♯161 二人の母、二人の娘


 ――自分のお腹を痛めることすら出来なかった。


 今、彼女はそう言った。それはつまり、ソフィアが先代聖女ミネットの実の娘ではないという意味になってしまうのではないか。

 ならば、ソフィアは誰が産んだのか? そしてなぜ自分の母イリアの名前が出たのか?

 

 フィオナの想像が膨らむ中、ミネットが弱々しく微笑む。


『なんて、今の私が言っても説得力がないですよね……。けれど、聖女として――母親として頑張りたいから。レミウス。これからも、私たちに力を貸してもらえますか?』


 どこか頼りなく、か弱い口調ではあったが、しかしそこに“母親”としての強い信念が込められていることがフィオナにもよくわかった。

 レミウスは膝をついたまま頭を下げ、『はっ』と短い返事をする。

 そんな彼に優しく笑いかけたミネットは、それから別の話を切り出した。


『あのね、レミウス』

『はい』

『それから、もう……私の代で“代わり”を用意することはやめられませんか?』


 レミウスが驚愕の表情を見せる。だがフィオナにはその意味はわからず、続く言葉を待つしかなかった。


『ミネット様、それはっ――!』


 レミウスが立ち上がったところで、ミネットが自分の口に人差し指を当ててから赤ちゃんを見つめた。レミウスはハッとして再び膝をつき、頭を下げた。


『私は聖女ですから。母の背中を見て育ち、自分の役目というものを理解しているつもりです。争いの続くこの世界で、聖女という象徴を守り抜くことの大切さも。でも……この子にまで、同じような思いはさせたくはないから……』

『ミネット様……』

『もちろん、それが大切なことなのはわかっているんです。納得もしています。私みたいな聖女のことを考えたら、“聖母代理”を用意するのは必要なことですよね。私の“子”を受け入れてくれるアルトメリアの魔術がなかったら……イリアがいなかったら、私は自分の子どもをこの手で抱くことも出来ませんでした。イリアがいなかったら、聖女は私で途絶えてしまったかもしれない。それでも……それでも…………』


 ミネットの頬を、一筋の涙が伝う。


『友達を失うことが、こんなに、辛いなんて、私、知らなかったから……。たった一人の、誰よりも大切で、大好きなイリアに……辛い思いをさせて、追い出してまで、私は、“聖都ここ”にいる。すべてを捨てて一緒に行くことだって出来たのに、こうすることを選んだ。選んだ……はず、なのに、いつも、涙が、出てきてしまうんです……』

『…………』


 ぽろぽろと溢れ落ちるミネットの涙。レミウスはそれを黙って見つめていた。

 ミネットは抱えていたソフィアをそっと傍らのバスケットに寝かせ、レミウスの方を見た。


『ね、イリアは元気にしているかな?』

『……イリア様は豪胆なお方。本来の姓を取り戻した今は、慌ただしく子育てに励んでおられることでしょう』

『そっか、そうだよね。イリア、本当はなんて苗字だったんだろう。アルトメリアのエルフさんたちは、みんな“アルトメリア”が付くのは聞いたことがあるんだけど……それだけでも、知りたかったな』

『申し訳ありません。私も、それは……』

『いいの。わがままだから。それよりありがとう、レミウス。あなたにも、辛い思いをさせちゃったよね』

『……?』

『ほら、イリアが出て行っちゃった日の夜。私、あの時は取り乱して、イリアとあの子を追い出すなんてひどいって、レミウスのこと叩いちゃって、ごめんなさい』

『いえ……私は……』

『今はね、ちゃんとわかっているの。レミウスが教会の幹部たちを取りまとめながら、イリアとあの子をなんとか外に逃がしてくれたこと。二人が静かに暮らしていけるように手を尽くしてくれたこと。どれも大切で、大事にしたくて……結局、本当は何も選べなかった臆病な私の代わりに、イリアとあの子を守ってくれて、ありがとう。レミウス』

『…………』


 微笑むミネットに対し、レミウスは何も答えることがなかったが、どこか寂しげに背中を丸めた。

 ミネットは、部屋の窓から欠けた月を静かに眺める。


『イリアは、あの子にどんな名前を付けたのかな。イリアに似て綺麗な銀色の髪をしていたから、とても綺麗な女の子になるんだろうな。胸だって……ふふっ。私よりイリアに似た方が立派になるね。この子にお姉ちゃんの顔を見せてあげられないのは寂しいけれど、イリアなら、きっと立派に育てあげてみせるよね』

『……はい。誇り高きアルトメリアの血を引くイリア様ならば、必ず』

『ふふふ、そうだよね。それからね、レミウス。私……本当は嬉しかったんだ』

『……と、仰いますと……?』


 疑問の表情を浮かべるレミウス。

 するとミネットは答えた。


『あの子がね、イリアの血を継いでくれたこと。みんなは、あの子を『耳付き』なんて揶揄して恐れたけど……私はすごく嬉しかったの。だって、間違いなくイリアの子どもだから。イリアと私の子どもが、二人同時に生まれてきてくれたんだよっ!』

『ミ、ミネット様……』

『本当に夢みたい。こんな奇跡ないって、そう思ったんだ……! これって、シャーレ様のご加護じゃないかな、なんて。うふふっ』

『……はい。そうですな』


 ずっと切なげな顔をしていたミネットが明るく微笑み、子どものようにはしゃいでいた。しばし呆然としていたレミウスも穏やかな表情を見せる。


 その一方で、フィオナは言葉もなく唖然としていた。

 今までの会話を聞いて、なんとなく予想はついていた。想像は出来ていた。そして今は、もう、すべてが頭の中で繋がっている。


 母イリアは、本当にアルトメリアのエルフの血を引いていたらしいこと。

 そしてイリアがかつて語っていた親友とは、先代聖女ミネットのこと。

 二人はこの聖都で暮らしていた。

 おそらくイリアは“聖母代理”という存在であった。身体の弱かったミネットの代わりに、何かしらの方法でミネットの遺伝子子どもを胎内で育て、産んだ。


 すると生まれたのは双子だった。一人は『耳付き』の銀髪。一人は『プリズムヘアー』。

『耳付き』の子は――魔族の血を権限させてしまった子は教会にとって忌むべき存在だった。特にこの頃は魔王率いる魔族との戦争が勢いを増していたため、そんな子を聖女にするわけにはいかなかったのだろう。何よりもソフィアがいた。だから追い出された。もはや不要となった“聖母代理”と共に。


 そして今――ここでミネットが育てている子どもこそがその一人、ソフィア。

 さらに聖都を離れたというイリアがエルフの村で育てていた子どもが、フィオナ。


 過去の記憶を目の当たりにしたフィオナは、驚愕の真実を悟った。



「それじゃあ…………それじゃあソフィアちゃんとわたしは……し、姉妹…………!?」



 その結論に辿り着く。

 今ここで、ミネットに、レミウスに訊きたいことが山ほどある。それでも、この世界でフィオナにそれは出来ない。不可能なことだった。

 すると、そこでフィオナの身体がまた魔力の光に包まれていく。

 自身を身体を見下ろすフィオナは感覚的に理解していた。まだ“まじない”は唱えていない。それでもまた、飛ばされてしまうのだと。そのタイミングは、まるでフィオナに“記憶を伝え終えた”かのようですらあった。


 フィオナが消える間際、ベッドの上のミネットが言った。


『……よぅし! 私も、イリアに負けていられないぞ。ソフィアを、立派な子に育ててみせるよ。この子が、いつか平和になった世界で幸せに暮らしていけるように、これからもっと頑張らなきゃ! レミウス、一緒に、新しい世界を作ろうね』

『ミネット様……はっ! このレミウス、全身全霊でお仕え致します』


 そんな二人の会話を最後に、フィオナは再び光に飲まれ、過去の世界から消えていく――。


 早くこのことをクレスにも伝えなくちゃいけない。フィオナは手元のペンダントをギュッと両手で包みこみながら祈った。



 ――お願い……! クレスさんの元へ、連れて行って……!



◇◆◇◆◇◆◇

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