♯186 暗黒の目
フィオナや聖都の人々にとって、そしておそらくこの大陸で暮らすほとんどの者たちにとっても、クレスは誰よりも強い『勇者』であろう。だからこそ魔王を倒すことが出来た。その『勇者』が一度も勝てなかった人間が存在するなど、さすがにフィオナも驚いてしまう。
――だが!
フィオナには、それよりもさらに気になることがあった。
「ク、クレスさん。その二年間、シノさんとは毎日ずっと一緒……だったんですよね?」
「うん? ずっとということではないが、まぁ、そうだね」
クレスも足を止めてそう返す。すぐそばの壁面に、またあの大きな『目』の模様があったが、二人はもうそれを気には留めなかった。
「そらなら、その……ひょっとしてクレスさんは、シノさんに、その……今でも、憧れを……」
徐々にフィオナの声が小さくなる。
フィオナにとって、これは重要なことだった。
二年である。決して長い時間ではないが、短い時間でもないだろう。その間、ずっと二人で旅をしていたのだ。その間、何もなかったのだろうか。ただの師匠と弟子だったのだろうか。クレスはシノと再会してから、シノに対して眩しいほどの視線を向けている。フィオナにはそれがわかっていた。自分の知らない間のクレスが、どんな想いを抱いていたのか、フィオナはそれが知りたかった。
クレスが不思議そうな顔をする。
「フィオナ? すまない、途中からよく聞きとれなかった」
だからフィオナは、思いきって訊いてみた。
「あ、あの! クレスさんはっ、その、い、今でもシノさんに憧れているんですかっ!?」
少し大きくなった声がダンジョン内でこだまする。そんな自分の声にフィオナはちょっぴり慌てて赤くなった。
クレスは何度かまばたきをした後、にこやかに答えた。
「ああ、それはもちろんだ」
「あ、そ、そうですよね。やっぱり……」
「師匠は誰よりも強い。俺は、あの頃からずっとあの人に憧れている。あの人の強さを追いかけている。俺は、あの人のような強い男になりたいとずっと思っているんだ!」
「……へ?」
拳を握りしめているクレスに、つい気の抜けた声を上げるフィオナ。
その反応に、クレスは「ん?」とまた不思議そうな顔をする。
「え、えっと、クレス、さん? ひょっとして……誤解、されていませんか……?」
「うん? 誤解?」
「は、はい。だって、シノさんはじょ――」
そのときである。
壁面の巨大な『目』がギョロっと動き、二人を捉えた。
「「!?」」
クレスとフィオナは同時にそのことに気づき、警戒態勢を取る。
その瞬間、壁面の『目』が妖しい暗黒の光を放ち、そこから『ゴオオオオ!』と激しい音がなって、強い風の引力が発生。暗黒の目は、まるでブラックホールのように二人を吸い込もうとする。松明の火もフィオナの魔術の火も消え、もう何も見えなくなる。二人はお互いに手を握ったまま耐えていたが、あまりに強い引力に逆らうことが出来ず、とうとう二人の身体が浮き上がって『目』の方へと吸い込まれてしまった。
「フィオナ!」
「ク、クレスさんっ!」
「間違いない! ――敵だ!」
おそらくこれが、シノの言っていた敵の“狙い”。ダンジョンを生み出した者――『ダンジョンマスター』たる者の仕業に違いなかった。
それでも二人は、けっしてお互いの手を離さなかった。
何があろうと、お互いがお互いを守る。二人はそう誓い合っていたから。
そうして二人が暗黒の目に呑み込まれかけた刹那――二人が歩いてきた方角からタタタタッと誰かが走るような足音がした。
直後、突然引力が止まった。
「くっ!」「きゃあ!?」
浮かんでいたクレスとフィオナは、手を繋いだまま洞窟の地面に落下。クレスがフィオナの下敷きになって彼女を守った。そしてクレスは真っ先に剣を掴む。
「フィオナ、無事か!?」
「は、はい! クレスさんごめんなさい! ……あれ? も、もう風が止んでる……?」
起き上がって辺りを見回す二人。フィオナが魔術で指先に火を灯し、クレスが剣を握って警戒。だが周囲には異変がなく、壁の『目』はもう消えている。さらに先ほどまで暗闇が広がっていたはずの洞窟の先が、
「あ、あれ? 行き止まり? ええっと……わ、わたしたち、壁の目に吸い込まれそうになってて……それで……あれ?」
「風が止んだら、洞窟の内部が変わっていた……? これは一体……」
行き止まりの壁に触れながら疑問を持つ二人。だが、いくらペタペタと触ってみても、それは普通の土壁だ。どこかに隠し扉があるようなものにも見えない。先ほど『目』の模様があったはずの場所も、なんの変哲もなくなっている。
「ど、どういうことなんでしょう……? これが、敵の“狙い”……? 失敗、したんでしょうか?」
「……わからない。だが、これ以上ここを進むことは出来ないようだ。いったん引き返してみよう」
「そ、そうですねっ。気をつけていきましょう!」
「ああ」
クレスとフィオナは、慎重に元来た道を戻っていく。
二人は、自分たちの髪がほんのわずかにだけ切れ落ちていたことに気付かなかった。
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