♯192 女です


 ルードは己の慢心を嘆いた。


 シノの“刃”は速すぎる。


 そもそもシノはカタナ武器を握っていなかった。にも関わらず、彼女の居合いは時を超越したかのような神速の斬撃ですべてを裂いた。重ねた土壁など紙切れ一枚ほどの意味もなかった。まるで、透明なカタナを持っているかのようだった。


「やっぱり、その『目』が核だったようじゃね」


 シノが言った。

 全身を粉々にされたルードは、当然ながら返事をすることも出来ない。必死に再生を試みているようだが、体はなかなかくっつかない。力が出せない。シノの刃に『核』を斬られたからだ。

 本体だけならいくら斬られようが問題はなかった。だからルードはあえて挑発した。しかしシノは『核』の存在に勘づいた。

 やがてルードは、かろうじて口周りの部分だけを繋ぐことに成功したが、他の部分はどろどろに溶け、熱を発しながら煙のように消えていく。


「…………な……ぜ……」

「確信がないけ、しばらく様子を見ていたんじゃけど……。さっき、うちが目を狙おうとしたら嫌がったじゃろ。それに、うちの初撃から『目』だけを守ったのがマズかったね。ありゃあわかりやすい。最後の最後まで、油断禁物じゃ」

「……ば…………か、な…………」

「目に見えるものだけじゃないんよ。“敵”はそのすべてが武器と思わんとね。慎重なのは良いことじゃから……もっと慎重になって、クレスを狙うのは止めてくれたらよかったんじゃ。欲を掻いたら、いけんね」


 まるで自分に言い聞かせるようにつぶやいたシノは、そっとルードのそばにかがみ込む。

 既に目を閉じていた彼女の表情に、敵意などなかった。そもそもシノが敵意を見せたのは先ほどのあの一瞬――藤紫色の瞳を見せたときだけだと、ルードは理解していた。だからこそ、敵意のない敵に無意識の油断をしていた。そんな人間を見たことがなかった。進化してしまったがゆえに得た心を乱されていた。


 細切れになったルードの体が次々に消滅していく中、わずかにだけ動いた口が震えた声を発する。



「…………すま……な…………けい、かく……われら……の…………」



 シノはそのつぶやきを聞き届けるようにうなずき、今にも消えていくルードを優しく手で撫でた。


 そして、ささやくように話しかける。



「安心し。あんたでもう終いじゃ・・・・・・・・・・。向こうで、今度こそ仲間と慎重にやりんさい」



 シノの笑みに、わずかな反応を見せたルード。


 彼は小さく口を開き、ぼそぼそとつぶやく。


「…………そう、か。われは、すでに……さい…………の…………ゆえに……なん、じ、は…………ふ、ふっ」


 しゅうしゅうと音を立てて煙になっていくルード。痛みは感じていないようだった。


 そして、



「…………ゆだん……した、な………………」



 最期の言葉を残して、消えていった。

 シノはすべてを見届けた後、カタナを傍らに置いて両手を合わせる。ダンジョンはさらに大きな音を立てて天井から激しく崩れていく。シノの近くにも土の塊や地中の岩が次々に落下してきた。


 シノは落ち着いた様子で『紗々雨』を手に取ると、立ち上がって自分の身体を見下ろす。


「……はぁ。これで戻るのは、気が重いんよ……」



◇◆◇◆◇◆◇



 ダンジョンの外は大騒ぎになっていた。


「みんな無事か!?」


 全員の安否を確認していたのはクレス。

 ダンジョンが崩壊を始めた途端、クレスとフィオナはすぐに出口へと引き返した。すると、あれだけ長く迷路のようだったはずの道中はまるでワープしたかのように短くなっており、あっという間に外へと出られてしまったのだ。騎士たちも同じ体験をしたようで、それぞれが不思議に思いながらも、怪我のないことを確認して回っていた。


「うぉーい! なんだこりゃあ! いきなり目玉のバケモンが大量発生したと思ったら消えてやがってよ! 爆発音に釣られてくりゃこれだ!」

「ヴァーン! そっちも無事だったか!」


 そこへやってきたのはヴァーン。服があちこち焼け焦げており、彼の背後にいる騎士たちも鎧が煤けている者が多かった。しかし死者等は出ていないようである。


「クレスさーん! 軽い火傷の方はいますが、皆さん大丈夫そうです! 後は……!」

「そうか、よかった! では、後は師匠のみか――!」


 クレスとフィオナがダンジョンの方を振り返る。

 既に入り口の方まで崩壊が始まっていて、とうとう激しく崩れた土砂が入り口を塞いでしまう。その光景にフィオナが「シノさん!」と大きな声を上げた。


 その直後――。


 ダンジョンの入り口に積もった土砂が内部から激しく吹き飛び、その破片がクレスたちの元へ勢いよく飛んでくる。騎士たちが「うわー!?」とちょっとした悲鳴を上げた。


 そして、ダンジョンの入り口からボロボロの和装を纏ったシノが姿を見せる。フィオナがホッと胸をなで下ろしてからそちらへと駆け寄る。クレスとヴァーンもそれに続いた。


「シノさんっ! 大丈夫ですかっ!?」

「ご心配をお掛けしてしまいましたね。問題ありません。すべて片付きました」

「よ、よかったです……ご無事でっ……! あの、中で一体何が……って!? わわわわぁっ! そ、そんな場合じゃないですよね!? あ、あああのっ! わたしのでよろしければ!」


 フィオナは自分が着ていた外套を脱ぐと、慌ててシノへと被せる。腕で胸元を隠していたシノが礼を言って、フィオナはポッと赤くなる。ヴァーンが「ほほうこいつはなかなか」と目を細めてニヤニヤしていた。



 そしてクレスは――愕然としていた。



「し、師匠……!?」

「何です」


 クレスは鬼気迫るほどの表情でシノの前に立つと、こう言った。


「師匠ともあろう方が……それほどの怪我を負うほどの強敵だったのですか! まさかそんな相手が!? 信じられない! 師匠が胸部にそこまでひどい腫れを起こすほどの敵がいたのですか!!」

「えっ?」「ハァ?」


 フィオナとヴァーンが同じような反応を見せる。


「くっ、なんてことだ。まだそれほど強力な魔族が生きていたとは……! やはり、魔王がいなくなった世界でもまだ脅威は残っているのか。ローザやコロネットのような魔族ばかりではないんだ。油断してはいけない。俺ももっと気を引き締め、修行を続けていかなければ! フィオナや大切な者たちを守っていくために……!」


 なんとも悔しげにぐぐっと拳を握りしめるクレス。


 終始落ち着いていたシノは、そんな弟子へ向かって淡々と返した。


「クレス」

「はい!」

「これは腫れではありません、脂肪です」

「え?」

「怪我ではありません。胸です」

「え?」

「私は女です」

「え!?」

「帰りますよ」


 スタスタとクレスを横切っていくシノ。


 呆然としたまま動けないクレスに、隣でフィオナが苦笑いしながら言った。


「クレスさん……え、ええっと、やっぱり、誤解されていたんですね……」

「……フィオナは、知って、いたのかい……?」

「え? し、知っていたと言いますか、その」

「――プッ、ブワッハッハッハ! んだよクレス! お前自分の師匠が女だってのも知らなかったのかよ!? んなことも知らずに修行つけてもらってたんかい! あの美女オーラに気付かなかったのか? 昔っからホントにニブチンだなてめぇは! ブワハハハハハハハハ!」


 大声で笑いながらクレスの背中をバンバン叩くヴァーン。フィオナがあわあわとしながらクレスを心配し、クレスはショックに顔が固まったままであった。そんな三人を囲む騎士たちは、何が何やらといった様子で首をかしげている。


 一人その場から離れていくシノは、フィオナの外套を両手でギュッと羽織ったままつぶやく。



「ううぅぅぅ…………恥ずかしすぎて、もう泣きそうよ…………」



 うつむく彼女の耳が、これ以上ないほど真っ赤になっていた。

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