♯108 モニカのお部屋♥

 あれから数日後。

 クレスとフィオナは、二人揃って放課後の『聖究魔術学院アカデミー』へと足を運んでいた。

 そわそわと辺りを見渡しながら長い廊下を歩くクレスを見て、隣のフィオナがくすりと微笑む。二人ともお出掛け用の正装をしていた。


「クレスさん、アカデミーに来るのは初めてですか?」

「ああ。俺にはあまり縁のない場所だったからね。少し落ち着きがなかったかな。すまない」

「いいえ。わたしも、自分が育った場所をクレスさんに見てもらえるのは嬉しいです。こちらは主に先生方が使う棟で、各先生方のお部屋や研究室、多目的ホールに、書庫や倉庫などがあるんです。生徒が授業を受けるのは、隣接している別の棟なんですよ。あちらには寮から直接繋がる渡り廊下があるんです」

「なるほど……」


 フィオナの説明を受けながら廊下を進むクレス。

 窓から見える中庭には木々や花壇があり、ベンチも置かれて、ちょっとした休憩スペースになっている。その向こうにある隣の棟では、今日も多くの教室でアカデミーの講師陣による講義が行われているようだ。


 アカデミーでは、まず基本過程を修了して初級魔術師の資格を得ることからスタートする。その後は自分が目指す魔術師のプランに沿って、生徒たちがそれぞれの裁量で履修する講義を決め、平日の講義を受ける。その中で中級、上級と魔術師のランクを上げながら、ある程度の単位や成果を得れば卒業試験が受けられるようになるのだが、その“ある程度”のレベルがとてつもなく高い。そして、だからこそこのアカデミーの出身者は自立した実力を持つ魔術師が多い。


「そういえば、エステルは今日が初めての授業だと言っていたな」

「はい。ちょうど向こうで授業が行われている頃ですね。エステルさんは外部の講師さんということで、授業を受けてみたい生徒が多いってリズリットが言っていましたよ。確か、週に一度くらいの契約と仰っていたので、争奪戦かもしれません。もしわたしが今も在学していたら、必ず講義を受けに行ったと思います」

「そうなのか。ヴァーンも、エステルがいない間に街でナンパしまくるぜと張り切っていたが……二人とも良い結果が出るといいな」

「そ、そうですね」


 真面目に少し抜けたことを言うクレスに、思わず笑ってしまうフィオナ。


 そんな話をしているうちに、二人は目的の場所へと辿り着いた。


「あ、クレスさんこちらです」

「ん、そうか」


 二人が立ち止まったのは、ある一室の前。

 部屋の正式なプレートには『モニカ・エヴァンドール』と名が記されているのだが、なぜかその上に『モニカのお部屋♥』と可愛らしい丸文字の張り紙がされている。


「モニカ先生は、わたしが一番お世話になった先生なんです。わたしが入学したばかりの頃に、ちょうど新任の先生としてやってこられた方なのですが、基本過程を教えていただいたのも、上級魔術師になって卒業試験を受けたときの監督もモニカ先生でした」

「そうなのか。フィオナにとっては恩人なんだね。失礼のないようにしなければならないな」


 襟を正すクレスに、フィオナはまた小さく微笑む。


 と、そこで部屋の中から何やらごたごたと物音がした。


『――いや! ぜったいいやっ!!』


 さらにはそんな少女の悲鳴までもが聞こえてきて、クレスとフィオナは顔を見合わせてから慌てて扉を開ける。


 すると、部屋の中では白衣を着た成人女性が一人と、アカデミーの制服を着た小さな女の子が一人、向かい合っていた。


「もぉ~! おねがいだから、わがままを言わないで? これはあなたのためなの!」

「しらない! かってにそんなのきめないで!」

「それじゃあ、今日は顔を合わせてみるだけでもいいわ。ね? それなら怖くないでしょう? 大丈夫よ。フィオナさんなら、きっとあなたの良いお友達になって――」


 爽やかな印象の女性が柔和に説得しようとしたとき。


 少女の身体から溢れ出した魔力がぶわっと部屋中に広がり、窓ガラスや棚の本、備品、テーブルなどがガタガタと揺れ始める。


 少女の頭部には二本のうねる角が、そして背中には黒い翼が出現していた。



「――そんなの、いらない! だいっきらい!!」



 大声量と共に右足で地面を踏みつける少女。

 途端に少女の膨れあがった魔力が波状にはじけ飛び、窓ガラスにヒビが入って割れ、本はバタバタと倒れて落ちて、薬品と思われる小瓶なども次々に落下して砕け散った。さらに、至近距離からその魔力を浴びた女性が「ひゃああぁあぁぁ~!」と悲鳴を上げて棚の方に吹き飛ばされ、背中を打つ。


「あっ……」


 その光景に、魔力を暴発させた少女が息を呑んで立ちすくむ。途端に魔力の波動は消えた。


「モニカ先生!」


 そこへフィオナが飛び込み、クレスも後に続く。

 フィオナの声に、背中を打った女性――モニカと、そして頭に角の生えた少女が同時にこちらを見た。


「大丈夫ですか? モニカ先生っ」

「え? あららら? フィオナさんもう着いてたんだ? にへへ、お迎えできなくてごめんなさいね~」

「い、いえ。大きな声が聞こえて、中に入ったらこんな……」

「そっかそっか。でもちょうどよかったよ~。例の依頼の件なんだけどね、この子がフィオナさんに紹介したかった子なの。ほら、レナちゃん? ご挨拶はできる?」


 笑顔を崩さない講師――モニカが優しく呼びかける。


 しかし。


「…………っ!」


 青ざめていた少女――レナは何も言わずに駆けだし、クレスの脇を抜けてそのまま廊下に飛び出す。

 クレスが慌てて後を追ったが、少女はあっという間に廊下の角を曲がったのか一瞬で姿が見えなくなってしまう。クレスでさえ呆然とするスピードで姿を消した少女は、どうやら強い魔族の血を持っているようだった。


「すまない。あまりに速くて捕まえることが出来なかった……。というか、突然消えたように見えたな……」


 クレスがそのまま部屋の中へと戻ると、心配するフィオナをよそに、モニカは割れてしまった眼鏡をポイと捨ててニコニコと笑う。


「あら、あらら。これはこれはクレス様! 勇者様にもご足労いただいてすみませ~ん! 何より、恥ずかしいところを見られちゃいましたね。にへへ、やっぱり私ってまだまだ未熟だなぁ」

「そ、そんなことないですよモニカ先生。それより、お身体は本当に大丈夫ですか? あの子、相当高い魔力の波動を放っていました」

「平気平気。この服には簡単な耐魔コーティングコートしてあるし、もう何度目かで慣れっこだからね。ああなるとしばらくお話も出来ないから、先にお二人とお話をしようかな」


 モニカは背中をさすりながら起き上がり、伸ばした人差し指をサッサと何度か振る。

 すると、割れていた窓ガラスや小瓶、本が元の位置に戻って形を取り戻し、散らばっていた資料らしき紙も綺麗に机の上でまとまる。以前、クレスの家でフィオナが使った魔術によく似ていた。


「よし、よし。薬品の中身だけは戻せないけど、仕方ないなぁ~。汚くて申し訳ないけど、適当に座ってもらえる? あ、というかまずは私から勇者様に自己紹介をした方がいいかな! お初にお目に掛かります、勇者クレス様。私、『モニカ・エヴァンドール』と申します。専門は『魔力の個性』で、まだまだ講師陣の中では新米だけど、向上心だけは人一倍ある子なので! 以後、お見知りおきお願いしますねっ☆」


 にぱっと人なつっこい笑みで、可愛らしく頬に指を当てるモニカ。

 栗色のボブカットヘアーは若々しい印象があり、吊り気味の瞳は活発そうで、少々童顔ではあるがスタイルは良い。一見すると、いたずら好きな子供のようでもあった。そして白衣の胸元には、アカデミー講師のバッジが光る。


 しかし、クレスはそちらを見られずにいた。


「あ、ああ。クレス・アディエルです。こちらこそお世話になります」

「はいはーい。んん? どうして目を逸らしてるんです?」

「いや、その……」

「ん? なんですかなんですか?」

「モニカ先生っ! ふ、服! 服です! 服が!」

「え?」


 フィオナに指摘されて自身の身体を見下ろすモニカ。


 そこで彼女はようやく気付く。

 モニカの衣服は、先ほどの少女の魔力によってかなり派手に破けており、その白い柔肌やピンク色の下着が露出していたのだった


「あら、あららら~。コーティングまで破られちゃってたかぁ。私、自分のモノにだけは上手く魔術をかけられないんですよ。にへへ、本当に恥ずかしいところを見られちゃったなぁ。……えっと、ほんとに見ちゃいました? どこまで?」

「見ていません! とりあえずこれをどうぞ……」


 そちらの方は見ないようにそっと上着を差し出すクレス。モニカは「あら~」と目をパチクリしながら受け取り、またニコニコと笑った。


「ありがとうございまぁす! にへへ、良い旦那さんで羨ましいなぁフィオナさん」

「い、いいから早く着替えてきてください~!」


 モニカはにっこにこでクレスの上着をはおり、そのまま隣の部屋へと移動していったのだった。

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