♯149 レナは妹がほしい
クレスとフィオナの家からレナが離れて早三日。
クレスは街で慣れない講演の仕事をこなしたあと、かつて恋愛について師事した騎士を目指す少年ケインに稽古をつけ、街がオレンジ色に包まれる時間に森の家へと帰宅した。
「ただいま」
玄関扉を開け、いつもの挨拶を済ませるクレス。途端に扉にかけられた魔術が発動し、自動的に扉がしまって鍵がかかる。以前、二人はある場面を家具屋に見られたことがあり、以来、フィオナが魔術で鍵をかけるようになったのである。
キッチンには、髪を結んだエプロン姿のフィオナ。家の中は今日も非常に片付いている。
クレスに気付いたフィオナは指先をササッと振って魔力を調整し、鍋にかけていた火を止めてからパタパタとクレスの元へ駆け寄ってきてくれる。
「おかえりなさい、クレスさん!」
嬉しそうにクレスを見上げる瞳が輝く。
クレスの荷物を受け取った甲斐甲斐しい若妻フィオナは、すぐ異変に気付いた。
「ちょうど夕食が出来たところで……ふふっ。クレスさん、なんだか寂しそうですね」
「え?」
言われた方のクレスが驚いて目を見張る。
フィオナはくすっと小さく笑う。
「帰ってきて、すぐに家の中を見渡していました。レナちゃんを捜していたんじゃないですか?」
「あ……ああ、そうかもしれない」
「以前は、レナちゃんも一緒に出迎えをしてくれましたからね。ひょっとしたら、レナちゃんがいなくて寂しいのではないかと思ったんです。そんな顔に見えました」
「なるほど……寂しい、か。確かにそうかもしれない……」
顎に手を当てて思案するクレス。
自分でも気付いていなかった行為を指摘され、クレスは納得と同時に感心した。自分がそういう感情でいたことと、それを見抜いた妻の慧眼にだ。
あれからレナは一度もこの家へ遊びにきてはいないが、アカデミーでは以前よりも精力的に活動しているらしく、『先生』を目指してモニカにあれこれ教えてもらっているようだ。そのことはクレスとフィオナの耳にも届いている。というのも、つい昨日、モニカがアカデミーを代表してわざわざお礼に現れてレナのことを話してくれたのだ。
「クレスさんが、すっかりレナちゃんのパパになっていた証拠ですね。きっと、また遊びに来てくれますよ」
「うん……そうだな。けど、俺よりも君の方が寂しいんじゃないだろうか。フィオナはレナをとても可愛がっていたし、俺には本当の母娘のように見えていたよ」
「ありがとうございます。嬉しいです! もちろん、わたしも寂しい気持ちはありますけれど、今は……レナちゃんを見守りたいです」
「見守る……か」
「はい! アカデミーでとても頑張っているとモニカ先生も仰っていましたし、アカデミーの先輩として、そしてママ代理として、子どもの成長を応援しなくちゃって思っています!」
両手をぐっと握って愛らしく微笑むフィオナ。
そんな妻の姿に、クレスはもはや感動すら覚えた。女々しく感傷に浸っていた自分とは違い、フィオナは常に未来を見ている。別れのときに見せた涙はもうない。立ち止まることない彼女の凜々しさは、クレスの心を鼓舞するのに十分な力を持っていた。
「フィオナ」
「はい、何でしょう? あ、もうごはんにしますか? それとも先にお風呂にしましょうか。お背中流しますね!」
「ありがとう。でも先に、君が欲しい」
そう言って、クレスはフィオナのことを優しく抱きしめた。
「ふぇっ。………………え? く、く、く、くれすしゃん……!?」
こんな帰宅時のやりとりは初めてだったためか、フィオナは困惑していた。身動きが取れないまま、何度も目をパチパチとさせる。頬が赤くなっていった。
「わ、わ、わ、わたしって……そのっ、そ、それって……!」
クレスの言葉がどういう意味を持つのか。フィオナがそれを確かめようとすると、クレスは目を閉じたままささやくように言う。
「俺は……たぶん、『家族』というものに、強い憧れを抱いていたと思う」
「……え?」
「幼い頃から、俺は母と二人だけの生活をしてきた。母がいなくなってからは、常に一人だった。旅の中ではいろんな仲間とも出会ったが……それでも、俺はいつも“独り”だったと思う。だからだろうか。父と母、そして子のいる温かな家庭を、心のどこかで夢想していたのかもしれない。フィオナと……そしてレナと生活するようになって、初めてそれがわかったんだ」
「クレスさん……」
「平和な日常というのは、素晴らしいものだ。かけがえのないものだ。君とこうしていられる時間が、俺を救ってくれる。フィオナの温もりや、優しい声、甘い香りが、いつも俺に幸せをくれる。ありがとう。俺の家族になってくれて」
クレスは、全身で何かを確かめるようにフィオナを抱き寄せる。
するとフィオナもまた、穏やかに微笑んでからまぶたを閉じ、クレスの背に手を回す。
「おかえりなさい、クレスさん。今日も一日、頑張りましたね」
「うん。ただいま、フィオナ」
「夕食は、クレスさんの好きなチキンシチューですよ。お昼にパンも買ってきてありますので、一緒に食べましょうね」
「うん」
「一緒にお風呂に入ったら……後は……ふふ。いっぱい、甘やかしてあげますからね。大丈夫。わたしが、クレスさんの『家族』を守ります。だから、たくさん幸せになって、もっともっと、素敵な家族になりましょう」
「うん」
二人はしばらくそのまま抱き合い、お互いの心音を重ね合っていた。
やがてそれぞれが身を離したところで、フィオナがあっと気付く。
「クレスさん。今日は講演のお仕事のみ……でしたよね? それにしては、少し服が汚れてしまっていますね」
「ん、ああ。講演の後に、ケインと少し剣を振ったんだ。以前から約束していてね、彼も、騎士学校で学びを深めているらしい」
「そうだったんですね。でしたら、やっぱり先にお風呂にしましょう。もう着替えは用意してありますから、ここで脱いでいきましょうか」
「わかった」
それからフィオナが積極的にクレスの脱衣を手伝い、まずはクレスが腰にタオルを巻いただけの状態となる。続いてフィオナもエプロンを外し、衣服に手を掛け、肩を晒したところで――鍵を閉めていたはずの玄関扉がガチャリと開いた。
「「え?」」
ほぼ全裸のクレスと半裸のフィオナが同時にそちらを見る。
すると、扉から半分だけ顔を覗かせていた少女が大きく目を開き――それからニヤリといやらしく笑った。
「――レナ、妹のほうがいいな。がんばってね」
それだけ言って、少女――レナは扉を閉めてしまう。
クレスとフィオナは顔を見合わせ、それから慌てて扉の方に駆け寄った。
――その後、“三人家族”で久しぶりの楽しい食事を済ませたが、レナは二人のことを気遣い、それだけですぐ街へ戻っていってしまった。
「レナちゃん、本当にすぐ帰っちゃいましたね……」
「ああ……そこまで急ぐこともなかったと思うのだが……」
食事を終えたクレスとフィオナの二人は、外にある湯浴み小屋にいた。
レナはもう帰ってしまったため、二人きりである。沸かしたばかりの湯船からもわもわと湯気が上がっていた。
クレスはフィオナに背中を洗ってもらいながら、真剣な顔をして悩む。
「うーむ。しかしレナが妹をほしがっているのはわかったが、それでなぜ、俺に何度も『がんばってね』と言ってきたのだろう」
「え? そ、それはですね」
「フィオナはわかるのか?」
「は、はい。あの、つまりですね……」
クレスの耳元でごにょごにょと説明をするフィオナ。その顔はほんのりと赤い。
するとクレスは得心したように手を叩いた。
「おお、なるほど! そうか。俺とフィオナに子作りを励めと、そういう意味だったのか。さすがレナ、あの年で物知りだな」
「そ、そうなんですけど、直接口にすると恥ずかしいですよう~!」
「ん? そ、そういうものなのかい? なら、フィオナは嫌かな」
「え、えっ?」
後ろを振り返るクレス。
ボディタオルを泡立てたままのフィオナが、目を丸くした。
「俺は、君と一つになりたい。フィオナのことを、愛しているから」
濡れた金髪をさらりと掻き上げて、純粋な笑みを浮かべるクレス。
「…………はぅぅっ!」
思わず胸元を押さえるフィオナ。
こんなことを真面目に、そしていやらしさの欠片もなく実直に伝えられるクレスという稀有な存在は、フィオナの高鳴るハートをいともたやすく掴んだ。いや、元々掴まれていたのでさらにしっかり掴まれた。それはもうがっちりと。
だから、フィオナの答えなど最初から一つしかない。
「クレスさん…………はいっ!」
フィオナが飛びつくようにクレスへと抱きつき、クレスは慌てて彼女を受け止める。
レナにからかわれるように妹をせがまれたこともあってか、その晩、二人は(主にフィオナが)久しぶりに奮起することとなるのだった。
――それから少しの時間が経ち。
二人は、仲良く湯船に浸かっていた。
クレスは多少疲れた様子であるが、フィオナは晴れやかな肌つやも良い表情でニコニコとご機嫌に笑っている。そんな彼女を見て、クレスはもっと鍛錬を積もうと心に決めていた。
そこでフィオナが不意に言う。
「ところで、クレスさんはどちらがいいですか?」
「ん? それは何の話かな」
「はい。わたしたちの、子どものことです。レナちゃんは妹がほしいと言っていましたけれど、クレスさんには、男の子か女の子か、希望はありますか? ま、まだこんな話は早いかもしれませんけれど」
「そういうことか。うーん……それはあまり考えたことがなかったな。だが……」
「だが……?」
「もしも男の子なら、剣を教えてやりたいと思う。強くなって、女性を守れるように。俺に出来るのはそれくらいだからね。逆に女の子なら、やはり、フィオナのように可憐で優しい子に育ってほしい。ううん……こう考えてみるとどちらも魅力的だね。二人とも……というのは、欲張りなんだろうか」
そんなクレスの出した答えに、フィオナが何度かまばたきをする。
二人が今夜こうした状況になっているのは、レナの一言があったからこそだ。
『妹がいいな』
そのたった一言が、しかし二人を燃え上がらせた。
フィオナは嬉しそうに手を合わせて朗らかに笑う。まとめあげられた銀髪が一度ふわりと揺れた。
「いいえ、そんなことはありませんよ! わたしも、同じ思いです。世間一般的には一男一女をもうけるのが良いと言われていますし、うん、そうですね。とっても素敵な家族になれそうです!」
「そうだね。だが、そうなると君に大きく負担をかけてしまうな……。俺の母も、俺一人を育てるだけでも大変だったはずだし……。出産も、とても大変なものだと聞く」
「ご心配、嬉しいです。けれど、大丈夫ですよ」
フィオナが身を寄せ、クレスの頬をそっと撫でた。
「辛いことなんて、ありません。わたしの中にあなたの子を宿すことができたなら、それほど嬉しいことはないんです。だから――」
二人の唇が、近づいていく。
――そのまま、二人はお互いのことだけを想い合って朝まで過ごした。
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