♯160 聖女ミネット
「――きゃっ!」
固い石床に尻もちをつき、鈍い痛みにこらえながら臀部をさするフィオナ。どうやら再びどこかへと転移したらしかった。
「うう…………も、戻ってこられたのかな…………えっ?」
そこでまた驚きの声を上げる。
フィオナの目に映ったのは、見覚えのある景色。
だが、それは先ほどまでクレスと一緒にいた『ラクティス村』ではなかった。
「ここって……せ、聖女様のお城……!?」
立ち上がり、しっかりと辺りを確認してみる。
フィオナが落ちてきたのは、普段『聖女』が謁見のために座する『聖女の間』。だが今はそこに誰も座ってはおらず、シスターたちの姿も見られない。
そのまますぐ隣の庭へと飛び出すフィオナ。ここは以前から聖女ソフィアと夜のお茶会を行う定番の場所。しかしそこにも人の姿はなく、また星空が広がっていることから、今の時間が夜であることがわかった。
さらに「あっ」と驚くフィオナ。
そこから見えるのは聖都のシンボル――『聖究の塔』だ。
以前フィオナが大規模な魔術で派手に破壊してしまい、今は再建真っ最中のはずだが、既にその塔が完成している――と一瞬フィオナは思ったが、すぐに考えを改めた。
「……うぅん。あれは、以前の塔だ。わたしが壊す前の、古い塔。つまり……ここも、過去の記憶の世界……?」
先ほどのエルフの村もそうだった。ならばここも過去だと考えた方が自然。
そう考えたフィオナはすぐにきびすを返し、『聖女の間』へ戻る。そこで自分がまだ半裸状態だったことを思い出して、なんだかすごく不敬なことをしているような気がしてそわそわしたが、今はどうしようもなく、心の中で謝るしかなかった。
そんなとき、『聖女の間』の奥からわずかに赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
そちらにあるのは、聖女の寝所。急を要する事態のために、聖女たる者の部屋はここのすぐ裏に存在している。だが、もちろん一般人が立ち入れる場所ではない。
聖女の城で好き勝手に行動してしまうことにフィオナは一瞬躊躇したが、過去の記憶ならば問題はない、そもそも既にこんな姿で歩き回っているのだからと必死に開き直ることで自分を励まし、意を決してそちらへと向かった。
「お邪魔します……」
やはり声を掛けてから扉を開ける律儀な性格のフィオナである。魔術が生み出す記憶の世界であるとはわかりながらも、それなりに緊張してしまっていた。
固く重たい大きな木製の扉の向こうに広がるのは――聖女の部屋。
まず目に入るのは、大人がゆうに五人は横になれるであろう巨大なベッド。しかしそれ以外の家具は質素なもので、部屋のサイズも決して広いわけではない。贅を尽くしたような部分はほとんどなく、一般家庭のものとそう変わりはない。他に特将的なのは、天井や壁など、装飾品などに『シャーレ神』の象徴とされる水と世界樹の意匠が施されている程度だ。
そしてフィオナの視線は、ベッドの上へと向かった。
『な、泣かないで……あう……ど、どうしよう……』
そこに座っていたのは、おろおろと狼狽した弱気な表情の年若い女性。彼女の前では赤ちゃんがわんわんと泣いていたのだが、今度は女性の方まで泣いてしまいそうな雰囲気である。
『やっぱり……私じゃダメなのかな……。イリアなら、上手くあやすことが出来たのに、私じゃ、全然…………う……うぇぇ……』
まったく泣き止まず、さらに声量を上げていく赤ん坊。すると本当に女性まで泣き出してしまった。しくしくとべそをかく姿はなんだか幼い少女のようでもあったが、彼女が高貴な存在であることをフィオナはすぐに理解した。
「せ、聖女様……だよ、ね……」
聖女の証である法衣や冠、杖などを持っているわけではなく、寝間着姿で泣きべそをかく姿からはとてもそうは見えないが、この部屋で眠りにつける存在は聖女しかいない。何より、彼女の星の力を備える魔力や『プリズムヘアー』が聖女たる証明をしている。
そして、そんな部屋で聖女と共にいるあの赤子は――おそらく、聖女の子であろう。
フィオナがそんな想像をしていたとき、半開きのままこっそり覗いていた扉が突然大きく開かれ、フィオナは「わぁっ!?」と前のめりに倒れてしまった。
絨毯にぶつけてしまった鼻を押さえながら身を起こすと、聖女の前に一人の男性が立っており、その人物はすぐに膝をついてかしこまった。フィオナは聖女に気を取られていたことで、彼が後ろから近づいてきていたことに気付けなかったようだ。
『無礼をご容赦願います、ミネット様』
『あ……』
男性はベッドの上の赤子を抱きかかえると、すぐに状況を察し、テキパキと布おむつを替えて整える。それからゆりかごのように優しく揺らし、赤ちゃんへささやくような言葉をかけた。すると赤ちゃんはスヤスヤと寝息を立てて大人しくなっていく。
その手際の良さに呆然としていた女性は、男性から子を受け取った後、手元の小さな存在を見つめながら切なげな瞳をする。
『ごめんなさい、レミウス……。こんな時間に、いつも手間をかけてしまって……』
『構いませぬ。私のことより、ミネット様こそゆっくりお身体をお休めください。もしもまたソフィア様が泣き始めてしまったときは、すぐに私が参りますゆえ』
そのやりとりを聞いて、フィオナは大きく目を見開いた。
どうやらあの男性はレミウス――現聖女ソフィアに仕える元大司教の男であったらしい。少々若く、身体もがっしりとして見えるのは、やはりここが過去の世界である証なのだろう。
「あの人がレミウスさん……? それじゃあやっぱり、あの方は先代の聖女様で……あの赤ちゃんは……!」
確信を持つフィオナ。
赤ちゃんを抱きかかえるあの女性こそ、先代聖女である『ミネット』だ。ならば彼女が抱きかかえているあの赤子こそが、現聖女である『ソフィア』に違いない。
レミウスは再び膝をつき、穏やかな口調で語りかける。
『ミネット様。近頃はほとんど眠られておらぬはず。お身体を壊します。どうか心をお休めになり、ソフィア様のことは我々にお任せください』
『レミウス……』
赤子――ソフィアを抱いたままのミネットは、ふるふると首を横に振った。
『私は、聖女として半人前で、身体が弱くて、いつも、あなたたちに迷惑をかけてばかり……。この子を上手くあやすことすら出来なくて、本当に、情けないですよね……。でも、でも――』
ミネットが涙を拭い、顔を上げる。
星を宿す瞳――『
『そんな私でも……自分のお腹を痛めることすら出来なかった私でも、この子だけは、ちゃんと育てたいんです。それが、イリアとの約束だから』
「――っ!?」
衝撃の発言に、フィオナは思わず息を呑む。
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