♯139 魔王
フィオナはクレスの服の裾を掴みながら、ゆっくりと口を開いた。
「……ク、クレスさん? あの、魔王、って……冗談、です、よね? だって、こ、こんな小さな女の子が……」
クレスはフードの少女から決して目を逸らさず、剣を握ったままフィオナに背を向けて答える。
「魔王メルティル。前代魔王の一人娘にして、最強最悪の力を持った大魔王。俺が、この剣と共に戦った最大の敵だ」
普段のクレスとは明らかに違う、緊張感の伴う低い声。その身から放たれる攻撃的な気迫と気配に、フィオナは狼狽する。
フードの少女は「はっ」と小馬鹿にしたような笑みを浮かべて言った。
「魔王? くだらん。そんなものはもういない。貴様が見ているのは幻影だ」
「お前と戦ったことはこの身体が覚えている! お前は確かに魔王だ。言い逃れなどできん!」
クレスの剣を握る手にさらに力がこもる。フィオナは後ろからクレスを心配そうに見つめていた。
そのとき、離れていた宿の方から凄まじい速度で二人の人物がこちらへ迫ってきていた。
見えた姿は、ヴァーンとエステル。おそらくはクレスの聖剣が飛び出していったことから非常事態を察知し、すぐに飛び起きてきたのだろうと思われた。
そのことに気付いたらしいフードの少女がまた舌打ちをする。
そして、小さな右手をスッと前に伸ばす。それだけで場が重苦しい雰囲気に支配された。
「鬱陶しい。貴様らに構う暇など――」
クレスが剣を構え直して、さらに場の緊張感が膨れあがったとき、
「――ああ! メル様ぁ~! こんなところにいました~!」
明るく甲高い声が響き、砂浜の奥にある林の方からメイド服の少女が姿を現した。頭や服が葉っぱや土などで汚れている。
少女はさくさくと砂を踏みしめながら駆け寄ってきてフード少女の横に立つと、困った顔で呼吸を整えながら言う。
「もう~! どこにいってしまったのか心配していたんですよぉ? 普段は私のほうがドジばかりしますけれど、メル様も迷子になることがあるんですねぇ。でも勝手に出歩いてはいけません! 今の世の中に、もしも『元魔王』のメル様が生きていることが知られてしまったら、それはそれはもう大変なことになってしまいますからね! ふふふ、私がちゃんとメル様をお守りし――あ」
ペラペラとそこまで話したところで、メイド少女の口が止まる。
クレスとフィオナ、そしてメイド少女の目が合っていた。
フィオナは何度かまばたきをして、呆然とするばかり。
「……おい」
フード少女が発した低いドスの利いた声に、メイドがびくっと震え上がった。その顔はサーッと青ざめていく。
メイドはあたふたと謎のジェスチャーを交えながら言った。
「あ、えと、ええと? そ、そうですよね! 夜のおさんぽですよねっ! わぁみなさんこんばんわ! お、お昼は本当にお世話になりました! あのですね、い、今のはその………………そ、そうなんです! メイドジョークというやつでして! ご主人様とお客様を和ませるために私が考えたもので、決して本当のことではないんですよ? だ、だってだって! 魔王のメル様がまだ生きてるなんてことがあるわけじゃないですかぁ! あ、あはは!」
シーンと静まり返る、夜の砂浜。
その時点でヴァーンとエステルもこの場に到着し、すぐにクレスのそばに立った。
「おいクレス! 何があった! いきなり聖剣が飛んでいきやがるからびびったぞ!」
「クーちゃん、フィオナちゃん、平気? 一体何が……」
そこでフードの少女が前に出していた手をメイドに向け、がしっとその襟首を掴んだ。
「こんの大馬鹿者があああああああああぁっ!!」
突然の罵声。あまりの声量はクレスたちの方にまでびりびりと響いてくる。
フード少女はその細い腕でメイドの首をがくがく揺らしながら叫ぶ。
「なぜお前はいつもいつもくだらない間抜けをするんだ! なんだ今のタイミングは! 図っていたのか!? 狙っていたのか!?」
「ちちち違うんです違うんですごめんなさぁい! わざとじゃなくていつものドジと同じなんですぅ!」
「お前のはドジではない天災だっ! おかげでまた面倒なことになったのがわからんのか! そもそも迷子になっていたのはお前の方だろうがこのポンコツメイドのすかぽんたんめ!!」
「びえええええんごめんなさああああああい!」
怒鳴られまくって涙目になるメイド。それでもフード少女は許すことなくオラオラと文句を吐き出しまくっていた。
これにはさすがにクレスも、そしてフィオナたちも呆然となる。
「……あー。オイ。これマジでなんだ?」
「昼間の子たちね……。クーちゃん? フィオナちゃん? どういうこと?」
「あ、え、ええとですね……」
何と説明したものか。
フィオナがそう悩んでクレスの顔色を伺ったとき。
フードの少女がサッとクレスたちの方へ左手を差し向けた。
「わらわらと虫のように集まりおって――【
刹那。フードの少女から魔力の波動がぶわっと放たれて広がり、クレスたちを包み込む。
クレスはすぐにフィオナの方へ振り返る。
「! フィオナっ!」
クレスが声を掛けても、フィオナは何の反応も見せない。それどころか、ヴァーンやエステル、さらにメイドまで、風景に溶け込んだ絵のようになって沈黙していた。
クレスには覚えがあった。これはかつて魔王の城でも感じた魔力の波動。『
クレスがフードの少女へ鋭い視線を向けた。
「フィオナたちに何をした!」
「やかましい、黙れ。空間を歪めただけだ」
「なっ……く、空間を歪めるっ?」
「この世界には煩わしいものが多すぎる。この方が静かでよかろう」
フードの少女は面倒くさそうにフードを外し、その素顔を晒した。
「また貴様に会うとは思っていなかったな。勇者クレス」
魔力の満ちた闇の瞳が、赤い輝きを放つ。
クレスは息を呑んだ。
心拍が乱れ、全身から汗が噴き出す。
間違いようがなかった。
かつて戦った仇敵。
世界を混沌たらしめた元凶。
恐ろしい力を持ってクレスを圧倒した、あの魔王がそこにいる。
確かに討ち果たしたはずの敵が、そこに立っている。
「……やはり、魔王、メルティル」
「魔王などもういない。二度言わせるな」
「ふざけるな……なぜ、なぜお前が生きている……。俺は、俺は確かにお前をっ!」
この聖剣で斬った。
聖女の祈りがこもった刃に斬られた魔は、その魂を断罪される。
クレスの疑問に、魔王は嘲笑を漏らして返す。
「確かに貴様は妾を斬った。妾の命の一つをな」
「命の、一つ……?」
「そうだ。あの時、妾は貴様に
「……っ!」
それは、まるでわざと負けてやったとでも言いたげなセリフ。
言葉の意味がわからず、クレスはさらに動揺した。
「何を言っている……そんなことをして、何の意味がある。お前は、何を言ってるんだ!」
「貴様の理解などどうでもいい。それで、貴様はどうする」
「どうするだと」
「その聖剣で、また妾を斬るか」
そう言われた瞬間に、クレスの手はぴたりと動かなくなった。
掴まれている。
聖剣を。
魔の存在である魔王が、聖なる刃に否定されるべき存在が、素手で、聖剣の切っ先を掴んでいた。
「斬られるのは良い気分ではないからな。この二度目を赦してやるほど妾は寛容ではない」
そのとき――クレスは正しく理解した。
だから、次に自分が取るべき行動もよくわかった。いや、最初からわかっていた。
フードの中の顔を見た、その瞬間から。
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