♯138 夜の海、最悪の再会

 その夜、クレスたちは近くの小宿に泊まることになっていたのだが……。


『勇者さま! テントでおとまりをしてみたいです!』


 というドロシーの発言がきっかけとなり、レナやアイネ、ペール、クラリスの基本過程クラスの生徒たちもその意見に賛成。とは言っても全員が泊まれるようなサイズのテントは存在しなかったため、結果、二つほどテントを借り受けて、クレスとフィオナが保護者役として子どもたちとテント泊をすることに。ヴァーン、エステル、リズリットの三人は宿でゆっくりと休むこととなった。


 そんなわけで、夜のテント泊に子どもたちは大賑わい。お茶を飲んでははしゃぎ、星を眺めてははしゃぎ、クレスとフィオナの馴れ初めを訊きたがったりと、たくさんのおしゃべりをして笑いあうと、やがて子どもたちは魔力が尽きたかのようにスヤスヤと寝入ってしまった。


「こ、子どもたちのパワーはすごかったな……」

「ふふ。みんな可愛い子たちですね」


 テントの中で並んで眠る子供たちに毛布をかけてから、クレスとフィオナは魔力灯のランタンを手に二人だけで外に出た。


 昼とは違う姿を見せる、夜の海。

 裸足で感じるのは、少しひんやりした砂。穏やかな波音。潮の香り。空には見渡す限りに星々が広がり、欠けた月が夜の世界を照らす。


「わぁ……とっても綺麗ですね……!」

「うん。この辺りは街灯りがないから、そのぶん空がよく見えるのだろう」

「そうなんですね……! あっ、クレスさんは寒くないですか? 温かい物も用意したので、この辺りでお茶にしましょう」

「ああ」


 しばらく砂浜を歩いた二人は、やがて岩陰の辺りで並んで座り、海を眺めた。

注がれた水筒のお茶から湯気が立ち上り、空へ消えていく。

 フィオナは目を閉じ、潮風に耳を寄せながらつぶやいた。


「海は、すごいですね」

「ん? すごい?」

「はい。こんなに広くて大きくて、地上とはまったく違う環境なのに、地上と同じように大勢の生き物が暮らしているんですよね。本で見るだけじゃなく、こうしてちゃんと自分の目で見ると、改めて海の偉大さがわかります」

「なるほど。俺はそんな風に考えたことはなかったな……。でも、それならフィオナを連れてくることが出来て良かったかな。良い経験になっただろうか?」

「はい! とっても!」

「なら良かった」

「ありがとうございます。次は……二人きりで来るのも、いいですよね」

「ん――?」


 フィオナがクレスに身を寄せた……かと思うと、フィオナはクレスの身体をそっと自分の方に引き倒し、膝の上にクレスの頭を乗せた。

 そして、優しくクレスの頭を撫でる。


「でないと、こうやって堂々とクレスさんを甘やかしてあげられませんから」

「む……確かに」

「今日は、よくがんばりましたね。ヴァーンさんと本気で戦っていたときのクレスさん、凜々しくて格好良かったです」

「ありがとう。だが結局あいつには負けてしまったからな……。エステルの件は俺の誤解だったようだが、水鉄砲の腕を鍛えなければならない」


 フィオナの膝枕で真面目にそんなことを考えるクレス。フィオナはくすくすとおかしそうに笑っていた。


 海だけが二人を見守る中、フィオナが頭を撫でる手を止めて言う。


「あの……クレスさん。ごめんなさい」

「ん? なぜ謝るんだ?」

「レナちゃんのことです。ちゃんと説明出来ていなくて……わたし、クレスさんに許可も取らずに、勝手にレナちゃんをあの家で預かりたいって言ってしまって。あそこは、クレスさんのお家なのに……」

「ああ、そのことか。いや気にすることはない」

「え?」


 目をパチクリとさせるフィオナ。

 クレスは下から見上げる形でフィオナに話す。


「『子育て依頼』だった以上、その間はうちで預かるのが責任というものだろう。それに、あそこは『俺の家』ではなく『俺と君の家』だ。何も問題ないさ」

「……クレスさん」

「レナが上手く馴染んでくれたらいいのだが。何か子供用の玩具でも用意しておくべきかな。うーん、手狭ならやはり新しく家を……」


 ぶつぶつと真剣に考え事をするクレス。

 そんな彼を見て、フィオナは心から嬉しそうに微笑む。

 それから彼の名を呼んだ。


「クレスさん」

「そもそもやはり家は街の中に……ん? 何だい?」


 フィオナは覗き込むようにクレスの顔を見つめて、サラサラと流れる銀髪を耳元で抑えながらささやく。


「はやく、子どもがほしくなってしまいました」

「え?」

「クレスさんと、わたしの、子ども。わたし、きっとものすごく甘やかしてしまいます。だから、ちゃんとしたママになれるように、もっとがんばらないとですね」


 そんなフィオナのささやきは普段よりどこか艶めかしく、クレスはただこくんとうなずくしか出来なかった。


 そんなときである。



「チッ……あの阿呆はどこまで行ったのだ。なぜ妾がこんなことを……そもそもあいつが一緒にいたほうが面倒ごとになるというのがまだわからんのか……」



 愚痴を漏らしながら岩陰の前に現れたのは、一人の少女。



「「「あっ」」」



 三人の目が合い、声が揃う。


 フィオナが言った。


「……えっと、あの、ひょっとして、お昼に会ったメイドさんのご主人様の……?」

「チッ」


 素顔を晒していた少女は、露骨な舌打ちをしてすぐに服のフードを被り直す。それからさっさと歩き去ろうとした。


 フィオナはしっかり見ていた。

 少女の頭部に、漆黒の角が生えていたこと。


「――ひゃっ!?」


 そちらに気を取られていたフィオナが高い声を漏らす。

 膝の上で寝ていたはずのクレスが勢いよく立ち上がっていた。


「ク、クレスさん? え――」


 フィオナは声を失った。


 クレスの目の色が、変わっている。

 先ほどまでの優しい瞳ではなく、戦う男の目に変貌していた。

 横に突き出された手に、宿から飛んできた聖剣が収まる。

 クレスは聖剣を両手でしっかりと握りしめ、その切っ先をフードの少女へと向けていた。少女も足を止め、クレスの方に振り返っている。


 フィオナはようやくハッとして立ち上がる。


「ク、クレスさん!?」

「下がっていろ、フィオナ」

「え、え? あの、なにがっ」

「下がっていてくれ!」


 危機迫ったクレスの声と表情に、フィオナはびくりと身体を震わせる。それからすぐにうなずいてクレスの背後に下がった。


 フードの少女は、剣先を向けられても眉一つ動かすことはない。


 クレスの額から汗が流れ落ちた。

 剣はわずかに震えている。


 クレスは、浅くなった呼吸でなんとか口を開いた。


「……なぜ、ここにいる」


 少女は返した。


「馬鹿め。答える必要があるのか?」


 クレスは再び剣を握り直し、そして叫ぶ。



「なぜお前が生きている。魔王――メルティル!」



 その言葉に、フィオナは我が耳を疑った。

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