♯153 世界一の星空デート

 気球は基本的にスピードが出ない。

 自然の風に身を任せ、静かに空を飛ぶための乗り物だ。大都市でも、裕福な家庭向けの娯楽として利用される高級品である。そのため、本来なら飛行艇のように遠くへ移動するために使うことはほとんどない。ただ、上空の気流を上手く扱う知識と技術があったり、魔術で風を操作できる場合であれば話は変わる。


 目的地は、聖都から西へ向かったアイル地方の辺境。

 クレスとフィオナの二人は、のんびりと空中散策を楽しんでいた。


「わぁ~……もうこんなに遠くまで来てしまいました。クレスさんクレスさんっ、ほら、聖都があんなに小さいです!」

「そうだね。俺もこんな空の旅は初めてだから、心が躍るな」


 バスケットの中で身を寄せ合い、はしゃぐ二人。


 太陽の輝く大空と、広大な大地。雄々しい山脈や湖。はるか遠くの水平線。世界と中心と言われる巨大な世界樹。地方都市や深い森々――。

 気球に乗っていると、見渡す限りにそんな素晴らしい景色を望むことが出来た。たまに、気球の存在に気付いた馬車の行商人や旅人たちが手を振ってくれる。そのたびに二人は手を振り返して応えた。


 フィオナがバスケットの縁に手を乗せ、目を閉じながら、心地良い涼風になびく銀色の髪を軽く手で抑えながら話す。


「本当にすごいです……。大都市間での飛行艇が整備されたのも、ここ最近ですよね。これからの時代は、こうした空の旅も増えていくんでしょうか」

「そうかもしれないな。馬車で地上を行くのも旅らしくて良いが、こうして地上の景色を一望出来るのはまた格別だ」

「そうですね……。何よりも、クレスさんと二人で、こうして同じ景色を見ることが出来たのが嬉しいです!」

「フィオナ……」

「世界はこんなにも広いのですから、きっと、わたしたちもこれからもっと楽しいことと出会えますよね!」


 フィオナがクレスの手を取る。


 二人の左手には、同じ輝きを持つ指輪が光る。

 フィオナは結婚前にクレスからプレゼントされた婚約指輪を重ねづけしているため、今は二つの指輪を着けている。本来、婚約指輪とは式の間までのみ着用することが一般的だが、クレスからの初めてのプレゼントだからと、フィオナは結婚指輪と婚約指輪を、いつも二つ嵌めていた。また、クレスもフィオナからプレゼントされた耳飾りをずっと大切に着けている。


 クレスはフィオナの手を握り返して言う。


「――そうだね、フィオナ。この景色は、いつかレナや俺たちの子どもにも見せてあげよう」

「はいっ! あ、それではそろそろ朝ごはんにしましょうか。空の上でも食べられるように、サンドイッチを作ってきました! 果実を使ったデザートもありますよ♥」

「おお、ありがとう。なんだか贅沢な朝食になりそうだな」


 そんなこんなで、空の上で贅沢な光景を眺めつつ肩を合わせて食事をとる二人。食事が終わっても話が尽きることはなく、狭いバスケットの中でいつまでも笑い合っていた。



 昼を過ぎると、ちょっぴり気になるような街、湖などに降りて散策をしてみたり、知らない土地で知らない名物料理に舌鼓を打ったり、牧場で動物たちとスキンシップを取ったりした。本来、直接目的地に向かえば一日足らずで着いてしまう行程ではあったのだが、二人はあえて寄り道をし、遠回りをして、二人きりの旅を楽しむことにしていた。


 だから出発した日の夜は、世界中で最も星が綺麗に見えると云われる秘境――『シャニマ山脈』の宿泊用ロッジに泊まることにした。ここまではギリギリ聖都の管理区域内ではあるが、その厳しい自然からほとんど人が寄りつかない土地である。


「星がとっても綺麗です……。眺めているだけで、夜空に吸い込まれてしまいそうな、不思議な感覚になりますね……」

「うん……」


 二人はロッジの目の前にある湖――『シャニマ湖』の畔で手を繋ぎながら寝そべり、満天の空を見つめながら話す。


 シャニマ湖は大陸南西部にある山と森に囲まれた美しい湖であり、季節や太陽によって湖面の色を変化させることから『オーロラの湖』とも呼ばれる秘境の絶景。古くから山脈地帯で暮らす原住民たちの聖地とも呼ばれる土地で、馬車で山を登ってくることも出来ないため、人々は自らの足で登頂するか、王族や貴族のように大金を払って飛行艇、気球を使ってくるしかない。今の季節なら高地の涼しさが気持ち良い場所ではあるが、冬には大雪が積もるようなところでもある。そのためロッジの宿泊料もかなり高額で、クレスとフィオナが聖都で泊まった温泉施設のスイートルームの二倍もした。


「一晩の宿にしては高額だが、その価値は十分にあるところだな。以前エステルが来たいと言っていたことを思い出せて良かったよ」

「本当ですね……。こんなに素敵なところがあるなんて、知りませんでした。クレスさんはすごいです。わたし、これまでたくさんの本を読んできましたけれど、やっぱり、自分の目で見なければわからないことがあるんですね」

「同感だ。俺の師匠も、『悩んだときは、自分の目で見たものを信じなさい』とよく言っていた。あの言葉は、俺の悩みを多く解決してくれた」

「素敵なお師匠様なんですね。そういえば、お師匠様のお話はあまり聞いたことがありませんでした。クレスさんがどんな方と修行をしてきたのか、もっと教えてほしいです!」

「わかった。師匠はこの大陸の人間ではなく、東の島国からやってきた方でね、気持ちが良いくらいにサッパリとした性格で、とにかく剣の腕が立つ人だった。未だにあの人以上に剣が上手い人は見たことがない。あるとき俺が街へ出たとき――」


 フィオナは食いつくようにクレスの話に耳を向け、時には質問を投げかけ、終始嬉しそうに話を聞いた。クレスも自分のことを知ってもらおうと懸命に話し、過去を共有していくことで、二人の心はまた深く溶け合った。


 やがて話が落ち着いたとき、フィオナが言った。


「今日は、いろいろなところへ寄り道してしまいましたね。本当なら今日中に村へ着くはずでしたけれど、その、行ってみたいところが多くて……ごめんなさい、クレスさん」

「いや、寄り道をしようと言ったのは俺だからね。謝ることではないよ。これは二人きりの新婚旅行だから、以前の穴埋めをするためにも、君に心から楽しんでほしかった。どうかな。新婚旅行として楽しめただろうか」

「は、はい! もちろんですっ! こんなに素敵な旅行は他にないと思います! もうとってもとってもすごくって、最高の思い出になります! はい!」


 鼻息が荒くあるほど興奮しているフィオナに、クレスは笑いながら話す。


「それは良かった。俺は君に大切なものを貰ってばかりだからね。これからは、俺も君にたくさんのものを贈りたいと思っている……のだが、やはり貰ってばかりだな」

「え? ど、どういう意味ですか? わたしは何も……」


 目をパチクリさせながら尋ねるフィオナ。

 クレスは穏やかな表情でフィオナの手を取り、目を合わせる。


「今日は、君の笑顔をたくさん見ることが出来た。そのたびに俺は自身の幸せを感じ、嬉しい気持ちになれる。君の笑顔は、俺の心を晴れやかにしてくれる。ありがとうフィオナ。君に貰ったたくさんの幸せを、俺も君に贈りたい。だから、これからもそばにいてほしい。俺を引っ張っていってほしい。愛する君と、ずっと共にいたい。いつも、そう思っているんだ」


優しい声色で話すクレスの笑みを見て、フィオナは何も答えられずぼうっとしていた。


 やがて、フィオナの口が小さく開く。


「……う」

「んっ?」

「う、う、ううぅぅぅ~~~~!」

「おっ? フィ、フィオナ? なぜ唸っているんだ?」

「クレスさんが、クレスさんがぁ、いつもいつも、嬉しいことばかり、優しいことばっかり、言ってくれるので、わたしは、嬉しくて、幸せすぎて、もう、こらえきれなくって、泣いてしまうんですぅ~」

「えっ? な、泣かないでくれフィオナ。君を泣かせたいわけではなかったんだっ! ええと、こ、こういうときはどうすればいいのだろう。だ、抱きしめてもいいのかな? と、とにかく落ち着こうフィオナ! 俺がいる!」


 おろおろしまくるクレスは、動揺しながらフィオナの肩を引き寄せる。フィオナはしばらく嬉し泣きが止まらなかったが、やがてまた笑顔を取り戻し、二人は笑いあって固く手を結んだ。



 そしてそろそろロッジ内に戻ろうと腰を上げたところで、フィオナが言った。


「クレスさん」

「うん?」

「あの、ですね……。実は、今日いろいろなところに寄りたかったのには、そのぅ、もう一つ理由がありまして……」

「理由? なんだい?」


 不思議そうにまばたきをして尋ねるクレス。


「はい……。その、村へ帰ったら、両親に……報告がしたかったんです」

「報告……」


 こくんとうなずくフィオナ。

 彼女は、自身の瞳いっぱいに夜空を映して言う。


「わたしは大丈夫だよって。こんなに幸せなんだよ。こんなに大切な人が一緒にいてくれるんだよって。そのためにも、クレスさんとの思い出を、もっとたくさん増やしたかったんです」

「……フィオナ」

「おかげさまで、両親に最高の報告が出来ます。クレスさんの笑顔も、わたしにたくさんの幸せをくれます。わたしの心をいつも満たしてくれます。あなたを好きになって、わたしは、本当に……幸せです。わたしの方が貰いすぎているくらいなんですよ。――だからクレスさん、ありがとうございます。いつまでも、あなたと共にいます」


 自身の胸に手を当てながら微笑みかけるフィオナを――クレスは強く抱きしめた。

 身を離すと、しばらくお互いを見つめ合い、それから口づけをした。

 二人の心臓は同時に脈を打ち、身体が熱を帯びていく。心と身体、そして魂が溶け合うのを二人は感じていた。


 世界中で最も綺麗な星空の下、二人はしばらくそのままでいた――。

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