♯187 ダンジョンマスター
◇◆◇◆◇◆◇
「――不可解なり」
光のない暗闇の中で、何者かがつぶやいた。
「我は慎重を期す。我は用意周到。ゆえに失敗はない。我が望むのは勇者。しかし……
無機質で冷徹な話し方だった。少し濁ったような発音は、年老いた男性のものに近い。その声は、誰かに語りかけているようだった。
すると、突然暗闇の中に火の球がいくつも出現した。ボ、ボ、ボ、ボと松明のように点灯された宙に浮く火球によって、ようやく部屋の詳細がわかる。
洞窟の内部としては非常に広く、天井も高い。開かれた場所であった。その部屋には入り口や出口が存在せず、巨大な『目』の模様が二つ、壁面に向かい合うように描かれている。それ以外には何もない。
その部屋の中にいる人間は、一人だけだった。
腰の辺りで髪を結った、和装姿の人物。腰には長物を下げている。
シノだった。
「…………」
無言のシノは、乱れた髪や和服を丁寧に直す。
そんなシノの先に、先ほどの声の主がいた。
ぷるぷると揺れる体は、スライム族特有のゼリー質のようである。
だが、その体は通常のスライムの比ではなく、人と同じほどに巨躯。そして奇怪だった。
緑色のスライム体の中に、一つだけ目玉のようなものが埋め込まれている。目玉は体の中を自在に動き回り、ギョロギョロと動いてからピタリと止まり、じっとシノを見つめる。さらに歯の揃った口までもが存在し、そこから声が発せられているようだった。
緑のスライムは再び告げる。
「我は汝を知っている。勇者の師。カタナを武器に戦う剣士なり。その能力も把握している。我の『目』に映らぬものなし。……理解した。その能力で勇者と
自身の疑問に自身で答えを出し、ぐにぐにと動くスライム。
黙り込んでいたシノが、髪を結び直したところでようやく口を開く。
「……よしっと。はぁ~、間に合ってよかったわぁ」
それは安堵のため息と、少し訛った声だった。
「……? ??」
スライムのぐにぐにが止まる。ギョロリと向けられた目玉は、不思議そうにシノを見つめている。
さらにスライムは言った。
「……不可解なり。何故安堵する? 既に汝の命は我の手中なり。汝を殺し、次は勇者である。汝は不要。不要。不要!」
突然スライムの体がぐにょーと伸びると、四本の長い触手のようなものが出現。柔らかそうだった粘性の触手は急速に固まり、先の尖った金属質に変化する。スライムはその鋭い触手でもって、四方向からシノを襲った。
触手がシノを串刺しにしようと囲み近づいた瞬間――それらはバラバラに切断された。粘性に戻ってボトボト、と音を立てて地面に落ちる。
「!? ?? ???」
スライムはすぐに触手を引っ込めると、大きな目玉で狼狽えるようにその断面を見つめた。地面に落ちた触手の切れ端は自然にスライムのもとへ戻り、吸収される。
シノはカタナの柄から手を離して言う。
「スライムさん、よう喋るのぉ」
「!?」
ぴたっと動きを止めたスライムに、シノは目をつむったままの状態で話す
「あんたがここのダンジョンマスターなんじゃね? やぁ~、無礼な訪問になってしまってすまんねぇ。じゃけど、師匠として弟子を危険にさらすわけにもいかんからね。はぁ。気楽に話せる相手で助かったんよ。人前じゃと、緊張でガチガチになってしまうからね……」
「?? ???」
「それは驚いている顔……なんじゃろうか。ともかく、あんたの狙いがクレスなのはわかっとったよ。聖都にも“使い”を出していたじゃろ。あの虫みたいな目玉じゃ」
「……!」
「あれを使って探っていたわけじゃね。大方、キングオーガはそのための目くらましといったところかな」
シノが落ち着いた様子でスラスラ語ると、スライムは目玉を何度かギョロギョロさせた後、口を開いた。
「……オーガ。あれは凡愚、痴者。我とは異なる。ゆえに手駒となるは必至。そう、我は力持つダンジョンマスター、上位魔族なり」
「ふむふむ。そこまでの知性を持つスライムさんは珍しいねぇ。話が出来るのは助かるんじゃけど、なんでクレスを狙うのかの?」
「魔王は死んだ。魔王は不在。魔族を率いる者が必要なり。ゆえに勇者を殺し、聖女を始末して、次代の魔王へ」
「そうかぁ……ほんにくだらん理由じゃねぇ。そんなことのためにあの子は……はぁ、不憫じゃ。頼むけ、そっとしておいてほしいんよ。せっかくあんなに可愛いお嫁さんを迎えたんじゃから」
頬に手を当てながら、呆れたように息を吐くシノ。訛りのある口調、また肩の力が抜けたようなその自然体の姿は、とても敵を前にした剣士のものではなかった。クレスたちと共にいたときよりも、明らかにリラックスしている。
スライムはガッと口を開けて言った。
「解せぬ……解せぬ! 何故安堵する! 貴様は不要! 不要なり!」
再び先端が金属となった触手を出現させるスライム。その数は先ほどの倍――八本になっていた。
スライムはムチのようにしなる八本の触手を伸ばし、シノを攻撃する。それは先ほどのものよりさらに素早く、そしてシノの逃げ道を塞ぐように全方向から襲いかかる。
「せっかちじゃねぇ」
シノがそっと腰のカタナに手を置くと、一瞬の早業ですべての触手が斬り裂かれた。スライムは「!!??」と驚愕したように大きな目を動かす。
「うちの力を知っとる以上、早めに始末したほうがよさそうじゃね。申し訳ないけど、そろそろ終わりにするけぇね」
シノが一歩、足を踏み出す。
シュルシュルと伸ばした触手を戻すスライムは、狼狽えるように背後へ下がる。
そして――歯をむき出しにしてニヤァと歪んだ笑みを浮かべた。
「――油断。油断。油断なり!」
シノがハッとして自身の足元を見る。
そこで、鳥の足のようなものが生えた小さな目玉の魔物がシノを見上げていた。
「――んにゃっ!?」
シノがそんな声を上げるのと同時。
目玉の魔物がシノの足にぺたっとくっついた途端――魔物は急速に赤くなって爆発した。
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