♯154 帰郷

 ロッジでのロマンティックな星空デートから一晩が経ち、翌朝には気球で『シャニマ山脈』を出発。

 太陽を背にゴツゴツとした山岳地帯を抜けると、しばらくは深い森や草原地帯が続く。この辺りからが『アイル地方』と呼ばれる辺境の地で、開拓が進んでいないため手つかずの自然が多く残っていた。人があまり住んでいないからこそ、人を襲うような魔物も元々少ない地域なのである。

 ここアイル地方はシャニマ山脈から流れ出す清流『シャニマ川』によって独自の生態系を持つ動植物も多く、他の国々とは違う光景も見られた。特に木々などは大変高く大きく伸びる。『ファティマ』と呼ばれる魔力を持った世界樹もこの地より生まれた種で、大変な貴重な樹木とされる。


 そんなシャニマ川を下流に向かって進んでいると、昼前には見晴らしの良い平原地帯が広がった。


「もう山脈があそこまで小さく……本当に空を飛ぶ乗り物はすごいな。いや、もちろん特別な気球ということもあるのだろうが、足で進んだときはどれだけ掛かったものか……」

「ふふ、おじ様とおば様に感謝ですね。――あ、クレスさん、あちらですよ」


 フィオナがバスケットの中で白いストローハットを抑えながら前方を指差す。クレスは手で太陽の光を遮りながらそちらを見た。


「む、そうか。空から見るとまた土地勘が変わるものでなかなか気付けなかったが、もうここまで来ていたのか。フィオナはさすがだな」

「ふふ、わたしの故郷ですから。川沿いの村で、目印になる『ファティマ』の大木が一本ありますので、わかりやすいんです。あの時の火事からも難を逃れた、すごい聖樹なんですよ」

「ああ、確かにあの木には見覚えがあるな」


 フィオナが気球に取り付けられた魔導具の調整を行い、ゆっくりと高度を落としていく。着地の瞬間にバスケット下部の魔導具が柔らかな風を起こすことでほとんど衝撃もなく、二人は地上に足を下ろすことが出来た。


 目的の場所は、すぐそこだ。


「行こうか、フィオナ」

「はい」


 二人は手を取り合い、その場所へ向けて歩き始めた。



 到着したフィオナの故郷――『ラクティス村』は静かなところだった。

 決して大きな村ではなかったが、それなりに多くの家庭があった。ほとんどの家が牧草地で牛などを飼い、畜産を行って生計を立てていた。今も風化せずに形を残している民家がいくつか残ってはいるが、当時、魔物の集団に襲われた際に火事が起きたこともあり、ほとんどの家は残骸を残すのみだ。そのため、見た目には物悲しい廃墟のイメージが強い。未だに生命力を宿しているのは、村の中心部に鎮座する『ファティマ』の大木のみ。その樹木だけは、今も変わらず青々とした力強さを感じさせてくれる。


 フィオナは、そんな懐かしの故郷をしばらく無言で見つめていた。暖かな風が、そっとフィオナの髪を撫でる。


「……大丈夫かい?」


 クレスがそう声を掛けると、フィオナは握った手に力を込めて応える。

 彼女の顔は明るかった。


「――大丈夫です。クレスさんが、一緒にいてくれますから」

「そうか」


 そうして二人は、廃村の中へと足を踏み入れていく。



 それから最初に訪れたのは、村の端に作られた簡易的な墓地。

 クレスとフィオナは、一面に並ぶ石の墓標と向かい合っていた。ここはかつてクレスがフィオナを救った後、二人で作った墓地である。フィオナの家族と、村の人々が静かに眠り続けていた。

 フィオナの両親が眠る墓石には、一つのペンダントが掛けられている。

 これは、母親がいつも大切そうに身に着けていたものだとフィオナは言う。当時のフィオナはこの形見を聖都へ持っていくことはせず、村に残していくことを選んだ。


「…………」


 無言のクレス。フィオナの心情を慮り、何か気の利いた言葉でも探しているのか。それともあの頃フィオナだけしか救えなかった自分を悔やんでいるのか。手を組んで祈り続けたままのフィオナの後ろで、切なげな表情をしていた。


 やがて、フィオナが閉じていたまぶたを開く。


「勇気が出なくて……なかなか帰ってこられず、ごめんなさい。きっと、たくさん心配をかけていたよね。でも、わたしはもう大丈夫です。こんなに大きくなったんだよ。大切な人もそばにいてくれるの。とても幸せな毎日を送ることが出来ているから。だから――」


 フィオナは一拍だけ置いて、息を吸い、ハッキリとした声で言った。


「『逃げるな、プディ・前を向け、魂を燃やせルファラ・エクレーン』。わたしは、大丈夫。だから、こちらのことは心配しないでいいからね。今まで……本当に、ありがとうございました。どうか、ただ、安らかな眠りを……」


 そう言って最後にもう一度祈りを捧げ、ゆっくりと立ち上がるフィオナ。クレスの方を振り返って微笑むフィオナの顔に、陰はない。

 だからクレスもまた悩むことはやめ、フィオナに笑いかけた後――そのままフィオナのことを引きよせるようにして抱きしめた。これにフィオナが「ふぁっ」と驚きの声を上げてまばたきをする。


 クレスは墓標へ向けてこう言った。


「彼女は自分が命を懸けてお守り致します。この誓いを持って、鎮魂の言葉とさせていただきたい。ご挨拶遅れて、申し訳ありません。どうか安らかに、お眠りください」


 フィオナの背に当てられたクレスの手に、ぐっと力がこもる。

 呆然と彼を見上げていたフィオナは、少しだけその瞳を潤ませ、しばらくの間、クレスの腕の中で静かな時を過ごした。



 そんなとき――突然、一つの墓標に淡い魔力の光が灯った。



「「――!?」」



 二人は驚愕に目を開き、そちらを見る。

 淡く光り輝いているのは、フィオナの両親の墓標だ。それ以外の墓には何も変化がない。そしてよく見れば、光を放っているのは墓石そのものではなく、墓石に掛けられたペンダントの宝石トップ部分である。


「フィオナ……こ、これは一体……っ!?」

「わ、わかりません。ええと、自然界のマナが集まっている……の、かも……?」


 二人が驚きに目を見張っていると、そのペンダントの宝石からスッと一筋の光が伸び、綺麗な直線となって村の中を差した。


「光が……村の中へ……?」

「お母さんの、ペンダントが……!」


 墓石から母のペンダントを外すフィオナ。その光は、まるでフィオナたちを導くように輝き続けている。


 フィオナは顔を上げて言った。


「……クレスさん。光の先へ行ってみましょうっ!」

「フィオナ……ああ、わかった!」


 フィオナがクレスの手を引いて、二人は走り出した。

 ペンダントの光が指し示す方向へと向かって――。

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