぁーなかなかの夜だったぜッ。オイお師匠さんよ、明日旅立つ前にオレともう一戦やろうや! 今度は当然こっちでな! クレスの師匠がどんだけ強ぇか確かめてぇ!」

「……軽い稽古であればお受けしましょう。今夜の酒のお礼です」

「うっしゃあ! んじゃさっさと帰って寝るか! 後は乳のでけぇ美女がベッドで待ってりゃなおサイコーなんだがな! じゃーなお前ら! ワッハッハッハ――!」

「……相変わらず欲望に忠実な男ね。それでは私も行くわ。今日はなんだかんだで良い休日になったみたい、ありがとう。また明日ね」


 気分良さそうに去って行くヴァーンと、しっかりした足取りで歩き出すエステル。

 これで残ったのはクレス、フィオナ、そしてシノのみである。


 そこで、結局酔うことのなかったシノもまた足を踏み出す。


「それでは、私もこれで失礼します」

「え? シノさんっ、あの、うちに泊まっていかれないんですか? クレスさんとも、久しぶりに話すことがあるのでは……」


 まだ火照ったままのフィオナがそう尋ねる。

 昼間の街ブラ中も、先ほどのレストランでも、クレスとシノはほとんど会話をしていなかった。積もる話もあるのでは……と考えていたフィオナは、当然シノが自分たちの家に泊まるものと思っていた。しかしシノは「いえ」と首を振ってから答える。


「お気持ちだけ受け取ります。あらかじめ宿をとっていましたから。あとは、夫婦水入らずでお過ごしください」

「そ、そうなんですね……残念です。あっ、それでは、また明日ですね。せめて、旅のお見送りだけでもさせてくださいね!」

「ありがとうございます。それでは」

「――師匠っ!」


 シノが歩き始めようとしたところで、クレスの声が彼女の足を止める。


「どうしました、クレス」

「あ、そのっ――」


 振り返ったシノに、なんだか歯切れの悪そうなクレス。このようなクレスを見るのは珍しかったため、フィオナはちょっぴり心配そうな表情で彼を見上げていた。


 何拍かを置いて、シノが涼やかな口を開く。


「……何もないのであれば戻りますよ。それでは」

「――あっ、は、はい。すみません!」


 再び歩き出し、シノは夜の街に消えていく。

 そんなシノを静かに見送っていたクレスに、隣のフィオナが声を掛けた。


「クレスさん、よかったのですか? 何か、お話したいことがあったのでは……」

「……いや、いいんだ。俺たちも帰ろう、フィオナ。今日は疲れただろう」

「は、はいっ」


 こうして二人も、森の家へと歩を進めていく。


 クレスの隣を歩くフィオナは、シノと別れるその時までに、なんとかクレスとシノにもう少し話をしてほしいと、そんなことを考えていた。

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