♯107 アカデミーからの依頼


 エステルは続けて話す。


「クーちゃんが他の女の子たちにモテモテだから、誰かにクーちゃんを取られてしまうのではないかと不安になっているの。何か安心出来るような言葉を掛けてあげて」

「……なるほど!」


 乙女心のほんのわずかを理解したクレスは、言われた通り、どこか元気のない様子のフィオナに声を掛けることにした。


「フィオナ。心配はいらないよ」

「……え?」

 

 彼女の手を握る。二人の視線が合った。


「俺の妻は君だ。君の元から離れることはない。なぜなら俺は、君だけを愛している」


 公の場で堂々とそんな発言の出来るクレスに、リズリットや周囲の客たちが顔を赤らめる。ヴァーンは軽く肩をすくめ、エステルは小さくうなずいていた。


 そして当のフィオナは、あまりにもわかりやすく顔を明るくした。その頬は赤く染まり、瞳は輝く。


「……は、はい! 嬉しいですっ!」

「そうか。よかった」

「え、えへへ。私も、同じ気持ちですっ。ずっとずっと、クレスさんのおそばにいます! だって……だ、大好き、ですから……」


 ぼそぼそと気恥ずかしそうに答えるフィオナに、クレスは何も答えず微笑む。

 新婚の甘々オーラに当てられた周囲の客は、なんともこそばゆそうな表情でこちらを見守ってくれている。フィオナはそこで周囲に迷惑を掛けてしまったと気付いて、一度立ち上がって周りに頭を下げてから座り直した。


「うう……ご、ごめんなさいクレスさん。クレスさんがそういう方なのはわかっているのに、どうしても、胸がモヤモヤしてしまって……。こ、こんなに心の弱いお嫁さんじゃダメですよねっ? 私、もっと自分に自信を持っていきたいです」

「いや、君は十二分によくやってくれているよ。俺が不器用なばかりに、いつも要らぬ気苦労をかけてすまない」

「そ、そんなことはないですっ。クレスさんは何も悪くなくて、やっぱり、私がまだまだ幼いのがいけないんです!」


 ばん、とテーブルを叩くほどの勢いで立ち上がるフィオナ。その姿にクレスたち周囲の客だけでなく、通りの人々まで目を向けていた。


「あの冒険でいろいろなことがわかりました。わたしは、まだまだ子供なんです。

このくらいのことで嫉妬してしまって、心を乱すことが証拠ですっ。私は、クレスさんにふさわしい、隣にいて恥ずかしくないお嫁さんになると決めたんです! だから……見ていてください! 私は、もっともっと強い素敵なお嫁さんになります!」


 クレスの手を握って、熱い決意表明をするフィオナ。

 呆然とうなずくクレス、そして周りの人々が揃って拍手を始めたことで、フィオナはハッとして真っ赤になりながら席に着く。特にリズリットが感動したのか拍手を止めようとしなかったため、それからしばらく拍手が続いてフィオナは泣きそうになるほど恥ずかしい思いをしてしまった。


 やがて皆が落ち着いたところで、ヴァーンがあくびをしながら口を開く。


「新婚の惚気はみてらんねぇなオイ。んでよ、そーいやフィオナちゃんは講演とやらで何を話したんだ?」

「ああ、それは俺も気になっていたんだ。フィオナ、どんな話をしたんだい?」


 クレスが話を振ると、フィオナは多少照れながら前で手を振る。


「いえ、大したことは何もっ。わたしもまだまだ修行中なので……。ただ、真面目に努力を続ければ、身についた魔術は自分を裏切らないからと。そのくらいのことしかお話出来ませんでした」


 そこで、エステルがアイスコーヒーの氷をかき回しながら口を挟む。


「あら、他にもちゃんと話していたじゃない。『いくら魔術のレベルが上がっても、わたしみたいな力の使い方をしてはいけません。アカデミーの塔を壊した卒業生なんて自分くらいですし……』って。皆、さすがに笑っていたわよ」

「わぁ! エステルさんそのことはっ!」

「リズはですねっ、『魔術は自分のためじゃなくて、大切な人のために使うべきだと思います』って言葉にとっても感激しました! フィオナ先輩にとっての大切な人……クレスさんのため、なんですよね! ステキでした! かっこよかったです! リズもそうなりたいですっ!」

「わぁ~~~リズリットまで! ク、クレスさんの前で言わないで! 恥ずかしいから!」


 ぶんぶんと手を振ってリズリットの口を塞ごうとするフィオナ。リズリットはもごもごしながら目を丸くした。


「ふふ、いいじゃない。フィオナちゃんがクーちゃんに隠すべきことなんて、もう何もないでしょう? 心も体も、すべてさらけ出したのだから。それに、クーちゃんも聞きたがっているのだし」

「ああ。フィオナはそんなことを話してきたんだな。うん、大変に立派だね。さすがフィオナだ。君が妻でいてくれることが誇らしいよ」

「ほ、ほんとですか? えへへへ……それなら嬉しいです! ――あ、わぁ~! ご、ごめんねリズリット!」


 赤くなってはにかむフィオナは、口を塞がれて苦しそうにしていたリズリットから慌てて手を離す。それでもリズリットはなぜか嬉しそうだった。


 そこでフィオナが思い出したように新しい話を切り出す。


「あ、そうだっ。あの、クレスさん。一つ大切なお話がありまして」

「ん? 話?」

「はい。えっとですね、実はさきほど、アカデミーでお世話になっていた先生からある仕事の依頼をいただいたのですが……」

「仕事の? エステルのように講師をするのかい?」

「あ、いえ違うんですっ。以前にもお話しましたけれど、わたしはクレスさんのお嫁さんが本業ですから! お嫁さん業をおろそかにするようなことはしません! それは私にとって一番大切な使命です! どうかご安心ください!」

「そ、そうか」


 新妻の愛に少々押されてしまうクレス。相変わらずのフィオナにヴァーンたちから笑い声が漏れていた。


 フィオナは少し困った顔で続ける。


「ただ、その、今回は先生からどうしてもというお話だったので……。一度きりの依頼にはなるんですが、お受けしていいものか、クレスさんに許可を頂こうと思ったんです。それに、依頼はクレスさんも一緒に、というものだったので……」

「俺も一緒に? 特に問題はないが……それで、それはどんな依頼なんだい?」

「はい、それがその……ちょっぴり特殊なもので……」

「特殊?」

「え、えっと……あの、そのぅ……」


 フィオナの言葉を待つクレス。エステルやヴァーン、リズリットも不思議そうにフィオナを見つめていた。


 すると、フィオナは何やら言いづらそうに続きを話した。



「じ、実は…………子育て”を、してほしい、という依頼で……」



『――え?』




 その場にいた全員が、耳を疑うように同じリアクションを取った。






 ――そして。


 そんなクレスたち一同の姿を、遠くの物陰から一人の少女が見つめていた。


「…………」


 アカデミーの制服を身に纏い、リズリットよりも幼い容貌をした少女は、建物の影からしばらくの間クレスたちの方をじっと観察し、やがてその場から走って離れていく。

 途中で、その姿は景色に溶け込むように透明になった――。

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