♯120 フィオナママ

 そうして、お互いに耳と角に触れ合う二人。

 どちらも感覚的に敏感な部位なのか、それぞれ何度も身をもじらせるように反応する。時折高い声も漏れた。

 水着姿の女性二人が岩場の陰で行うには少々珍妙な光景ではあったが、不思議と、ただそれだけの行為で心の距離は近づいていた。少なくとも、フィオナはそう感じていた。


 やがて長いさわりっこが自然と終わったところで、レナがぼそりとつぶやく。


「……そっか。だから、あんなこと言ったんだ」

「え?」

「学校で。レナのことなんにもわからないのにって言ったら、わかるって言った」


 説明してもらったことでフィオナはすぐにそのときのことを思いだし、笑顔でうなずいてから答える。


「うん。もちろん、レナちゃんの気持ちが全部わかるなんて傲慢なことは言えないけど……でも、わたしにもわかることはあるから。それでなのかな。わたしね、レナちゃんのことをもっと知りたいなって思ったの」

「…………」

「それに、わたしだけじゃないよ。モニカ先生も、ドロシーちゃんも、レナちゃんのことを知ろうと、理解しようとしてくれてる。レナちゃんも、そのことはわかってるんだよね」


 レナは何も答えず、視線を落とした。

 少し間を置いて、口を開く。


「……いつも、だれかが怒ってた」

「……え?」

「レナがフツーにしてるだけで、いつもオトナは怒ってた。まわりから、みんないなくなって。パパもママも、レナをおいていった。もう、レナのそばにはだれもいなくなって。どこにいても、レナはジャマモノなんだってわかった。それならひとりのほうがいい」

「レナちゃん……」

「だから、学校に入って、モニカ先生やドロシーがくっついてくるのがよくわかんなくて、なんで、レナにかまうんだろうって、きもちがヘンになる。それで、きづいたら魔力がバァってなる」

「…………そっか」


 ようやく自分のことを語ってくれたレナの言葉に、フィオナは理解を示す。

 小さな頃から邪険に扱われてきてしまったレナは、ただ、誰かから好意を向けられることに慣れていないのだ。

 自分を理解しようとしてくれる人、心に近づいてくる人の意図がわからず、その恐怖が拒否反応を起こす。モニカやドロシーを相手につい感情が高ぶっていたのも、それが原因ではないかとフィオナは感じた。あの二人は、特に積極的な者たちだからだ。


 しかし、人を避けていては人とは繋がれない。


 フィオナは、一歩ずつ近づこうと決めた。


「――ねぇレナちゃん。わたしのことは、怖いかな?」

「え?」


 ニコニコしたフィオナの突然の問いに、レナはしばらくじっとフィオナの目を見つめ返した。

 まだ童顔ではあるが美しいフィオナの顔立ちを見て怖いと感じる者はそういないだろうが、フィオナが尋ねたのは外見的な意味ではないことをレナは察し取り、そして首を横に振った。


「なら、ドロシーちゃんやモニカ先生のことは嫌い? 怖いと思う?」

「…………」


 また、レナは同じように首を振った。


 レナも頭では理解している。

 モニカやドロシーが“悪い人間”ではないこと。自分を受け入れようとしてくれていること。だから、フィオナは安心した。


「それなら、きっと大丈夫だよ。ドロシーちゃんとも、モニカ先生とも、仲良くなれるよ。もちろん、他のみんなともだよ」

「……でも」


 レナは、弱々しく震えた声で言う。



「レナ、こんなだから……また、だれか、傷つけるもん……」



 フィオナはようやく理解出来た。

 

 ――レナは、自分が傷つくことを怖がっているのではない。


 ――自分と一緒にいることで、誰かが傷つくことを恐れている。


 魔族との混血である自分と一緒にいることで始まる奇異の視線。魔力の暴走。そういったもので、他の誰かが傷つくのを恐がっているのだと。

 だから反発を起こす。独りでいようとしている。


「……レナちゃん」


 自分がレナの年齢だった頃に、彼女のように周囲を気遣うことが出来ただろうか。

 あの頃のことを思い出したフィオナは、そっと、両手でレナのことを抱きしめた。


「え? な、なに?」

「レナちゃんは、優しいね」

「は、はぁ? なに、いってるの」

「優しい子。良い子だね。心の綺麗な子だね。よしよし……」


 優しく頭を撫でるフィオナに、レナはそれ以上何も言えずにされるがままとなる。気恥ずかしいのか、レナの顔はほんのり赤らんでいた。


「大丈夫だよ。レナちゃんも、すぐに魔力をコントロール出来るようになるから。だって、モニカ先生のときは魔力を暴走させちゃっていたけど、ドロシーちゃんのときはちゃんと制御出来ていたよね」

「……ほんと?」

「うん。モニカ先生に教えてもらえれば、きっと大丈夫。わたしも、魔術のことなら少しはお手伝い出来るかも。だから……まずは一緒にごはんを食べに行こう? それで、ドロシーちゃんに謝ろう。ドロシーちゃんは、すぐに許してくれると思うよ」

「…………」


 頭を撫でられたまま、レナは小さくではあるが素直にうなずいて応えた。


 ここで、フィオナが突然「あっ!」と声を上げる。


「――そうだ! ねぇレナちゃん。聖都に戻ったら、クレスさんとわたしのお家で一緒に暮らしてみませんか?」


「へっ?」


 これにはレナも言葉を失う。

 フィオナはキラキラした明るい表情で両手を合わせ、語る。


「あ、もちろんずっとってわけじゃないよ。モニカ先生が忙しい間だけ、どうかな? 一人で暮らすよりも、誰かと一緒に暮らす方が楽しいことが多いと思うんだ。だって、たくさんのことを共有出来るから。良いことも、悪いことも。クレスさんにはまだお話出来てなくて、ただの思いつきなんだけど、でもでも、クレスさんならきっと良いって言ってくれるよ! だからレナちゃん、ど、どうかな? 森の生活は静かでゆっくりしているし、毎日栄養のあるものいっぱい作るよ!」


 頼んでもいないのに必死になって勧誘してくる早口なフィオナに、レナは呆気にとられる。

 それからレナは、また噴き出すように笑った。


「あなたって、すごくヘンな人なんだね」

「えっ!? へ、変? そうかな? め、迷惑だったかな?」

「うん。メーワク。レナはひとりのほうがすきだし」

「うう……ご、ごめんね急に変なこと言って! あの、それじゃあ今のことは忘れてもらっ――えっ?」


 レナの正直な返答に慌てるフィオナは、自分の胸元を見下ろして驚く。


 そこで、レナがフィオナの豊かな胸に顔を埋めていた。


「レ、レナちゃん? どうしたの?」


 フィオナが声を掛けると、レナはその場所でぼそぼそと言う。


「ホントに、ヘン。あなたは他人なのに。わたしは、あなたのこと、ぜんぜんしらないのに。こんなの、メーワクなのに。なのに……なんだか、ママみたいなんだもん」

「え? ま、まま?」

「おせっかいだし、頭なでてくるし、いいニオイするし、おっぱい大きいし、やわらかいし」

「え、え?」

「まぁ、うん。すこしのあいだなら――」


レナはフィオナの胸の間から顔を出し、ささやいた。



「――いいよ。“フィオナママ”」


「はうぅぅ……っ!?」



 からかうようなウィスパーボイスと、小悪魔的な笑み。フィオナは一瞬で心を射貫かれた。


 抱きしめたい。頭をなで回したい。たくさんキスをしてあげたい。美味しい物をお腹いっぱい食べさせてゆっくり眠りにつかせてあげたい。その笑顔を守りたい。心がむずむずして激しい衝動に駆られる。


「はゎ…………う、うう……か、かわ…………!」

「かわ?」

「かわ……かわ…………かわいい……可愛い! レナちゃん可愛いよぅ~~~~!」

「は? ちょっ、なに。もごごごっ」


 ぎゅう~~~っとレナを抱きしめて離さないフィオナ。その興奮ぶりは高まる。


「うん、うん! ママになるからね! 一緒にいる間は、わたしがレナちゃんのママになるからね! なんでも言ってね! 頼ってね! クレスさんと素敵な家庭を作ろうね!」

「べつにそんなことまでおねがいしてなっ――うぐっ、やめっ、くるし」


 もはや目がハートになっているフィオナ。 


 母性である。


 ただでさえクレスに対してのだだ甘ぶりが顕著な上、いずれはクレスとの子を授かりたいと願い、幸せ家族計画を日々妄想しているフィオナだ。自分と似た境遇の共感出来る女児にあんなことを言われて、止めどなく溢れ出した母としての愛が暴走する。


「えへ、えへへへへ! レナちゃん♥ かわいい♥ 可愛いね♥ ずぅっとうちにいてもいいからね♥」

「やめっ、か、からかっただけで、だからっ、いきが、もっ、うぅぅ~~~!」


 フィオナの胸に埋まってもがき苦しむレナ。ともかく、二人の心の距離は確実に縮まっていた。



 そんなとき――突如誰かの悲鳴が響いた。


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