♯113 海へ行こう
「……ん? ああ、あの子は教室でレナの隣に座っていた……確か、『ドロシー』という名前だったかな」
クレスのつぶやきで、鼻にクリームをつけたレナの視線が素早くそちらへ向いた。
すると、その手にパン袋を持った少女が明るい顔で駆け寄ってくる。
「――あ! レナちゃぁん! あのね、いっしょに――わぁっ!?」
その子――ドロシーはぽてぽてと走ってきて、石畳につまづき派手にすっ転ぶ。クレスとフィオナが慌てて駆けつけ、身体を起こしてあげた。
「……あれ? わあああっ! ゆ、勇者様? フィオナ先輩っ? ご、ごめんなさいごめいわくおかけしました!」
「いや、それより君は大丈夫か?」
「へ、へいきです! わたし、ドジなのですぐケガしちゃうので、なれっこです!」
「けど、そのままじゃダメだよ。すぐに治すからじっとしていてね」
フィオナが手早く治癒魔術を施して、すりむけたドロシーの手足を治す。ドロシーはフィオナの魔術に感動してまた目をキラキラとさせた。
レナがベンチから立ち、無表情でつぶやく。
「なにしにきたの」
「うん! あのね、レナちゃんとお昼ごはん食べようと思ってさがしていたの! ごはんは、みんなで食べたほうがおいしいのよ! にんきのパンが買えたから、はんぶんこしよぉ!」
眩しいくらいの笑顔で、有名店のパン袋を抱え持つドロシー。
「…………」
レナが何も答えずにじっとしていると、そこでさらに別の少女たちの声が響いた。
「まぁ。レナさんって本当にこんなところで食べていたのね。ドロシーさん、見つけたのなら教えて」
「ていうかクレス様とフィオナ先輩も一緒だ! ずるーい!」
「やはりレナちゃんは特別扱いされているようですわね。クレス様、フィオナ先輩。わたくしたちもご一緒してよろしいでしょうか?」
それは、先ほど教室でレナのことを話していた三人組である。レナよりも年上の三人は揃いもそろって名家の貴族令嬢でもあるため、普段はそれぞれ豪華な昼食が用意されているはずだが、なぜか今日は三人ともドロシーと同じ店のパン袋を手にしていた。ちなみに、ドロシーも三人と同様の家柄である。
そんな三人がやってきたタイミングで、レナは鞄を手に立ち上がり、走り出す。
「あっ、レナちゃん待って!」
「こないでっ!!」
呼び止めるフィオナを拒絶したレナは、突然、風景に溶け込むように“透明”になって消えた。
「「!」」
これにはクレスもフィオナも驚愕する。
街の中でレナの姿はどこにも見えなくなったが、彼女が駆けていく足音だけが聞こえた。
「レナが消えた……? これは、あのときと同じだ」
そうつぶやいたのはクレス。
彼が思い出したのは、モニカの部屋から飛び出していったレナを追いかけたときのこと。あのときも、レナの姿は廊下で突然消えてしまった。
三人組の少女らが言う。
「あら、また『
「レナちゃんてすぐ逃げちゃうからつまんないよ~。この前もせっかくバーベキューに呼んだあげたのにねぇ!」
「せっかくクレス様とフィオナ先輩が来てくれてるのに、もったいないことですわね」
からかうように笑う三人組と違い、ドロシーだけはしょんぼりとパン袋を両手で抱えていた。
クレスがそっと小声で訊く。
「……『夢魔』の力? フィオナ、今のは魔術なのか?」
「はい。おそらくは……『夢魔』の扱う【インビジブル】という魔術です。自身の魔力を特殊な反射材にして風景に溶け込む高等魔術なんですが、あの歳でもう使えるなんてすごいです。ただ、それよりも……」
「それよりも?」
「うう~、仲良くなるのって難しいですね……」
「む……」
どうやら、フィオナにとってはそちらの方がよほど大切なようだ。
肩を落とすフィオナに、クレスは肘に手を添えてしばらく考え込む。
「うーむ…………仲良くなる……か……」
そして、思いついたことを口にした。
「――よし、海へ行こう」
『え?』
フィオナだけでなく、ドロシーと三人組の少女たちも声を揃えた。
「ク、クレスさん? え? 突然どうしたんですか?」
クレスはフィオナだけでなく、全員を見渡して言う。
「うん、ヴァーンから聞いたことがあるんだ。女の子と仲良くなりたければ一緒に遊べと。中でも海が良いと聞いた。だから今度の休日にでも、レナを連れて海へ行くのはどうだろう」
「レナちゃんと海へ……ですか?」
「うん。ああ、良ければ君たちも一緒にどうかな。俺が保護者になれば、家の許しも得られるはずだ。皆一緒の方が仲も深まるだろうからね。アカデミーにも俺たちから話を通す。後は、万が一のために護衛もお願いしてみるか」
クレスの言葉にドロシーと三人組はしばらく呆けたが……やがて、全員がパァッと明るい表情を見せた。
そしてすぐに賛同の声が続き、その場で全員の参加が決まる。ドロシーたちはキャッキャと盛り上がってしまった。
「よし、あとはレナの承諾を得るだけだ。フィオナ、それでいいかな?」
「え? あ、は、はいっ! クレスさんと海に行けるなんてわたしは嬉しいですし、きっとすごく楽しいと思うのですが…………その、レナちゃんが来てくれるかどうか……」
「来てくれるさ」
「え?」
「あの子は賢い。大人と子供としてではなく、対等な関係でキチンとお願いをすれば話を聞いてくれるはずだ。それに――」
クレスの視線の先は、ベンチの上に残ったフィオナの弁当箱。
綺麗に空っぽになっていたそれを見て、クレスはつぶやく。
「ごはんを残さず食べる良い子には、海へ行くくらいの褒美があっていいだろう?」
その言葉に、フィオナはくすりと笑い出してからうなずいた。
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