♯156 まじないの言葉

 声を揃える二人。



 その手紙には――何も書かれてはいなかった。



 真っ新な、空白だけがある。

 表にも裏にも、メッセージなど一言も残されてはいない。


 フィオナがキョトンとした顔でつぶやいた。


「えっと……だ、誰かに送ろうとして、何を書こうか悩んで、ここにしまったままだった…………とか、でしょうか?」

「う、うん。そうかもしれないな。嫁入り道具の箱に入れているくらいだから、何かしら意味がありそうな気もするが……」


 無理矢理納得しようとする二人。クレスだけでなく、フィオナもちょっぴり期待したところがあったのだろう。拍子抜けな結果に二人はしばらく呆然とし……それから二人とも笑ってしまった。


「ふふっ。でも、なんだかお母さんらしいかもしれません。お母さんは悪戯が好きで、いつもわたしを笑わせてくれたんです」

「そうか。君を産み育てた人なのだから、きっと素敵な女性だったのだろう。俺も、フィオナの母と話がしてみたかった」

「うふふ。クレスさんなら、きっとすぐに気に入ってもらえたと思いますよっ。お母さん、わたしが結婚するときが楽しみだってよく言っていたんです。そのときは、絶対相手の男性を『ママチェック』するからなーって!」

「マ、ママチェック……!?」


 思わぬ発言に固唾を呑むクレス。どんな厳しいチェックをされるのかとうろたえるクレスを見て、フィオナがおかしそうに笑った。


「『嫁入り道具セット』を見せてもらえたのも、そういう話をしていたときでした。フィオナの心にお母さんの全部を残すからって。わたしが時々口にする“おまじない”も、そのときお母さんに教えてもらって――」


 そこまで言いかけたところで、フィオナの口がぴたりと止まる。

 クレスは「ん?」と疑問顔で彼女を見た。


「フィオナ? どうした?」


 フィオナはぼうっとした様子で手紙を見つめ、つぶやく。


「……クレスさん。わたし、わかったかもしれません……」

「え? な、何がだい?」

「もしかしたら……“それ”が、鍵なのかも……!」

「鍵……?」


 こくんとうなずき、フィオナは母のペンダントを握りしめる。

 遠い昔に聞いたはずの言葉が、胸の奥からしみ出してくる。



『――このまじないが、きっとあなたを助けてくれる。忘れないでね、フィオナ。困ったときにはいつも思い出して。このまじないは、フィオナにすっごい勇気と力をくれるんだから!』



 母の言葉と笑顔を思い起こしながら、フィオナは“それ”を口にした。



『――逃げるな、プディ・前を向け、魂を燃やせルファラ・エクレーン!』



 刹那――。

 フィオナが持つ手紙がパァァッと目映い光を発し、真っ白だった紙面に光の魔方陣らしきものが出現した。


「!? フィオナっ!」

「これ……魔術刻印! やっぱり、まじないの言葉が“キー”だったんです! これは、きっとお母さんからわたしへのメッセージなんだ……!」


 そこで手紙の発する光がフィオナの持つペンダントに伝わり、光はさらにフィオナの全身にまで広がっていく。


「フィオナっ! だ、大丈夫なのかっ!?」

「は、はい。たぶん、お母さんが手紙に何かの魔術を施して……え?」


 フィオナが戸惑いの声を上げた。


 淡い光に包まれたフィオナの右手が――手紙の中に吸い込まれている。


 目をパチパチとさせるフィオナ。

 そうしている間にも、彼女の右腕……そして肩まで、フィオナの身体がどんどん手紙の魔方陣に吸い込まれていってしまう。


「え、えええ~っ!? わたし、すいこまれてっ、わ、わぁ~~~!?」

「フィオナっ!」

「ク、クレスさんっ!」


 クレスがフィオナの左手を掴む。しかしフィオナの半身はもう魔方陣の中に吸い込まれており、それにはクレスの力でさえ抗えない引力だ。光の中に溶け込むように、フィオナの姿が消えていく。彼女が被っていた白い帽子がふわりと床に落ちた。


「フィオナッ!!」

「だ、大丈夫です! お母さんのことですからきっと何かっ、ク、クレスさん! わたしのことは心配しな――」


 そこまで言って、フィオナの身体はとうとうすべてが光に飲み込まれてしまった。



「フィオナ……フィオナッ! フィオナーーーッ!」



 彼女が消えていった手紙に触れながら叫ぶクレス。

 だがフィオナがいなくなった直後に手紙の光は収まり、魔方陣もスゥッと幻のように消えていく。そしてすぐに元の白紙へと戻ってしまった。クレスがどれだけ手紙に触れようとも、何かが起こる様子はない。


「フィオナ……どこへ……! くっ、すぐに助けに行く! 待っていてくれ! 君が世界のどこへ行こうと、俺は――必ず君を迎えに行く!」


 クレスは左手の指輪に誓い、立ち上がる。

 そして家屋を出ていこうとしたとき――



『ああ~待ってください! あの子なら大丈夫だから心配しないで!』



「――っ!?」



 振り返り、絶句するクレス。

 一切気配のなかったはずの背後から――『嫁入り道具セット』を置いてあった方から突然に声を掛けられて、クレスは信じられないものを見るように大きく目を見開いた。


 先ほどまでクレスとフィオナが座っていたベッドの前に、二十代前半くらいの美しい女性が立っている。フィオナと同じ長い銀髪で、右サイドには小さな三つ編みがあり、首元にはあのペンダントが掛けられていた。


 フィオナとよく似た容姿の女性は、うっすらと背景が見えるほどに透けている・・・・・


『うふふっ、情熱的で素敵な旦那さまじゃない。ああよかったぁ! あの子、良い人を捕まえたのね。あ、でもまだ認めたわけじゃないですよう? それはこれからです!』


「フィオ、ナ……? いや、あなたは……なっ……え? ん……っ!?」


 上手く状況を呑み込めないクレス。

 女性はパン、と手を叩いてからニコリと微笑む。


『まぁまぁ落ち着いてくださいな。あの子が戻ってくるまで、二人っきりでお話タイムとしましょうよ! あの子がどんな人を選んだのか、とても興味があるんです! ママとしては、いつまで経っても子どものことが心配ですからね』

「ママ……? ――っ!! あ、あなたは、ひょっとして……!?」


 呆然と立ち尽くしたままのクレスに対し、女性は気持ちの良い笑顔のまま立派なサイズの胸にポンと手を当てて答えた。



『わたしの名前はイリア。『イリア・リンドブルーム』です! さぁ、今から厳しい『ママチェック』が始まりますからね! 男らしく、覚悟してくださいよぉ~!』



 銀髪の女性――イリアは腰に片手を当てながら、ビシッとクレスを指差して愛らしいウィンクを見せた。

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