♯167 《メル・ブライド》
花々が空を舞う。
一輪一輪、一枚ずつの花びらに込められたフィオナの魔力が辺境の地に広がっていく。ベヘモットはフィオナのことなど意に介さず猛進を続け、花びらを吹き飛ばすようにフラワーシャワーの中をくぐり抜けていった。
その直後。
ベヘモットはなぜか突然速度を緩めると、やがてその場で本当の山のように立ち尽くした。
すると、その体躯が突然しぼんだ風船のように縮小していく。それは以前、ルーシア海でデビちゃんこと『デビルクラーケン』を撃退した直後のようであった。
さらに驚くべきことに、ベヘモットの周辺で草木が芽吹き始める。まるで時間を早送りでもしているようにベヘモットが踏み壊してきた跡地に色鮮やかな花々が咲き誇った。荒れ果てていたフィオナの村にまで、華やかな光景が蘇る。『ファティマ』の大樹はさらに瑞々しく姿を取り戻していた。
奇跡のような美しい光景を前に、クレスがつぶやく。
「花に込められたフィオナの魔力が……ベヘモットの魔力を、吸い取っている……のか……? その魔力を、周囲の土地へ与えている……?」
クレスにはそのように見えた。
だからこそ、魔力を失ったベヘモットは巨躯を保つことが出来ずに小さくなり、動きを止めた。暴走の原因となる
「これが……フィオナの、本当の……」
クレスが見上げる上空から、ドレス姿のフィオナが静かに降りてきた。
ふわっと地上に足を着けると、背中の翼が魔力に変換される形で弾けるように消失する。
「クレスさんっ、見ていてくれましたか?」
「……ああ、すごかったよ!」
手を組み合わせる二人。
そこでクレスは改めてフィオナの姿を見つめ、呆けた。神々しささえ感じるフィオナのドレス姿が、あまりにも美しかったからだ。
フィオナはテレテレと頬を赤らめながら言う。
「と、突然で驚いちゃいましたよね。ごめんなさい、クレスさん」
「あ、い、いや。もう君のウェディングドレス姿を見ることはないと思っていたから、あまりに嬉しくて言葉を失っていたんだ。本当に綺麗だよ。またこんな姿の君を見られるなんて……少し、いや、だいぶ胸が熱くなってしまった」
「ク、クレスさん……えへへへっ、嬉しいです! わ、わたしも同じです!」
笑い合う二人。
それから落ち着きを取り戻したクレスが尋ねる。
「それにしてもフィオナ、君はあんな魔術が使えたのかい? それにその衣装も……魔術で作ったもの、なんだろうか? 俺はまったく見たことのない不思議な魔術だが……」
「ふふっ。この魔術は、ずっとわたしたちの中にあったものですよ」
「え――? 俺たちの中に?」
「はい!」
嬉しそうに答えるフィオナ。
そんな彼女の言葉で、クレスは気付いた。自分たちの中にあるものといえば、あの魔術しかないからだ。
「まさか……フィオナが俺に掛けてくれた、あの魔術のことかい?」
すると、フィオナはすぐにうなずいて返事をくれた。
「そうなんです。今ならよくわかるんですが、クレスさんとわたしを繋げてくれている禁忌の魔術――《結魂式》は、以前の状態では不完全なものだったんです」
「不完全?」
「はい。この魔術の本質は、お互いの魂を融和すること。それには、心を繋げることが何よりも大切でした。けれどわたしは……昔のわたしは、ただ一方的に、クレスさんにこの魔術を掛けてしまった。だから不完全な術になってしまって、クレスさんやわたしの身体に良くない影響が及ぶようになってしまった。そういうことだと思います。けれど、もうその心配はありません!」
「心を……なるほど……!」
顎に手を添えて納得の表情を見せるクレス。
フィオナが禁術を使ったとき、二人の心が繋がっていたかと言われればそれは違うだろう。だから、初めから禁術が正しく作用するはずはなかった。
しかし今、二人の心臓は――魂は実感していた。
結婚し、触れ合い、共に時間を過ごし、心の距離を近づけた。そのたびに魂はより深く重なり合い、今、まさに二人の魂が綺麗に融和している。それによって魔力の“ひずみ”が生じることはなくなった。その熱は二人も実感出来るほどであり、完成された魔術が二人の身体に新たな影響を及ぼしている。
その一つが、フィオナの魔術である。
「今のわたしは、今までで一番上手く魔力を扱えている自信があります。自然界のマナと、自分の中の魔力とが、これ以上ないバランスでコントロール出来ていると思うんです。その影響……なのかは、わからないんですけど、ま、魔力が勝手にドレスの形に変化してしまって。ど、どうしてなんでしょう」
「魔力がドレスに…………そうか、だから見覚えがあったんだな」
「え? クレスさん? 見覚えって…………あっ!」
改めて自分の姿を見下ろし、クレスの言った意味に気付いたフィオナ。クレスも一度うなずいた。
「これって……わ、わたしが式で着たときのものと似ています!」
――そう。
今のフィオナが纏うドレスは、クレスとの式で彼女が着用したもの。義母のドレスをセリーヌがリメイクしたもの。少々アレンジが加わってはいるが、下地となっているのは間違いなくあのときのドレスだ。
「そっか……このドレスは、わたしの魔力が形作ったものだから……きっと……!」
「うん。俺もそう思った。あのとき、俺の前で着てくれていたドレスによく似ている」
式で着たウェディングドレスは、その後の宝探しイベントでボロボロになってしまった。セリーヌが気を利かせて直してくれようとしたのだが、フィオナはあえてドレスをあのままにしていた。クレスが、世界で一番綺麗だと褒めてくれたからだ。その思い出が何より大事だったからだ。
けれど今、あの時のドレスが蘇ってくれた。
純白のウェディングドレスは汚れ一つなく、美しく輝いている。
いろんな人が、いろんなものが自分を助けてくれた。ここまで辿り着けた。
フィオナはドレス姿のままクレスに抱きついた。
「クレスさんっ」
「わっ。フィ、フィオナ?」
フィオナが顔を上げる。
その瞳が潤んでいた。
「これからも、ずっと、クレスさんと一緒にいたいです。いつか生まれてきてくれる子どもも一緒に、温かい家庭を作っていきたいです。クレスさんを幸せに、お母さんを安心させてあげられるように!」
「フィオナ……」
「わたし、もっと頑張ります! クレスさんにとって一番の、最強のお嫁さんになります! だから……ずっとずっと、わたしをそばにいさせてくださいねっ」
フィオナは綺麗な笑みを浮かべた。
クレスはそんな彼女の涙をそっと拭い、それから優しく髪を撫でる。
「俺も、ずっと君のそばにいさせてほしい。よろしくお願いします」
「クレスさん……はいっ!」
抱き合い、笑い合う二人。
やがて身を離したところでクレスが言った。
「ところでフィオナ。そのドレスは……いつまで着ていられるものなんだろうか?」
「え、ええっと、どう……なんでしょう? わたしにもよくわからないのですが……、魔力が落ち着けば解けるもの……なのかなぁ?」
初めての経験に困惑するフィオナ。自分の掛けた禁忌の魔術が“進化”したことは体感で理解出来たが、だからといってその全貌がわかったわけではない。もちろんクレスにもわかるはずがなかった。
そんなときである。
「「――っ!?」」
クレスとフィオナがほとんど同時に“そちら”を見た。
身がすくみ、自然に視線が引きよせられたほどの凄まじい
二人の人物だった。
一人はメイド服を着て、姿勢正しく歩く。
そしてもう一人の小柄な人物は――小さくなったベヘモットの尻尾を掴んだまま、ずんずんと大股でこちらへ近づいていた。
やがて二人の顔がハッキリと見えるまでになった頃、その人物は言った。
「――《
クレスとフィオナは、ほぼ同時に口を開いた。
「――魔王メルティル!?」
「――メルティルさんっ!?」
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