♯111 レナの教室

 モニカからの依頼を引き受けたクレスとフィオナは、その日はそのままアカデミー内を見学していくことになった。レナがここでどんな生活をしているのか確認するためである。


 まずやってきたのは、モニカが受け持つ基本過程専用の教室だ。

 入学したばかりで、まずは初級魔術師を目指す基本過程の生徒たちが集まる場所である。現在の生徒数は24名。新たに入学する生徒、初級魔術師になって教室を出ていく者たちがいるため、その数は一定ではない。

 また、当然ながら年齢の低い子が多く、男児よりも女児の方が多い。そもそも魔術というのは女性の方により強い素養があり、それはプシュケーの性差が大きいとされるのが魔術界の常識だが、一般的には肉体的、精神的な早熟さが理由の一つとされる。


「うーむ。先ほどの印象とは違って、ずいぶん大人しい子に見えるな……」


 と、いうのはクレスの感想。


 教室の中で最年少であるレナはとても落ち着いており、淡々と真面目に講義をこなしている。先ほどクレスとフィオナがこの教室にやってきたときなど、他の生徒たちはきゃいきゃいとそれは子供らしく騒いだものだったが、そのときもレナだけは静かにしていた。

 大人しくしていれば整った顔立ちもよくわかり、サラサラの髪を後頭部のリボンで結ぶ年齢相応の愛らしい外見、また吊り気味の大きな瞳が利発さを感じさせる。目立つ髪と瞳は、共に艶やかな紫色をしていた。


 講師のモニカがぱんぱんと手を叩く。


「――はーい、午前の講義はここまでっ。それでは最後におまちかね! 先日の定期テストの結果をお伝えして、お昼にしましょうね」


 モニカが黒板にテストの結果――点数とそれによる順位を張り出す。生徒たちがざわざわと騒ぎ出した。


 アカデミーでは、月に一回程度の頻度で生徒たちそれぞれの理解度、成長度をチェックするためにテストを行う。絶対評価のアカデミーでは成績の良い者、成長が早い者から年齢も関係なく位を上げていくが、こうしてテストの結果をあえて相対的に示すのは、それぞれを競わせて高め合うためである。そんな切磋琢磨がこの段階から始まるのだ。


 その結果を見て、クレスはうなるような声を上げて感心した。


「おお、すごいな。あの子が一位じゃないか」


 なんと、トップに名前が載っているのはレナ。

 年上の生徒たちがほとんどの中で、群を抜いた成績を示していた。


「はい、それではレナさん前に。おめでとうございます。みんなもレナさんに負けないように頑張りましょうね!」


 トップであるレナは前に出てモニカから表彰を受け、クレスは周囲の生徒たちと一緒に拍手を送った。


「レナは優等生なんだな。成績も優秀で態度にも問題はない。こうして見ている限りはあまり心配もなさそうだが……どうだろうフィオナ?」

「はい、そう……ですね」


 手を叩くフィオナの視線は、ずっとレナの方に向いている。


 まったく無表情のまま表彰を受けて席に戻ったレナに、隣の柔らかな笑顔の少女が話しかけた。


「レナちゃん、すごいね~! また一番だよ!」

「別にすごくない」

「うぅん、すごいよぉ! レナちゃんはわたしとおんなじ十才なのに、実技でも筆記でもいつも一番だもんっ。わたしはいつもビリのほうだから、レナちゃんみたいになるのがもくひょうなんだぁ!」

「…………」


 にこにこと嬉しそうに微笑む三つ編みの少女は、この教室で唯一レナと歳の同じ生徒であったが、レナはもう何も返さずに無視をする。


 すると、その話を聞いていた周囲の女子生徒たちがレナの方を見てつぶやいた。


「また一位だって。ほんとにすごいわねレナさんは。あたしたちより年下なのに」

「あーあ。やっぱ魔族さんはすごいんだなぁ~。わたしたちみたいな普通の人じゃかなわないよ~」

「才能のある方ですから。クレス様とフィオナ先輩にまで目をかけてもらえて、モニカ先生にもご贔屓にされて羨ましいですわ」


 あえて聞こえるような声で話す三人の少女。それぞれが豪家の生まれであり、聖都で大きな力を持つ貴族令嬢たちである。聖都に暮らすほとんどの貴族にとって、自らの子らをアカデミーに入学させることは必須といえるステータスだ。


 そこで、レナが机を叩いて立ち上がった。

 その音に全員がびくっとそちらに視線を向ける。


「あなたたちがすごくないだけ」


 それだけを言い残し、レナは鞄を手にさっさと教室を飛び出してしまった。


 その反応にクレスやフィオナが呆然とする中、周囲の生徒たちは「なにあれ」「そんなんだからひとりぼっちなんだよ」とひそひそ話をする。中には困惑している者もおり、教室のいたたまれない空気がなんとも居心地悪い。


 クレスは既に動いていた。


「フィオナ」

「はいっ」


 クレスとフィオナは、レナを追いかけて教室を出ていく。 

 教壇の方で、モニカが苦笑いしながら二人に手を合わせていた。



 ――そのままアカデミーは昼休憩となり、多くの生徒たちが思い思いに時間を過ごす。

 中には寮に戻って昼食をとったり、弁当を持参する生徒もいるが、多くの場合は街からやってくる移動販売の弁当、パン等で済ませる者が多い。アカデミーは生徒数が多いため、街の飲食関係者にとっては貴重な収入源である。特に、『ポコット』という人気ベーカリーの焼きたてコッペパンは様々な味があり、一番人気である。


 この時間に、レナはわざわざアカデミーを出てしばらく歩くと、一人、外のベンチでもそもそとおにぎりを食べていた。そこからは、街を流れる川がよく見える。レナは、そんな川の流れをじっと見つめているようだった。


「――レナちゃん。一緒に食べてもいいかな?」


「わっ!」


 後ろから突然声を掛けられたレナは、驚いておにぎりを落としてしまう。

 レナは慌てておにぎりを拾い、振り返った。


「わわ、ご、ごめんねレナちゃん! 驚かせるつもりはなかったの!」


 そこに立っていたのは、ラタンのバスケットを持ったままおろおろとするフィオナ。後ろには、クレスの姿もある。

 レナは汚れたおにぎりを掴みながらムッと眉尻を上げた。


「ついてきたの」

「う、うん。レナちゃんとお昼ごはんを食べたいなぁって思って……」

「レナは食べたくない」


 レナは鞄を掴むと、また走り出そうとする。

 そこでクレスがレナの手首を掴んだ。


「待ってくれ。なら、少しだけでも話をしてもらえないだろうか」

「いたい。はなして!」

「あ、すまない」


 すぐにパッと手を離すクレス。

 本当に放してくれたクレスに驚いたのか、レナはその場に立ち尽くしたまま、ぼそぼそとつぶやく。


「なん…………うの…………」


 声量の小ささに、クレスもフィオナもよく聞き取れない。


 レナはだんっと大きく地面を踏みつけて叫んだ。


「なんで! レナにかまうのっ!」


 何度も、レナは地面を叩くように踏む。


「どうせふたりともモニカ先生にたのまれたから、レナのめんどうみにきたんでしょ! そんなのいらない! メーワク! いますぐやめて!」


 レナの大きな瞳が、クレスとフィオナを射貫くように睨みつける。そこに魔力が集まっていた。



「レナのことなんか……なんにもわからないくせにっ!!」



 レナの小さな身体に魔力が充ち満ちていき、再び角と翼が顕現していく。

 クレスがどう対応するべきか急いで考える中、フィオナは慌てることもなく、静かに膝を折ってしゃがみ込み、レナと視線と合わせて言った。



「わかるよ」



「……え?」



 フィオナはレナの手をそっと握り、もう一度言う。


「わかるよ。だから、何も怖がらなくていいよ」


 ささやくようなフィオナの優しい声に、ざわついていたレナの魔力が次第に収まっていく。


「少しだけでも、お話できないかな? それとね、さっきのお詫びにこのお弁当をあげるね。レナちゃんのために頑張って作ったから、食べてほしいんだ」

「…………」

「だめ、かな?」


 優しく微笑むフィオナに、レナの角と翼が消えていった。

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