♯121 デビルクラーケン

 フィオナとレナはすぐに岩場から降りると、熱い砂を踏みしめて悲鳴が聞こえた方角へ走り出していた。


「レナちゃん! さっきの悲鳴は……!」

「ドロシーの!」


 予感を確認してうなずき合う二人。

 先ほどの声は、間違いなくドロシーのものだった。だから二人は脇目も振らずに走り続け、先ほど飛び込みを行っていた入り江の近辺に到着する。


 そこで二人は目を疑った。



『ガブブブ……デュロロロロロ!』



 海から姿を現していたのは、赤黒い巨体の怪物。

 光沢のあるぬめった触手が何本もうねうねと動き回り、軟体の頭部にはギョロリと大きな目、くちばしが存在するタコに似た異形。全身を魔力が覆っており、異質で禍々しい悪魔のような外見は人々に畏怖を振りまく。間違えようもなく魔物であった。


 そして――その触手の一本にドロシーが囚われている。


「ドロシーちゃん……みんなっ!」

「ドロシー!」


 声を揃えるフィオナとレナ。

 さらにはなんと、あの貴族令嬢三人組までもがそれぞれ触手によって捕まってしまっていた。怪物はそんな四人で遊ぶようにリズミカルに触手を動かし、四人の水着はするりと脱がされてしまった。


「ハアアァァァァッ!」

「おんどりゃあッ!」


 続いてフィオナとレナの視界に入ったのは、怪物へ向かって突進しているクレスとヴァーンの姿。剣と槍を手にする二人は入り江の岩場を使って接近し、左右から斬りかかる。


 だが、怪物は器用に残りの触手を使ってクレスとヴァーンの武器を先に拘束し、また別の触手を鞭のように振り払って二人を攻撃。


「なっ――!」

「うおおおおっ!?」


 獲物を奪われた二人は素手のみでガードをし、クレスは砂浜に、ヴァーンは海へと叩きつけられ、激しい水しぶきが上がる。怪物は誇らしげに『デュロロロロ!』と声を出した。バンザイするかのような触手はなんだか嬉しそうである。


「クレスさん! ヴァーンさんっ!」


 慌ててそちらへと駆け出すフィオナ。

 近くにいたリズリットがおろおろしながらクレスを抱え起こし、ヴァーンの方はエステルが水流を操って陸へ引っ張り上げていた。


「クレスさん! 大丈夫ですかっ!?」

「フィオナ、よかった無事だったか」

「わたしなんかよりクレスさんが……! それに、あ、あの魔物は?」

「うう~! ふぃ、フィオナ先輩! あの、み、みんなでレナちゃんを探していたら、魔物が急に海から出てきて……そ、それであの子たちが捕まっちゃったんですぅ! ドロシーちゃんは三人を助けようとして……!」


 べそを掻きながら説明するリズリットに、クレスもうなずいて肯定する。

 クレスはすぐに立ち上がると、魔物の方を睨みつけて言う。


「やつは『デビルクラーケン』だ。本来この辺りには生息しないはずだが……」

「魔王がいなくなってから、海でも魔物の生息分布が変化しているのかもしれないわ。あれは知能こそ低いものの、海の中でなら戦闘能力は高い。わざわざ陸に上がってくる時点でこの筋肉ダルマと同じくらいの頭だけれどね」


 クレスの言葉に付け加えるように話ながらやってきたのは、落ち着いた様子のエステル。すぐ後ろでびしょ濡れのヴァーンが「やりやがったこのやろおおおお!」と魔物にガンを飛ばして走り出し、また触手のムチに叩きつけられて無様に戻ってくる。エステルは呆れきった顔でため息をついた。


 クレスが魔物から目を逸らさずに言う。


「ともかくまずはドロシーたちの救出だ。ヴァーン、エステル、そしてフィオナ。力を貸してくれ。今の俺一人では無理だ」

「言われるまでもねえええぇぇぇ! 派手にぶっ放すぜオラ! フィオナちゃん準備しとけや!」

「あの魔物に子供を盾にとるような知能はないはず……というところが少し引っかかるけれど、そうね、子供たちが優先よ。援護するわ」

「了解した」「おう!」


 三人は何ら具体的な作戦を決めることなく、ただアイコンタクトのみで各々の戦闘位置、役目を把握して動き出した。まずはクレスとヴァーンが敵を引きつけ、注意力を分散させる。二人は明確に頭部を狙っていた。


「……え? あ、え、えっとっ!」


 動けずに呆然とするフィオナ。

 三人の卓越したチームワークに驚き、困惑するばかりで返事も出来なかったフィオナにエステルが『星の杖』を手渡した。


「エ、エステルさん? これは、わたしの……」

「フィオナちゃん。最後には大きめの魔術が必要になるわ。それも炎熱系がいい。任せてもいいかしら」

「え? わ、わたしがですかっ?」

「ええ。クラーケンの系統は物理攻撃に強く炎熱系魔術に弱い。けれどその代わり頑丈な耐魔硬皮マナスキンを持ち半端な魔術は通さない。だからまずは彼女たちを救出し、クラーケンの頭部に傷をつけてそこから魔術を体内に通すの。お願いできる?」


 その話でフィオナはさらに驚いていた。

 エステルたちは魔物の特性を即座に把握し、各々が成すべきことを理解し合っている。だからあんなにも素早く動けた。そんな多くの経験と信頼が作り上げたパーティの動きに、ただ感嘆とするしかない。


 そして。

 そんな尊敬すべきパーティが、自分を求めてくれている。

 

 エステルだけではない。クレスも、ヴァーンも、自分の名を呼んでくれた。控えていろではなく、必要としてくれた。


 フィオナには、それが嬉しかった。


「…………はい! わかりましたっ!」


 だから受け取った杖を握りしめて、力強くそう答える。

 エステルは小さく微笑んでうなずき、クレスたちの支援に向かった。


 フィオナはすぐそばにいるはずの少女に声を掛ける。


「レナちゃんはここにいて! ドロシーちゃんたちは必ずわたしたちが助けるから!」


 そう言ったフィオナが背後を見ると――



「……え?」



 そこに、レナの姿はなかった。



 フィオナはすぐにそちら・・・を向く。


「レナちゃん……まさかっ!」


 フィオナの瞳に再び星が宿る。

 魔力を可視化出来るようになり、見えなかったものが瞳に映る。



 そこに――デビルクラーケンのすぐそばにレナの姿があった。



 フィオナは走り出し、大声で叫ぶ。 


「クレスさん! あそこです! 岩場の上にレナちゃんがっ!!」

「何っ!?」

「魔術で透明化しています! ドロシーちゃんのすぐ近くに! きっと――ドロシーちゃんたちを助けるつもりです!」


 その言葉を聞き終える前にクレスはそちらへと走り出しており、ヴァーンやエステルも状況を察して動きを変えてくれたようだった。


 魔族ではないクラーケンが人の言葉を理解出来るはずはなかったが、しかし危険を察したのか、クラーケンはうなり声を上げながら海の中に沈み込んでいく。引きずり込まれそうなドロシーと三人娘は悲鳴を上げて助けを求めた。


 するとそこで、岩場の上にいたレナが透明化を解除して姿を現す。



「ドロシー! 動かないで!」

「――えっ!? レ、レナちゃん!?」



 そして、レナは飛んだ。


 魔力を開放したレナの外見は『夢魔』と『吸血鬼』の特徴を得て、角や翼、尻尾が生えており、瞳は紅くなって、口元には牙が覗いた。強い魔力の波動はクラーケンをも怯ませる。ドロシーはそんなレナの姿に驚いていたようだった。


 レナはそんなことを何も気にせず、鋭く伸びた両手の赤い爪を使ってクラーケンの太い触手を切り裂く。



「みんなを――はなせぇっ!!」



 まずはドロシーを掴む一本を。続けて三人娘たちをしばる触手も容易く引き裂き、クラーケンが鈍い声を上げる。レナはさらに翼で強風を起こし、ドロシーと三人娘たちをまとめてフィオナの方へ吹き飛ばした。フィオナとリズリットが揃って風の魔力を解き放ち、四人を風のネットでキャッチ。


 それを見たレナの表情がふっと緩んだとき。


 彼女の身体が、触手に捕らわれた。


 魔力によって触手の超高速再生を果たしたクラーケンは、すべての触手を使ってレナの身体を包み込むように拘束し、小さなレナの姿はすぐに見えなくなる。

 そして、レナを連れたまま海の中へ逃げ込もうとする――。

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