♯142 何のために生きるのか



 眼光だけで相手を殺してしまいそうな魔王はクレスの真ん前まで来て足を止め、背伸びをしてクレスの鼻をぐいっと強く押した。ぐいぐいぐい押しまくった。


「貴様はッ! ほんっとうにしつこいヤツだな!! 妾がどれだけ痛めつけ何度追い返そうとも城へきおってからに、やはりあの頃から何も変わっておらんわ!」

「ふ、ふごっ?」

「その頭は空か!? 妾に関わるなとどれだけ言えば理解出来る! 貴様のような阿呆が生き延びて今ここにいる奇跡を強く認識しろ!!」

「ぐっ、な、なにをっ」

「妾が貴様を嫌う理由と先ほどの言葉の意味を教えてやる! 貴様には“個”という本能がないのだ!」


 詰め寄ってくる魔王の言葉にハッとして身を引いてしまうクレス。


「貴様は人の身でありながら“勇者”に魂を支配された! 仲間を捨て一人で妾の城に乗り込んできたのが良い証拠であろう! “個”の価値も理解出来ん正義の傀儡だ! そんなもの人ではない! やはり何も変わっておらん妾の勘違いであったわっ、嗚呼くだらんくだらん真にくだらん心の底から愚かしい! 貴様こそ己が何のために生きているのかよく考えろッ! その指輪は飾りか馬鹿め!!」


 休むことなく放たれる魔王の言葉に何も言い返すことが出来ないクレス。

 自分の左手を見下ろせば――そこには誓いを込めた指輪が光る。

 そして、すぐそばでフィオナが心配そうにクレスを見つめていた。

 

 魔王はそんなフィオナの方に視線を移して叫ぶ。


「貴様もだ! この阿呆の嫁ならばもっとしっかり躾けておけ! この男をまともな人間にしてみせろそして二度と妾に関わるな話しかけるな興味関心を持つなよいな!!」

「ほぇっ!? は、はははい!」


 いきなりのことに目を丸くするフィオナたち。突然命令されたフィオナは思わず背筋を伸ばして返事をしてしまった。


 魔王は「はぁはぁ」と呼吸を整えた後、ぐぐっとクレスへ顔を寄せて言う。


「ふん、まぁいい二度と会うこともなかろうからな。それに、貴様には一つだけ“借り”がある。何よりあまりにも人間らしい愚問をしてきおったから最後に特別に答えてやる。二度はない。よいかよく聞け」

「……っ!」


 ごく、と生唾を飲むクレス。それはおそらく先ほどの質問のことだろうと思われた。


 魔王の唇が開いて――

 


「美味い『スイーツ』を食べ尽くすためだ」



 それだけを告げて。

 魔王がクレスの元から離れると、魔王はチラッとフィオナを一瞥して言った。


「貴様は嫁として一つ素養が欠けている。その血が知りたければ、寿命の尽きぬうちにアルトメリアの里を見つけるのだな」

「え? そ、素養?」

「あとは勝手にしろ。妾は借りをつくらん」


 わずかばかりの笑みを残した魔王は、そのままメイドの元へと戻っていく。それからはもう振り返ることはなく、最後にリィリィが深々とおじぎをして、二人は夜の闇に消えていった――。


「……すいーつ?」


 ポカーンと呆けながらつぶやくのは、クレス。

 そんな彼の隣で、フィオナが呆然としてからくすりと笑った。


「あの人は、もう『魔王』ではなく、普通の女の子……なのかもしれませんね。どうやら、お昼のデザートを気に入ってもらえたみたいです。そ、素養っていうのが何のことかはよくはわかりませんけど……」

「……フィオナ」

「クレスさん。わたしにとって、クレスさんはいつだって『勇者』です。けれどもう、普通の人になってもいい。以前にわたしはそんなことを言いましたけれど、魔王あのひとも、ひょっとしたらクレスさんにそういうことが言いたかったのかもしれませんね」

「……勇者から、人間に…………俺は……何の、ために……」


 フィオナにそう言われたことで、クレスはようやく魔王の言いたいことを少しばかり理解出来たような気がした。呆然とした頭はよく回ってはくれないが、徐々にいろんなことを飲み込んでいくことが出来た。


 “個”の価値。


 自分が――何のために生きるのか。


「クレスさん? 大丈夫……ですか」

「……ああ、大丈夫だよ」


 それを意識したとき――そばにいてくれる彼女の顔を見たとき、クレスは、魔王の言うとおり自分が馬鹿なのだということを思い知った。だから、自然と拳に力が入る。


「……ごめんフィオナ」

「え?」

「俺が守るべきものは、君なんだ。それに、ようやく本当の意味で気付けた」

「クレスさん……」

「俺のそばにいてくれて、ありがとう。情けない夫ですまないが、これからも、そばにいてほしい」


 クレスがフィオナの両肩を優しく掴む。

 するとフィオナは何度か目をパチパチさせた後、柔らかい笑みをうかべてうなずいた。

 

 そこへヴァーンとエステルが近づく。


「おいおいちょっと待てお前ら。何ほっこりし始めてんだよ。魔王ってなんだ魔王って。まさかあの小娘が魔王だってんじゃねーだろーな? 説明しろやコラ!」

「まったく状況がわからないわ。確かにあの子はただ者ではないと思ったけれど、魔王? どういうことなの?」

「ああ……すまないヴァーン、エステル。ヤツは魔王メルティル。かつて俺が戦った相手だ。だが命の一つを斬られただけで、なぜか生きていて、もう魔王はやめたらしい。そして、今は『すいーつ』を求めて生きているらしい」

「お前何言ってんのぉ!? ひとっつもわかんねーわっ!」

「クーちゃんの言うことはわかるけれど……理解が追いつかない……」

「あっ、お、お二人にもちゃんと説明しますね! でも、ここでは冷えますからとりあえず戻りましょう! うう、今日は本当にいろんなことが起こりすぎです~!」


 それぞれに混乱しながら夜の砂浜を移動する四人。

 さすがに今のドタバタ騒ぎで起きてしまったのか、遠くのテントから眠たそうにまぶたをこするレナが出てきてしまった。そのせいもあり、フィオナはさらに慌ててしまう。


 そこでエステルが「あっ」と小さな声を漏らす。

 他の三人が何事かと足を止め、そちらに顔を向けた。


「……ちょっと待って。さっき、あのメイドさんは『リィリィ・プリスティア』と名乗ったわよね?」

「ん? ああ、確かにそう言っていたが……」


 うなずくクレス。

 エステルはそっと額を抑えながら、少々緊張した面持ちでつぶやく。


「……私の記憶が正しければ、『リィリィ・プリスティア』は、かつて魔王討伐のために結成されたパーティに所属していた魔術師の名前よ」


「「「え?」」」


「もちろんクーちゃんの時代ではないわ。三十年以上も前・・・・・・・――勇者『エリシア・ヴィヴィルベル』が活躍していた時代の話よ。歴代最強と云われたエリシアのパーティは、魔王の城で全滅したと歴史の文献に残っているけれど……」


 エステルの発言で、クレスがハッと目を開いて顔を上げる。


「……そうだ! 思い出した! 俺にも聞き覚えのある名だったが、確かにエステルの言うとおりだ!」

「オイオイオイオイますます意味わからなくなってきたぞオイ! んじゃあ何か!? 三十年前の魔術師が今は魔王のそばでメイドやってんのか!? ハァ~~~!?」

「で、でもリィリィさんはどう見ても十代で、わたしとそう変わりなくて……ぐ、偶然ですよね? エステルさん?」

「……そう思いたいところだけれど」


 そのまま言葉を失う四人。そこへてくてくとレナが歩いてきて、「……こんな時間になにしてるの?」と怪訝そうにこちらを見上げてきた。

 ヴァーンが真っ先にギブアップする。


「アアアア! もういいわ。わけわからん。今日は寝る! 話は明日じゃ! じゃあな!」

「え? あ、ヴァーンさんっ」

「……そうね。話は聞きたいところだけれど、今日は疲れているから休みましょう……。あまり騒いで他の子たちを起こしてしまっても面倒だし。じゃあ、私も戻るわ……。眠れるかわからないけれど……」

「え? あ、は、はいっ。わかりました!」


 髪をかき乱しながら宿へ戻っていくヴァーンと、ぶつぶつ考え事をしつつ歩くエステル。レナがぽかーんとした顔で二人を見送っていた。


 クレスがつぶやく。


「……世の中は、わからないことだらけなんだな……」

「……はい」

 

 同調するフィオナ。

 レナがため息をついて言う。


「ほんとに、ぜんぜん、これっぽっちも意味わかんないんだけど。ていうか何騒いでるの。早く寝ようよ」


 そこでレナが右手でフィオナの、左手でクレスの手を掴み、先導するように歩き出す。


「オトナは勝手なことしすぎ。ドロシーたちも起きちゃうから静かにしてよねもうっ」


 愚痴をもらしながら歩くレナ。

 クレスとフィオナはそんなレナを後ろから見つめて、それから揃って笑みを浮かべた。


「クレスさんっ」

「ん?」

「こんなわたしたちでも、ちゃんと、わかることもありますよね」

「……え?」

「それは、わたしたちが、これからも、ずぅっと一緒だということです! よぉ~し! レナちゃん一緒に寝ようね!」

「はぁ? レナひとりで寝れ――もうっ、くっついてこないでよママ!」


 目の前で本当の家族のようにじゃれ合う二人を見て、クレスは静かに笑った。 

 星が瞬き、海の波音が世界を包む。

 三人は、笑い合いながらテントへと戻っていった――。

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