♯151 まだ見ぬ未来

 ゴン、とにぶい音を立ててクレスの後頭部が床を叩いた。


「わぁっ! ク、クレスさん!? 大丈夫ですかっ!」


 慌てて立ち上がったフィオナが、倒れたクレスを救出に向かう。

 抱き起こされたクレスは身動きを取ることもなく、青ざめながらつぶやいた。


「すまない……フィオナ……。俺が至らないばかりに……君を、そこまで追い詰めてしまっていたとは……」

「え?」

「二人の生活が終わるということは……つまり、離婚……。俺は、君の育てのご両親と、生みのご両親に、なんと謝罪すれば……」

「り、離婚!? わぁ~~~違いますよクレスさんっ! ごめんなさいそういうことではなくて! ああ、紛らわしい言い方をしてしまってごめんなさい! とにかくそういうことではないんです~~~!」


 絶望のあまり生気さえ失い始めたクレスへ、必死に謝罪と説明を始めるフィオナ。


 やがて生気とまともな顔色を取り戻したクレスは、ようやくフィオナの言いたいことを理解した。



「――む。子どもが……出来ない?」



 ベッドの上で肩を並べて座る二人。フィオナがこくんとうなずいてから話した。


「はい……。わたしたちも、夫婦としてそれなりの時間を過ごしてきましたので、その、そ、そろそろ……あるかなって、思っていたんです。兆候も、ちょっぴりだけ、あったので」


 もじもじと頬を赤らめるフィオナ。クレスは彼女に寄り添って話を聞く。


「ああ。俺もその覚悟はしていた。だから今日は、君が治療院から帰ってくるのを待っているのがもどかしいほどだったんだ」

「そ、そうですよね。エステルさんたちも期待してくれていたみたいで……。ただ、治療院の先生に診ていただいたところ、どうも、わたしは、子どもが出来にくい体質みたいで……」

「体質? ま、まさか何かの病気なのかい!?」

「あ、ち、違いますよ。診察の結果、身体は至って健康体なんだそうです」


 思わずフィオナの腕を掴んだクレスは、その返答にホッと胸をなで下ろした。

 フィオナは続けて話す。


「けれど……身体の中で、常にわたしの濃度の高い魔力が巡っているそうなんです。おそらく、それが生殖能力にも影響しているのではと……。それは、普通の魔術師ではなかなかないことなんだそうです。それで、察しがつきました。たぶん……禁忌魔術のせいだと思うんです」

「……!」


 フィオナのつぶやきに、クレスは目を見開いて驚く。


「【結魂式メル・アニムス】の魔術は、常に体内で微量の魔力を消費し続けています。長い間その魔力に晒されたことで、わたしの身体に影響が出ているのかもしれません。クレスさんが小さくなってしまったときのように……」

「なるほど……俺のときもフィオナの魔力の影響だったね。そういうことなのか」

「はい。これは、クレスさんとわたしを繋いでくれている力……。たとえ禁忌の力でも、この魔術のおかげで、わたしはクレスさんと一緒にいられます。でも、でもそのせいで……」


 フィオナはそっと自分の腹部に触れながら、目を伏せた。


「もしかしたら……わたしでは、クレスさんとの子どもを授かることが出来ないのかもしれません……。ごめんなさい、クレスさん。たくさんわたしを愛してくれて……期待してくださっていたのに。わたしが、クレスさんの家族を守るって言ったばかりなのに」


 クレスの方を向いて弱々しく微笑むフィオナ。


 すると、クレスは何も言わずにフィオナを抱きしめた。突然のことにフィオナが短い声を上げる。


「ク、クレスさん……?」

「何も謝る必要なんてないよ」

「え……?」

「確かに期待はあった。親になる覚悟をしていた。しかし、たとえ子どもが出来なくても、何も変わらないよ。俺たちは、家族だ。前にも言ったね。君がいてくれるなら、他には何も要らない」


 クレスがゆっくりと身を離す。

 それからクレスはフィオナの前髪をそっと横にずらし、彼女の潤んだ瞳を見つめながら言った。


「俺は君を守るために――君を笑顔にするために生きることを誓っている。だから、君に悲しい顔をさせたくはない。子どもはもちろん大切だが、それ以上に君のことが大切だ」

「クレス、さん……」

「どうやら俺も、知らず知らずのうちに欲張りになっていたようだ。以前、子どものことはゆっくり考えようと話合ったはずなのにね。君の夫として、もっと鍛錬を積まなければならないな」


 微笑みかけるクレスに、フィオナの瞳がさらに光を増す。

 今度は、フィオナの方から「えいっ」とクレスに抱きついた。その勢いにクレスが「おわっ」とバランスを崩し、二人は並んでベッドに倒れる。


 横になった状態で目を合わせた二人。

 しばらく無言で視線を合わせていると……やがてフィオナがくすくすと笑いだし、クレスもつられるように笑った。そこにはもう、沈んだ空気は存在しない。


「もうっ。クレスさんは、わたしを甘やかしすぎですよ。優しすぎます!」

「そ、そうかな?」

「そうです。そういうのはわたしの役目なんですからね。でも……」


 フィオナがクレスの頬に手を添え――そっと、クレスと唇を重ねる。

 それから、彼女はとびきり愛らしく笑った。


「ありがとうございます。とっても、嬉しかったです。勇気が出ました!」

「――そうか。ならよかった」

「ふふっ。それに、わたしたちにはレナちゃんもいますからね。妹が出来なかったらがっかりさせちゃうかもですし、がんばります!」

「ああ、そうだね」


 そのままベッドの上で横になったまま笑いあう二人。

 やがてクレスの方から言った。


「それでフィオナ。これからどうするつもりなんだい? 実家に戻るというのは、そのことが関係しているんだろう?」

「あ、はい。その前に……一つ、思い出したことを聞いてもらえますか?」

「うん」

「以前、レナちゃんたちと海に行ったときのことなんですが、わたしはあのとき魔王に――メルティルさんにこう言われました」


 続くフィオナの言葉を聞きながら、クレスも同時にあの時のことを――魔王メルティルが二人の前から去るときの言葉を思い出す。



『貴様は嫁として一つ素養が欠けている。その血が知りたければ、寿命の尽きぬうちにアルトメリアの里を見つけるのだな』

『え? そ、素養?』

『あとは勝手にしろ。妾は借りをつくらん』



 クレスはハッと何かに気付いたように上半身を起こし、早口で尋ねる。


「フィオナっ。まさか、その素養というのが君の身体に関係があると……!?」


 フィオナもまた身を起こし、静かに首を縦に下ろして肯定する。


「ひょっとしたら、メルティルさんには何か視えていたのかもしれません。『アルトメリアの里』に何があるのかはわかりませんが、そこに行けば、わたしでも子どもが作れる方法を見つけられるのかも……と。ごめんなさい、ただの思いつきなのですけれど」

「なるほど……いや、よくわかったよ。魔王とはいえ、ヤツが言うことならば何か意味があるのだろう。俺のことも正しく見通していたしな。その里へ行こうという話だね」

「はい。ただ、アルトメリアはとても珍しいエルフさんたちです。隠れ里があることは聞いたことがありますが、それがどこにあるかなんて聞いたことはありません。クレスさんは、どうですか?」


 尋ねられて過去の記憶を呼び覚ますクレス。

 アルトメリアのエルフは現代において大変に貴重な種であり、たとえ大陸中を見てきたクレスでも思い当たるものはなかった。


「いや、俺もそれなりに旅を続けてはきたが、アルトメリアたちに出会ったことはないな……。むう。となると一体どう探せばいいものか……」

「やっぱりそうですよね……。でも、一つだけ手がかりがあるんです」

「手かがり?」

「はい。実はわたしの実家は――あ、聖都にあるベルッチの家ではなくて、リンドブルームの家のことなのですけれど」

「ん? ――ああ、ひょっとして実家というのはそちらのことだったのかい?」

「そ、そうなんです。ごめんなさい紛らわしくて。クレスさんと初めて出会った、あの村のことです」


 そのとき二人の頭には、懐かしい記憶が蘇っていた。


 出逢いの場所。

 二人が始まった場所である。

 そこには戦いの記憶が残り、悲しい思い出がある。フィオナにとってもクレスにとっても、決して良い記憶ではなかった。それでも、大切な記憶である。

 フィオナはそんなかつての故郷を思い出しながら話す。


「これは村の外に漏らしてはいけないと言われていたのですが、実はあの村は……アルトメリアの血族が作ったと言われていたんです」

「何? そうだったのか? ごく普通の小さな村に見えたが……」

「わたしも詳しいことはわからないのですが、母が小さな頃にそう教えてくれたのを覚えています。それが本当のことなら、わたしもアルトメリアに関係のある血筋なのかもしれません。今思えば、あんな辺境地になぜ村を作ったのかも不思議ですし……メルティルさんが『アルトメリア』のことを口にしたのも、偶然ではないように思えるんです」

「ふんふん……確かにそうだね」

「もうあそこは廃村になっているはずですが、何か残っているかもしれません。今までは、あまり思い出すこともしないようにしていましたが……この機会に、一度、戻ってみたいんです」


 胸の前でぎゅっと手を握るフィオナ。


 そこまで聞いて、クレスはようやく得心がいったようだった。

 つまり、フィオナの『実家に帰る宣言』はクレスに愛想を尽かせてベルッチの家に戻るというわけではなく、かつての故郷に里帰りするという意味だったのだ。

 家族や仲間を失った場所。そこに戻ろうという決断に、フィオナの決意が込められているのもクレスにはよくわかった。


 クレスは何度かうなずき、その場で結論を出す。


「……うん、そういうことか。よくわかったよフィオナ。なら、近いうちに二人で君の故郷へ行ってみよう!」

「い、いいんでしょうか? 生活も安定していたのに、わたしのわがままで、また家を空けることになってしまいますが……」

「その程度のわがままならいくらでも聞くさ。君と、君の子どもといられる未来があるならば迷わず進む。いつも前を見ている君に、俺もついていかせてくれ。君を産んでくれたご両親にも、改めて挨拶をしたいからね」

「クレスさん…………はいっ! ありがとうございます!」


 手を取り合う二人。身を寄せるフィオナの肩を、クレスが優しく引き寄せた。

 すると、ベッドの上にぺたんと座ったままのフィオナが、ぼそぼそと口を開く。


「……あのぅ、クレスさん……」

「うん?」

「その……えっと、もしも、もしもわたしに子どもを作ることが出来なくても……その……」


 フィオナが手を合わせながら、ほんのりと熱の宿る瞳で上目遣いにクレスを見つめた。



「これからも……わたしのことを、愛して、いただけます……か?」



 羞恥と、不安と、情愛の入り交じった切ない瞳。


 クレスは即答し、フィオナはパァッと顔を輝かせる。



 こうして二人は、まだ見ぬ子どもとの未来を夢見て、新たな旅に出ることを決めたのだった。

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