♯130 海中さんぽ

 こうして無事に手伝いを済ませたフィオナとエステルは、お礼としてメイドから金一封を渡されかけたのだが丁重にお断りした。


 するとその代わりに――


『メル――わ、私のご主人様がこちらをお礼にと! とってもイイモノだそうなので、是非お役立てください!」


 メイドから手渡されたのは、『天使の雫』なる小瓶のマジックアイテム。フィオナとエステルはそれを受け取ってお隣のテントを後にした。


 フィオナが受け取った小瓶を見て、エステルがつぶやく。


「信じがたいわ」

「え?」


 どういう意味かと視線を向けたフィオナに、エステルは続けて話した。


「『天使の雫』は、神族の住む天界の大樹から採れると云われる霊薬。わずか数滴で大きく寿命を延ばすという神秘の薬よ。クーちゃんのために向かったあの花畑――『ミスティリア』にさえ存在せず、セシリアさんの店にもめったに置かれることはない超レアアイテムだわ。こんなものを持っている時点で、やはりただ者じゃないわね」

「あっ……アカデミーでも聞いたことがあります! で、でも本当に存在しているものだったんですか? てっきり伝説上のアイテムだとばかり……」

「ええ、おそらく本物だわ。私も一度だけ実物を見たことがあるの。あの時と同じ、丁寧に練り上げた濃い魔力を感じる」

「そ、そうなんですか。そんなにすごいものをお礼になんて……」

「ちょっとしたお土産みたいにくれたわね。まぁ、あの純朴そうなメイドさんには・・他意があるとは思えないけれど……」


 含みを持たせた発言をするエステル。フィオナもあのメイドは人畜無害な善人だと思っているが、その主人が同じかは別の話、ということだろう。

 思わぬ形で手に入れてしまったレアアイテムに、フィオナは少しそわそわしてしまった。


「その薬が気になる? フィオナちゃん」

「え? あ、い、いえ。本当に頂いてしまっていいのかなと」

「すごく嬉しそうに手を振って見送ってくれているから、返されても向こうは困るでしょうね」


 振り返ると、メイドがニコニコ顔でこちらに手を振ってくれており、最後にはエプロンドレスに手を重ねて大きく頭を下げた。フィオナも会釈を返して、クレスたちの元へ戻っていく。


「それはフィオナちゃんが預かっておきなさい」

「えっ? で、でも」

「私が貰ってもお金に換えてしまうだけよ。クーちゃんと相談して使い途を決めてもいいんじゃないかしら」


 それだけ告げて、エステルは一足先に戻っていってしまう。


 その場に残されたフィオナは、美しい乳白色の霊薬を見つめながらぼそりとつぶやく


「寿命を延ばす……お薬……」


 この薬を使うつもりなどなかったが、それでも禁忌の術でクレスに命の半分を譲り渡したフィオナにとって、寿命というのは気になるところではある。だがそれは、何も自らの死を恐れているわけではない。


「――おーい、フィオナ。どうした? 隣で何かあったのかい?」


 立ち止まっていたフィオナを気に掛けてか、クレスがこちらに歩み寄ってくる。


「……クレスさん」


 彼の顔を見るだけで、フィオナは笑顔になれた。

 だから、フィオナは深く考えることをやめた。

 今の自分は本当に幸せだから。これ以上自分のために何かを望むことはない。

 望むのは――自分よりよほど大切な人の幸せだけだ。


「なんでもありません! 今戻りますねっ!」


 フィオナは心も軽く駆けだした。

 


 そんなこんなで昼食の時間を終えたところで、さて次は何をしようかという話になる。

 そこでコロネットが言った。


「めいわくかけちゃったおわびと、おいしーごはんもらったお礼に、みんなをあたしのヒミツきちに招待するのだ!」


『秘密基地?』


 全員が聞き返すと、コロネットは嬉しそうにうなずく。

 それから海の方に――人気の少ないあの入り江の方に辿り着くと、そこでコロネットの頭に乗っていたデビちゃんがぴょんと降りて海に入る。

 するとデビちゃんが再びむくむくと巨大化。触手一本につき一人を優しく掴み、なんとそのまま海の中へ潜っていってしまう。


「コ、コロネちゃん!?」

「だいじょーぶなのだ! あんしんあんぜんなのだー!」


 フィオナの声にも意気揚々と返すコロネット。

 何がどう安心で安全なのか誰も理解出来ぬまま全員が海の中に消え、これでは息が出来なくなる――と皆が思ったとき。



『――みんな、目を開けてだいじょーぶなのだ。息もできるよ!』



 おそるおそる目を開いた一同。フィオナが目をパチパチさせて仰天していた。

 そこは間違いようもなく海の中であるにもかかわらず、コロネットの声が全員の耳にクリアに届く。


 クレスやヴァーンは元々目を開けていたため、すぐに理解出来た。


 海に入る瞬間、デビちゃんの周囲に薄い球体の膜のようなものが出来上がり、それがバリアのようになって海水を弾いている。そのため身体が濡れることもないし、中にしっかりと酸素も確保されているため、呼吸が可能な状態になっていた。だがフィオナを始め、子どもたちも混乱している。


『え? え? こ、これは……』

『《バブル・エール》っていうデビちゃんの魔術なのだ。水のてーこーをなくしてスイスイ泳いだり、海の中でも息ができるようになるのだ。長時間もぐったりするときのために、海の魔物たちはみんなつかえるよ!』

『そ、そうなんですか……』


 コロネットの説明を聞いても、驚きのあまりキョトンとした様子のフィオナ。魔術には精通した彼女ではあるが、こんな魔術を目の当たりにするのは初めてである。


 一方、そんなフィオナよりも子どもたちの方が順応性が高かったようで、既にキャッキャと嬉しそうに魚を見つけて喜んでいた。


「これも、魔術なんだ……。水の中でも息ができるなんて……すごい」

「ね! すごいよねレナちゃん! これなら海の中も冒険できるよ~! デビちゃんすご~い!」


 ドロシーが褒め言葉をかけると、デビちゃんは嬉しそうに小躍りして触手を動かし、全員がちょっとした悲鳴を上げる。


 普段は決して見られない、海の中の美しい自然。

 光の差し込む蒼の世界。魚類はもちろん、色彩豊かな海藻やサンゴたち。コロネットやデビちゃんの魔力に惹きつけられた魔物たちも時折姿を現す。彼らは敵対することもなく、皆クレスたちにも好意的に接してくれた。どうやら、普段からコロネットが人と仲良くするよう魔物たちに言い聞かせているようだった。


 こうしてクレスたちは、しばらくの間そんな海中散歩を楽しむことになったのだった。

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