♯148 別れの朝、心の輝き

 雲一つない晴天。今日もまだまだ暑いくらいの日だ。


 クレス、フィオナ、レナの三人は最後の朝食を済ませた後、持って帰るレナの荷物を簡単にまとめ、制服姿のレナと普段よりもだいぶ早く街へ出た。

 早朝の街はガランとしており、ミルク売りなどを除けば人通りもほとんどなく、普段の喧騒はまだ感じられない。そんな街の石畳を、三人はゆっくりと手を繋ぎながら歩いていた。


 やがて辿り着いたのは『聖究魔術学院アカデミー』――ではなく、閑静な教区内にある立派な平屋建ての施設。隣には、小さな教会も置かれている。

 ここは身寄りのない子を預かる、教会の孤児院。

 かつて、レナが身を置いた場所だ。


「レナちゃん……」

「だいじょうぶ」


 フィオナのささやきに、手を握って応えるレナ。

 それからレナはクレス、フィオナと繋いでいた両手を離し、一人で歩き出す。まだ時間が早いこともあり、孤児院は門すら開いてはいない。

 そして、今まさに開門作業へやってきたであろう一人のシスターが、門の前に立つレナを見てひどく驚き、慌てて施設の中へ戻っていく。レナはそれを静かな瞳で見つめていた。


 するとそんなとき、アカデミー方面の街路から声が聞こえてくる。


「レナちゃぁ~ん! おはようございまぁ~~~す!」


 高い声と手をあげながら走ってくるのは、制服姿のドロシー。肩に掛けた鞄がぽてぽてと揺れ、スカートがなびく。

 微妙な下り坂だったためか、ドロシーは途中で思いきりつまづいて転び、後ろから追いかけていたアイネ、ペール、クラリスが慌ててドロシーを介抱する。四人とも、今では“友達”と呼べるレナのクラスメイトたちである。


「えへへ、またドジしちゃいました。おはようございます、レナちゃん!」

「おはよ。だから、ドロシーはいつもあわてすぎ。朝からこんなケガしちゃって、バカじゃないの」


 テレテレと頬を赤らめるドロシーに、呆れたようにため息をつくレナ。口ではそんなことを言いつつもすぐにドロシーの膝にハンカチを当て、汚れを払っていた。それから一番焦っていたフィオナがすぐにドロシーのすりむけた膝小僧に治癒魔術をかける。ドロシーがお礼を言うと、フィオナはホッとした顔で微笑み返した。


 それからアイネたちとも挨拶を済ませた後、金髪のクラス長であるアイネが孤児院の方を見て尋ねる。


「レナさん。モニカ先生はまだみたい?」

「うん。でもたぶんもう出てくると思う。――ほら」


 レナがそちらに視線を送ると、皆も一様に孤児院の方へ顔を向ける。

 するとレナの言うとおり、シスターに案内されたモニカがアカデミーの白衣を腕に通しながらバタバタと慌てた様子で現れた。寝ぐせのついた髪がぴょこんと跳ねたままである。


 シスターが門を開け、モニカが呼吸を整えながらこちらにやってくる。


「あれあれあれ~! レナさんにドロシーさん? あらみんなも! それにクレス様とフィオナさんまで!? え~みんなどうしてここにいるの! あっ、ひょっとして今日が校外学習の最終日だってわかってて迎えにきてくれたの!? あぁ~ん嬉しいな~~~!」


 答えも訊かずにレナに抱きつき頬ずりをするモニカ。レナはイライラした様子で目を細めていたが、あえてされるがままになっていた。

 くすくす笑うアイネが代表して答える。


「はい、そのとおりです。今朝からようやくモニカ先生の授業も再開されるので、クラスを代表して私たちがお迎えにきました」

「えー本当にそうだったの!? じょ、冗談のつもりだったんだけど!」

「せんせ! これはレナちーが提案したんだよ~!」

「そうなのですわ。レナさんが私たちにも声を掛けてくださいまして」


 ペールとクラリスが言葉を添え、モニカはそれはもう驚いたように目を丸くした。それからすぐプレゼントを貰った子どものように純粋な明るい笑みを見せる。


「レナさん……昨日はわざわざ旅行の報告までしてくれて、今朝も先生のために……うううう! レナさんも良い子に育ったねぇ~~~! もういっぱい花マルあげちゃう~!」

「べつに。ここに用事があっただけだから。ついでだよ」

「んも~照れちゃってぇ!」


 ベタベタくっついてくるモニカの愛情にレナは鬱陶しそうな顔を見せるが、それでもモニカから逃げるようなことはしない。


「そして! レナちゃんをこんな良い子に育ててくれたフィオナさんも本当に良い子! ほらほらおいで! 二人ともなでなでしたげる!」

「ええっ? わ、わたしはいいですよモニカ先生!」

「遠慮しないの! ドロシーさん、アイネさん、ペールさん、クラリスさんもおいでおいで~! 先生の可愛い教え子たち! みんなは先生の自慢なんだよ! うふふ、アカデミーの講師になれてよかったぁ!」


 フィオナたちは顔を見合わせ、それから苦笑してモニカの元へ向かう。モニカは嬉しそうに全員を平等に可愛がり、その光景にシスターたちがポカンと呆けた顔を浮かべていた。また、一人腕を組みながらうんうんとうなずいていたクレスさえもモニカに手招きされてしまうのであった。



 そんなモニカの可愛がりも落ち着いたところで、モニカはシスターたちに挨拶をし、見送りにきてくれた孤児院の子たちにも別れを告げる。何度も来ていることもあり、モニカは孤児院の幼子たちによく懐かれていたようだった。


 しかし、そんな幼子たちもレナの姿を見ると怯えたように身をすくめる。

 その中には――かつて、レナの魔力でケガをした者たちもいた。そのときの話は、当然ながら孤児院にいるすべての者が知っている。


 そのとき、レナが一歩前に踏み出す。

 それから、静かに頭を下げた。


「ごめんなさい」


 突然謝ったレナの姿に、孤児院の子どもたちがキョトンとなる。同時に、モニカが自分の口を隠すように手で覆った。


 頭を上げたレナが続けて話す。


「前にレナの力でケガをさせちゃったから。こわがらせて、ごめんなさい。あのときは、からかわれて怒ったけど……レナのこと、こわがらずにあそぼうとしてくれたのは、知ってるから。その、ありがと」


 淡々とした声で、笑いかけるようなこともしなかったが、それでも、真剣に話したレナの気持ちは子どもたちにも届いたのだろう。彼らはレナを許してくれた。ここにいるのは、元々家族を失って人の温かさや優しさには特に敏感な子どもたちなのだ。だから、レナが心から反省していることもすぐにわかってくれたのだろう。

 

 モニカがレナの頭を撫でた。


「レナさん、エライ! 短い間に、とっても成長したんだね!」

「ふつうだよ」


 レナがほんのり顔を赤く染め、途端に場が温かな空気に包まれる。クレスやフィオナたちも、安心して笑うことが出来たのだった。



◇◆◇◆◇◆◇



 それから孤児院を後にして、クレスたち一行は揃ってアカデミーに。

 クレスとフィオナの二人は、アカデミーの正門前で足を止めた。基本的に、アカデミーには関係者以外立ち入ることが出来ない。たとえ知り合いと一緒だとしても、以前のように特別な事情がなければ不可能である。


 つまり――ここが“家族”の別れの場所だった。


「クレス様、フィオナさん。この二週間、レナさんと一緒に過ごしてくれて本当にありがとうございました! やっぱり私の目に間違いはなかったわ!」


 両手でクレス、フィオナと握手をするモニカ。

 それからクレスとフィオナの二人は、それぞれレナに声を掛けた。


「レナ。君はきっとフィオナのように立派な魔術師に――いや、素敵な女性になれる。遠慮なく、またうちに遊びにきてくれ」

「レナちゃん。少しの間だったけれど、一緒に暮らすことが出来て、とっても楽しかったよ。クレスさんの言うとおり、いつでも遊びにきてね。待ってるね」


 それぞれ、名残惜しそうにレナと抱擁をかわす。

 それからクレスが家の合い鍵を渡した。フィオナが魔力を込めた特別なもので、紐のついた鍵はネックレスのように首にかけられるようになっている。


「……うん。お風呂も、お料理も好きだったし。また、いこうかな」


 レナの言葉を聞いて、愛情深いフィオナは既に涙を必死に堪えている状況だった。クレスも涙こそ見せないが、心寂しいのは間違いない。


 レナは――鍵を小さな手でギュッと握りしめ、自分の首にかけると、顔を上げた。


「あのね。レナ、決めたことがあるの」


 彼女の言葉に、全員が彼女のほうを向く。

 レナは言った。



「レナ、先生になる」



 全員が息を呑む。


 輝いていた。

 朝日を受けて、レナの大きな瞳がキラキラと輝いていた。


「フィオナママみたいにいっぱい魔術の勉強して、クレスパパみたいにたくさん身体をきたえて、モニカ先生みたいな先生になる。それで、本当のパパとママみたいに立派なオトナになる。人でも魔族でも、みんな一緒にいていいって教えてあげる。だから、見てて」


 レナが、フィオナとクレスの手を握る。

 まだ小さなその手は――それでも、力強く成長していた。


「フィオナママ。クレスパパ」


 レナの目から、ポロポロと涙が落ちる。

 頭部から『夢魔』の角が出現し、背には『吸血鬼』の翼が顕現する。強い魔力は暴走することもなく、しっかりとレナの身体に息づいていた。


 レナは変わった。

 かつての自分を受け入れ、今の自分を肯定し、大切な人たちと共に、前へ進むことを決めた。

 心の強さは――その輝きは、魔術のレベルを劇的に高める。そして、何よりも人を成長させる。


 彼女は笑った。

 自分のすべてを誇るように、誰よりも眩しく、輝く笑顔で笑った。



「レナのたいせつな家族になってくれて、ありがとう。すっごく、幸せだった!」


 

 フィオナが真っ先にレナへ抱きつき、クレスもそれに続く。モニカは声を上げてわんわんと泣き出し、ドロシーが嬉し泣きしながらパチパチ拍手をして、アイネ、ペール、クラリスも同じように目を光らせながらレナを祝福する。登校中の生徒たちが何事かと目を見張り、やがて騒ぎの様子を見に他の講師陣までやってきてしまう。それでも、レナはしばらくの間、クレスとフィオナと共に抱き合っていた。 

 

 こうして、クレスとフィオナの短い子育ては終わりを迎えた――。

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