第六章 実家に帰らせていただきます編

♯150 大切なお話

 太陽はその生命力を誇るように輝き、聖都はまだまだ暑い日が続いていた。

 クレスはどんな仕事だろうと懸命に働き、フィオナは家の仕事に専念しながら彼を支える。

 アカデミーではその頭角を現したレナがぐんぐん成績を上げ、すぐに追い抜かれてしまうのではないかと弱音を漏らすリズリットをエステルが指導。ヴァーンは気ままに女性をナンパしながらすっかり気に入った温泉施設に入り浸っている。セリーヌの店は水着の販売でさらに勢いを増し、来年のウェディングシーズンに向けてドレスの予約がいっぱいに。

 聖女ソフィアはいつも通りに忙しい毎日を送りながら、時折クレスたちを城へ招いて夜のお茶会を開いた。


 世界はとても上手く回っていた。

 だからフィオナは、とてもご機嫌だった。


「本当に、幸せそうな顔をしているわね」


 テーブルの対面で薄着のエステルがアイスコーヒーの氷をかき混ぜながらそう言う。

 バニラアイスの最後の一口を頬張ったフィオナがまばたきをした。


「そ、そうですか? このアイスがとっても美味しいからでしょうか。エステルさんが紹介してくれてよかったです! クレスさんにも、是非食べてもらいたかったなぁ」

「そういう意味で言ったのではないけれど……まぁいいわ。ところでフィオナちゃん、そろそろ時間ではないかしら」


 夕暮れも近いカフェの中、懐中時計に目を落としてつぶやくエステル。

 フィオナは「あっ」と手を合わせて小脇の鞄を手に取る。


「そうでした。エステルさん、今日は待ち時間にお付き合いしてくれて、ありがとうございました。ご相談することもできたので、とてもリラックスできました」

「カフェめぐりに付き合わせたのは私の方よ。それよりも、良い報告が聞けると嬉しいわね」

「は、はい! 良い報告ができるようにがんばります!」


 ふんす、と気合いを入れて両手を握るフィオナ。エステルは小さく笑ってから伝票を手にして立ち上がり、二人はそのまま会計を済ませて店を出る。



 エステルと別れたフィオナが向かったのは――カフェのすぐ近くにあった『治療院ホスピタル』。

 治療院とは、専門の医療知識や経験、そして医療魔術を十分に学んだ者が開業できる心身の治療施設であり、聖都の人々を怪我や病気から救うなくてはならない施設だ。もちろん、治療院によって取り扱う治療は様々であるが、フィオナは何も怪我や病気をしたわけではなかった。


「では……い、いきます……!」


 キッと眉尻を上げ、息を呑んだフィオナが入り口から治療院の中へ入っていく。

 入り口の看板には、『婦人専門治療院ラクゥ』と記されていた。



◇◆◇◆◇◆◇



 ちょうど日が沈んだ頃、フィオナは森の家へと帰ってきた。


「! フィオナっ! おかえり!」


 家の前で立っていたクレスが、小さな魔力灯のランタンを持ったままフィオナの姿を見つけて駆け寄ってくる。


「わっ、ク、クレスさん。ただいま戻りました」

「今日は一緒にいけなくてすまない! やはり仕事を休めばよかったとずっと思っていたんだ。大丈夫だったかい? 一人で不安ではなかっただろうか」


 フィオナの手を握って心配そうに見つめるクレス。

 少々呆気にとられたものの、その気遣いが嬉しいフィオナはすぐに笑顔を見せた。


「大丈夫ですよ。治療院はデリケートな場所ですから、他の方の迷惑にならないよう一人で行くと言ったのはわたしですし、気にしないでください。えっと、ひょっとして、ずっと外で待っていてくれたんですか?」

「ああ。どうにも落ち着かなくて……。やはり次からは必ず一緒に行く。治療院では外で待っていれば問題はないだろう。それより早く家に入ろう。身体を冷やしてはいけないからね。さぁ、フィオナ」

「は、はい」


 誘われるまま、フィオナはクレスに優しく手を引かれて家に入っていった。



「美味しいです……! このハーブティー、クレスさんが淹れてくださったんですか?」

「うん、以前リズリットさんから女性の身体に良いものを教えてもらってね。淹れ方も一緒に教わったんだ」

「そうでしたか。リズリットは、お茶やハーブのことに詳しいですからね。ふふ、いつの間にかそんなに仲良しになっていたんですね」

「たまに街で会うんだ。このハーブは身体を温めながら精神を穏やかにしてくれるらしくてね、他にも良いものを覚えてきた。ほんの気休めにしかならないかもしれないが……」


 ティーカップを持ったフィオナに熱弁するクレス。

 フィオナは少々唖然としながらも、くすっと笑ってからハーブティーの味と香りを堪能する。


「いいえ、そんなことはありませんよ。クレスさんの心遣いが嬉しいです」

「そ、そうか。それなら良かった。俺は、本当に家庭のこととなると何も出来なかったから、こうして、夫として少しでも君を支えられるように成長していきたいと思う。いずれ人の親になろうというのなら、なおさらだ」

「クレスさん……」


 彼の真剣な表情を見て、フィオナはカップをテーブルの上に置く。

 それから姿勢を正して、口を開いた。


「クレスさん。大切な、お話があります」

「う、うん。そうか。そうだね」


 クレスにしては珍しい、緊張した面持ちである。だがそれは、どこか覚悟を決めたような男らしい顔つきにも見えた。


 フィオナは両膝に手を置いて、静かな美しい瞳でクレスを見つめる。


 そして――



「わたし……実家に帰らせていただこうと思います」



 その言葉を聞いて。


 石像のごとく固まったクレスは――そのまま椅子ごと後ろへひっくり返った。

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