♯118 ダイブ・トゥ・ブルー

「うわぁ……」

「た、高いよぅ……」

「さすがにこれは……」


 レナの同級生である貴族令嬢三人娘。彼女たちは水着姿で身を寄せ合いながら、眼下の光景に怯えていた。

 そこは、ルーシア海岸の入り江にあるちょっとした岩場のアクティビティスポット。三人はその岩場の上に立っている。

 入り江のため波は穏やかで、ある程度の深さもあり、よく子供たちが飛び込んで遊ぶ人気の場所ということでやってきたのだが、内地の聖都で暮らしてきた箱入り娘たちにとってはこの程度の高さも恐怖のようだった。

 海で泳いだり、砂で城を作っていたり、ビーチボールを使って遊んでいた頃は終始笑顔だった彼女たちも、顔が凍りついている。


 監督役としてついてきたヴァーンが耳をほじりながら言う。


「あー? オイオイどうしたガキ共。お前らがやりたいっつーから来たんだろうが。ほれ、見守っててやるからさっさと飛び込め。頭や足からにしろよ。腹は打つといてぇからな。あと後ろ向きで飛び込んだりすんな」


 そう言いながら後ろから三人娘の背中を押すヴァーン。三人娘は揃って大きな悲鳴を上げてヴァーンにくっついた。


「キャーやめてやめてやめてちょうだいバカバカバカ! こんなの落ちたら死んじゃうわ!」

「やだやだぁ飛び込めない! もうもどるぅ! 砂でお家つくるよぉ!」

「おじさんが面白そうって言うから来てみただけです! 早くかえしてくださいおじさん!」

「ア゛ア゛?」


 ぎゅうぎゅうと詰め寄る三人娘たちに、おじさん呼ばわりのヴァーンがイラッと眉間に皺を寄せる。

 それからヴァーンは、完全に立ちすくんでしまった三人娘たちをまとめてガシッと両手で抱きかかえた。

 揃ってこちらを見上げてくる三人に、ヴァーンはニタリと妖しい笑み顔を見せて言う。


「そうかいそうかい。なら安心して掴まってな。オレ様がちゃあんと放さず連れてってやる」


 ヴァーンの言葉に、三人娘はホッと安堵の息を吐いた。


 しかし次の瞬間、



「海の――底になアアアアアァァァァァ!」



 ヴァーンは三人娘を抱えたまま勢いよく岩場を蹴って飛び出すと、そのまま海へと真っ逆さまにダイブした。



「「「きゃあああぁああぁぁあああぁあぁぁぁああ~~~~~~!?」」」



 三人娘の悲鳴と共にヴァーンが高笑いしながら海の中へと消えていく。すぐに大きな飛沫が上がり、声は聞こえなくなった。


 砂浜でビーチチェアに座りながらジュースを飲んでいたエステルが、そんな光景を見て呆れたようにため息をつく。隣で日焼け止めのオイルを塗っていたフィオナは呆然と口を開き、リズリットはガクガク震えながら「行かなくてよかったぁぁぁ~……」とつぶやく。


 岩場の上でヴァーンたちを見送ったドロシーが、レナの手を掴んだ。


「レナちゃんレナちゃん! つぎはわたしたちもとびこもうよぉ!」

「ひとりでやってれば」

「え~せっかくきたのに!」

「いいから。はなして」

「やだぁ! 今日こそ、レナちゃんとあそぶの!」

「はぁ……?」


 まだ手を放そうとしないドロシーに、レナが困惑して目を細めた。普段はおっとりとして抜けた印象のドロシーが頑固になるところが珍しかったようだ。

 二人の監督役であるクレスが背後から声を掛ける。


「レナ。ドロシーの言うとおり、せっかく来たのだから一度くらいやってみてはどうだろう。ああいや、もちろん怖いのなら無理はしない方がいい。そもそも泳ぎを知らない相手に、ヴァーンのやり方は見習えないからな……」


 クレスが海面の方を見下ろすと、浮き輪代わりにされているヴァーンが三人娘から髪を引っ張られたり頬をつねられたり腕をかじられたりしていた。今度は逆にヴァーンが悲鳴を上げながら三人を浜の方に連れていっている。どうやら三人とも泳げないらしく、それなら飛び込みを怖がるのも無理はないとクレスは思っていた。


「えへへぇ、だいじょうぶですクレスさま! レナちゃんもわたしも泳げますから!」

「む、そうだったのか?」

「はい! まえにレナちゃんが川でじょうずに泳いでいるのをみて、わたしもパパとママにおねがいして、泳ぎをならっているんです!」

「なるほど。それはえらいことだね。ならレナも大丈夫か」

「えへへぇ、レナちゃんいこぉ!」


 ドロシーが声を掛けると、レナは二人を一瞥いちべつしてすぐに視線を逸らす。


「……レナはやらない。ひとりでやって」

「レナちゃんといっしょがいいよぉ! そのほうが楽しいもん! だからレナちゃん、いこぉ!」


 煌めく太陽にも負けないような笑顔で、懸命にレナを誘うドロシー。

 対してレナは、そんな彼女を冷たく見つめて返した。


「……しつこい」

「え?」

「ひとりでやってって言ってるでしょ!」


 強引に手を離したレナが、ドロシーの胸を突き飛ばす。



「――あっ」



 レナが自分のしたことに気付いてハッと声を上げたとき、ビーチサンダルのすっぽ抜けたドロシーは後ろ向きで既に海へと落下していた。遠くからその状況を見ていたフィオナたちは声を失う。


「ドロシー!」


 素早く動いていたクレスが岩場を蹴ってすぐに後を追い、ドロシーの身体を包み込むようにキャッチしてそのまま海へと飛び込む。また高い水飛沫が上がった。。


 岩場の上でレナが青ざめた顔で海面を覗き込むと、少ししてクレスとドロシーが浮かんでくる。


「ドロシー、無事か?」

「――けほけほっ! は、はい~~~。すこしびっくりして、お水をのんじゃいましたぁ。海ってとってもしょっぱ……ぅっ!」

「どこか痛めたのか?」

「ええっと、足の裏をすりむいちゃったみたいです~。でもこれくらいだいじょうぶですよぉ!」

「岩場で擦ったのか……よし、エステルに看てもらおう。 ――レナ! 軽傷を負ったようだがドロシーは無事だ! 心配いらない!」


 クレスが岩場の上にそう叫ぶと、レナは力が抜けたようにその場にへたり込む。

 ドロシーはクレスに抱きかかえられたまま、笑顔でレナに手を振った。


「レナちゃぁん! とびこむの、楽しいよぉ! 海もきもちいいよぉ~~~! つぎはいっしょにやろぉ!」


 怒ることもなく無邪気に手を振る楽しそうなドロシーを見て、レナは慌てて岩場を降りるとそのままどこかへ走り去ってしまった。しかも途中で『夢魔』の魔術を用いて透明化したため、行方がわからなくなってしまう。


 すると、砂浜を駆け出していたフィオナがクレスたちの方に手を振って言う。


「大丈夫です! わたしがいきますっ!」

「フィオナ……すまない! 任せた!」


 クレスが泳ぎながら返事をする。


 そのまま浜の方で待ってくれているエステルやリズリットの元へ向かう途中、クレスにくっついたままのドロシーがしょんぼりと顔を伏せた。


「クレスさまぁ……」

「なんだい?」

「わたし……レナちゃんにきらわれちゃってるのでしょうかぁ……? レナちゃんは、わたしとあそびたくなんてないのかなぁ……」

「いいや。そんなことはないさ」


 即答したクレスに、ドロシーは驚いたようにキョトン顔をする。


「どうして、わかるんですか?」

「本当に嫌いな相手なら、一緒に海へ来たりはしないだろう」

「あ……」

「俺には、レナが戸惑っているように見える。きっと、ドロシーや皆とどう接していいのかわからないのだろう。俺も似たようなものだからな、君のような子がそばにいてくれることのありがたさはわかるつもりだ」

「クレスさまも……ですか?」

「うん。それに、レナはキチンと分別のつく子だ。先ほどのことも決して悪意があったことではないだろう。話し合えばわかってくれると思う。なにより――君もとても良い子だからね」

「え? わたしも?」


 目だけで肯定するクレスに、ドロシーは呆ける。


「君の優しさは太陽のように温かい。どうか、明るい笑顔でレナを照らしてあげてくれ。その光は、必ずレナの心にも届くはずだ」


 そう言って微笑んだクレスの横顔を見て、ドロシーはパァッと輝く笑顔を取り戻し、大きくうなずいてからクレスに抱きついた。

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