♯119 さわりっこ

 フィオナは息を切らしながらルーシア海岸を駆け回り、レナを捜していた。

 しかし、『夢魔』の魔術によって姿を消しているレナを見つけるのは容易ではなく、初めこそ砂浜の足跡を頼りに追いかけることが出来たが、途中から岩場にのぼったか海にでも入ったのかそれも消えて、手がかりが何もなくなってしまう。聖女ソフィアのように魔力を可視出来る力があれば追跡出来たかもしれないが、フィオナには不可能なことだった。


 やがてクレスやヴァーン、リズリット、それにエステルから怪我の治療を施してもらったドロシー、三人娘たちも加わり、皆で一緒になってレナを探す。


 それでもまだ、レナは見つからない。


「レナちゃん……っ」


 走るフィオナの気持ちは、逸っていた。


 ――魔族の血。コントロールの出来ない身体。未成熟な心。


 大人たちがレナの扱いに戸惑っていることはフィオナにも理解出来た。どのように接すれば正しいのか、きっと大人たちにすらわからないのだろう。


 何よりも、レナ本人こそが自分自身の存在に最も悩み、苦しんでいる。


 人と魔族との暮らしが混じり合っていく新時代で、レナはその先頭に立っている。誰かが行き先を示してくれるわけでもない新しい道を、どう進んでいいのかわからずに震えている。フィオナはレナに強く共感していた。フィオナもまた同じような境遇にいたから。聖都に引き取られたばかりの頃は、自分と周囲との違いにひどく悩み苦しんだ。


 それでも、フィオナには目標があった。

 追いかけたい背中があった。

 そんな自分を見守ってくれる人たちがいた。

 だから道を外れることなく進んでこられた。


 モニカが、なぜフィオナにこの役目を任せたのか。

 今だから、よくわかる。


 レナにも、“道標”が必要なのだと。


「絶対に……見つけなきゃ……!」


 一度立ち止まると、髪を結び直して汗を拭い、暑さでとろけそうになる身体を叱咤してフィオナはまた走り出す。

 彼女がどこにいるのかわからなくても、ただ立ち止まっているわけにはいかなかった。



「レナちゃんを……もう、これ以上ひとりぼっちにしない!」



 そう決意した瞬間――フィオナの瞳に“星”が宿る。



「えっ……!?」



 足を止めるフィオナ。


 視えていた。


 砂浜に残る、かすかなレナの魔力。その残滓。

 光る魔力の痕跡は近くの岩場へと続いている。もう先ほどの入り江からはだいぶ離れており、ここから叫んだとしてもクレスたちには声が届きそうにない。


「……あっ」


 まばたきをした次の瞬間には、もうフィオナの視界は元に戻っていた。彼女自身がそれを知ることはなかったが、その瞳の“星”も消えている。


「今、のは………………うぅん、そんなことよりレナちゃんを!」


 フィオナはまた駆け出す。



 そして――ようやく彼女の姿を見つけた。



「レナちゃん!」


「わっ!?」



 突然後ろから呼びかけられたレナは、すくみ上がって振り返る。


「はぁ、はぁ、はぁ……よ、よかったぁ……レナちゃん、みつけたぁ……」


 両膝に手をついて呼吸を整えながら微笑むフィオナに、レナは目をパチパチとさせた。



 それからフィオナの息も落ち着いたところで、二人は揃って岩場の上に腰掛ける。周りも岩に囲まれているおかげで、多少は日を遮ることが出来ていた。その分、ここにいては周りから姿を見られることはなく、偶然見つけることは難しかっただろう。


 レナは膝を抱えて座りながら目の前を通り過ぎる小さなカニを見つめ、つぶやく。


「……なんでここだってわかったの?」

「え? うぅんと、なんとなく、かな?」

「なんとなくで見つかるわけないじゃん。ばかにしてるの?」

「し、してないよ~! 本当に、なんとなくここかなぁって。あのね、レナちゃんの魔力が……見えたような気がして」

「……へ?」

「でも、レナちゃんが見つかって本当に良かったぁ……」


 レナが隣に目を向けると、フィオナはニッコリと微笑みかけた。

 すると、そこでフィオナのお腹がくぅと可愛らしく鳴る。

 小さなカニがその音に反応したかのように素早く逃げ出し、フィオナの笑顔がピタリと固まって、腹部を押さえながらかぁっと赤面していった。


「ち、ちちち違うの! ほら! もうお昼ごはんの時間も過ぎちゃってたから! それでいっぱい走ったからお腹がね、そのね、あの、あのっ…………ご、ごはん! 早く一緒にみんなのところへ戻って、お腹いっぱいごはん食べましょう! ねっ!」


 ごまかしているのかなんなのか、突然の昼食を提案するフィオナ。

 これにはレナも呆然となり、その反応にフィオナがさらに赤くなっていく。


「…………ぷっ」


 慌てふためくフィオナの姿に、レナが思わず噴き出すように笑った。

 図らずも和んでくれた場の空気にフィオナはホッと落ち着き、レナと一緒になって笑い出す。


 やがて、レナの方から切り出した。


「しからないの?」

「え?」


 その言葉に聞き直してしまうフィオナ。

 レナは不思議そうにフィオナを見つめていた。


「さっきのこと。しかりにきたんでしょ? なんでおこらないの」


 そこまで言われて、フィオナはようやくドロシーの怪我のことを思い出す。

 そして穏やかに返答した。


「ドロシーちゃんなら、エステルさんに看てもらえてるはずだから大丈夫だよ。怪我はすぐに治るって。それに、誰も怒ってないと思うよ。だって、ドロシーちゃんも一緒になって、みんなでレナちゃんのことを捜してくれてるから。みんな・・・みんな・・・だよ?」

「……え?」

「きっとみんな、レナちゃんのことを心配してるよ。だから、一緒に戻ろう? それで、ちゃんとドロシーちゃんに謝ろうね。そしたら、全部解決するはずだよ」


 フィオナは優しくささやきかけるようにそう言ったが、レナは顔を伏せてしまう。そして膝を抱える手に力を込める。


「そういうの、やめてくれない」

「え?」

「レナにやさしくして、あなたになんのとくがあるの? なんのいみがあるの?」

「……レナちゃん」

「フツーのオトナはすぐわかる。レナのことどうおもってるのか。レナになにをさせたいのか。レナのためっていいながら、それはぜんぶオトナのつごう。オトナはみんな、じぶんのために生きてる。だけど、それがあたりまえ。ほかのひとのことなんか、けっきょく本気でかんがえない。レナみたいなこどもだったらなおさらでしょ!」


 膝に顔を埋めたまま、レナは続けた。


「なのに、なんであなたはそんなにレナにかまうの。ドロシーもそう。わかんない。わかんないからきもちわるい!」

「……それは、そんなにおかしいことかな?」

「おかしい」

「でもね、わたしもドロシーちゃんも、レナちゃんと仲良くなりたいだけだよ」

「なんで、レナなの」

「レナちゃんだからだよ」

「レナがいっしょにいたら、めいわくでしょ」

「そんなことないよ」

「そんなことあるのっ!」


 突如勢いよく立ち上がり、フィオナの顔を見上げて叫んだレナ。いつの間にか彼女の頭部に角が現れている。感情の昂ぶりと共に少量の魔力が解き放たれたようだ。

 そんな自分を忌々しく思うかのように、レナの表情は沈鬱なものへと変わっていく。


 フィオナは穏やかに問いかける。


「レナちゃんは、どうしてそんな風に思うの?」

「……レナが、混血だから。魔族だから」

「それだけ?」

「……え?」

「なら、わたしと一緒だね」

「え――」


 微笑むフィオナの頭部にも、クインフォの耳がぴょこんと出現する。それを初めて見たレナは目を丸くした。


「あなたも……そう、なの?」

「うん。レナちゃんと同じ」


 フィオナはうなずいて、それから自らのことを語り出した。


「わたしね、小さい頃は自分に魔族の血が入っていることをみんなに隠して生活していて……育ててくれた大恩ある叔父さんと叔母さんにも、内緒にしていたんだよ。モニカ先生だけは知っていたけれどね。このことをみんなに明かせるようになったのは、クレスさんの元へ行ってからなんだ」

「……そう……なんだ」

「うん。だからレナちゃんの気持ちはわかるよ。アカデミーならまだ偏見は少ないけど……それでもやっぱり、大変だよね。特に、上手く魔力がコントロール出来ない頃は。誰もわかってくれないって疑心暗鬼になって、誰よりも、自分で自分のことがよくわからなくなっちゃうの」

「…………」


 そこまで話したところで、フィオナはレナの目がまだ自分の頭部に釘付けとなっていることに気付いた。

 フィオナは小さく笑って言う。


「触ってみる?」

「え? …………うん」


 レナは素直にこくんとうなずき、そっとフィオナの耳に手を伸ばした。

 小さな手が、柔らかな銀の毛並みに触れる。


「んっ」

「あっ、い、痛い?」

「うぅん、くすぐったかっただけだよ。――あ、それじゃあわたしもレナちゃんの角に触ってもいいかな?」

「え」

「ふふふ。もうわたしのを触っちゃったから、お断りはできません。観念して、お互いにさわりっこしようね?」


 おどけた言い方をしたフィオナに、レナは何も反論出来ずに思わずうなずいてしまった。

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