第五章 子育て編(仮)

♯105 クレス、幸せ太りする。

 温泉お泊まりの翌日から、クレスとフィオナは今までにも増してイチャついていた。


 お互いに“新婚カップルらしくなろう”と意識し始めたこともあるが、特に“自分がクレスを守る”という妻としての決意を新たにしたフィオナの行動力は今までの比ではなく、生活のあらゆる面においてクレスを万全サポートしたのである。


 クレスのために覚えた料理のレシピの種類は倍増し、義母からの指南で腕前もさらに成長。毎日栄養満点の手作り料理をあーんで食べさせてくれるし、朝晩と着替えを手伝ってくれるし、耳掃除や爪きりまでやってくれる。

 一緒に入浴すれば身体を洗ってくれる。眠るときは頭を撫でながら優しい子守歌を歌ってくれる。仕事や修行などを手伝ってくれるし、クレスが何をやっても褒めてくれるし常に笑顔で励ましてくれる。

 新婚らしく、毎晩のように精一杯の愛で尽くしてもくれた。子供については、フィオナがもう少し大人になったときに授かれれば良いと二人で家族計画も立てている。そのために今の生活を安定させていくつもりであった。

 さらには、なぜかそんなだだ甘新婚生活の中でフィオナの魔力量が爆発的に向上し、かつて伝説と呼ばれた賢者や魔術師たちに追随するレベルにまで進化していた。エステルいわく、フィオナはマナに愛されているらしい。


 そんなわけで、もはや最強のお嫁さんロードを突っ走るフィオナのおかげでクレスの体調はすこぶる良く、もう以前のように子供に戻ったりすることもない。かつてないほど充実した結婚生活を送れていた。


「――ただ、少し悩みもあるんだ。あまりにもフィオナの料理が美味しくて太ってしまった。そこでもう少し運動量を増やし、身体を絞りたいと思っている」

「ほう。それでオレとの稽古時間を増やしたいと」

「ああ」


 よく晴れた日の朝。聖都で行きつけとなっていたお洒落なレストランのテラスで、男二人が向かい合う。

 ちなみに太ったといっても見た目の違いなどなく、わずかな体重の話ではあるが、クレスほど戦い慣れた者にとってはそのわずかな身体の重さが動きにくさを感じる要因になる。

 

 背筋を伸ばして夫婦生活のあれこれを語ったクレスに対して、ヴァーンは気だるそうに頬杖をついていた。


「それと、ヴァーンに尋ねたいことがあったんだ」

「言ってみろ」

「助かる。この前、フィオナに『裸エプロンとシャツのみはどちらがお好きですか?』と訊かれたが、俺はどんな格好のフィオナも好きだから上手く答えられなかったんだ……。あのとき、俺はどうすればよかったのだろう」

「ほう。裸エプロンとシャツのみ」

「ああ。結局どちらも着てみせてくれたが、やはりどちらも甲乙つけがたい可愛らしさだった。フィオナはどんどん綺麗になっている気がする」

「そりゃよかったな」

「うん。それと、フィオナはまだ成長期だから胸が大きくなったようで、セリーヌさんのところに新しい下着を買いに行くことにもなっているんだ。そこで試着の際にどれが似合うかアドバイスが欲しいと言われていて、どうすれば彼女が喜んでくれるか悩んでいる。頼む、ヴァーン。もっと女性のことを教えてくれ」


 キリッと真剣な顔を向けるクレス。


 ヴァーンが限界を迎えた。



「あんぎゃあああああ知るかボゲエエエエエエエエエエエエエエ!!」



 彼は突然奇声を上げてテーブルをひっくり返す。二人分のコーヒーカップが派手に吹っ飛んで割れてしまった。


 まったく動じはしないものの、内心では驚いたクレスが言う。


「おお。ど、どうしたヴァーン」

「どうしたじゃねぇわボゲッ! 自慢か! 惚気か! どうすればよかったとかしらねえんだよおおおおおおお!! オレは今ほどてめぇをぶっ飛ばしてぇと思ったことはねぇ! 勝手にしろやクソ勇者あああああああああああ!!!」

「な、なぜ怒っているんだ? 落ち着いてくれ。俺はただ、尊敬するヴァーンに女性の扱いを教えてほしいと」

「じゃかあしい! もうオレに教えることなんてねぇわ! つうか女にんなこと訊かれたことねぇんだよおおおおおお!」


 ヴァーンは赤髪をくしゃくしゃさせて愕然と叫ぶ。 


「裸エプロン! シャツのみ! 下着の試着だぁぁぁ……? んだそりゃあああ! 天使か! 女神か!! むしろどうしたらそんな嫁ができんのかオレが教えてほしいんだよおおおおお!!」

「な、なんだって? では、俺はこれから誰に教えを請えばいいんだ? この前セリーヌさんに尋ねたときも、『ほ、他の人に訊いてよもう!』と赤面しながら言われたばかりなのに……! お前がいなくなったら俺はどうすればいい!?」

「そんくらい自分で考えろや!! クソクソクソッ! あのクレスが今や最上級の美少女嫁とクソ羨ましいラブラブ性活してやがる……にもかかわらずこのオレ様はあんな貧乳鬼畜女に束縛されて傭兵かよ! チクショウ! 最近オレに言い寄る女がすくねぇのもぜんぶアイツのせいだ! 冷血つるぺたドS処女めえええええええ!」

「あ」


 クレスが気付いたときには、もうヴァーンの背後に冷笑の美女が立っていた。


「ぶっころ」


 それだけつぶやいた美女はシンプルに拳を氷で覆い、猛り狂うヴァーンをぶっ飛ばす。ヴァーンは「ぶぇっ!?」とカエルのような声を上げて前のめりに倒れ、気絶した。


 美女は椅子に座って足を組み、ヴァーンを踏みつけながら手を挙げてウェイターを呼ぶ。


「アイスコーヒーを一杯いただけるかしら」

「か、かしこまりました」

「いつも騒がしくてごめんなさいね。ご迷惑のお詫びにこちらを。お店のために使ってくださるかしら」


 美女はヴァーンの懐からサイフ代わりの皮袋を取り出し、中身をすべて差し出した。女性のウェイターはペコペコして戻っていく。

 諸々を目撃していた客たちはしばらく呆気にとられていたが、もう何度目かのことなのであまり取り乱すことはなかった。しかし噂は広がる。勇者クレスのパーティは意外にヤバイメンバーらしかったと。


 クレスは慣れた手つきでテーブルを直し、声を掛けた。


「エステル。もう用事はいいのか?」

「ええ。しばらくこちらに滞在することになりそうだから仕事を探していたのだけれど……まさか聖都の魔術学院アカデミーで臨時講師をすることになるとは思わなかったわ」


 朝からアカデミーに足を運んでいたエステル。

 彼女は勇者クレスのパーティメンバーだったことや、以前に暴走する【魔術人形ゴーレム】から街を守ったことなど、その魔術の力と実績が認められてアカデミーから声を掛けられていた。あくまでも臨時ではあるが、本日は依頼を正式に受けるため向かったようだ。アカデミーはその土地柄、教会に所属する魔術師ばかりが講師となっているため、エステルのような存在は希少だ。


「エステルは教えるのが上手いからな。――ところで、フィオナはどうしたんだ? 二人で一緒に行ったのだろう?」


 姿の見えない新妻の存在を気に懸けるクレス。

 フィオナもまたアカデミーから臨時講師として声を掛けられたのだが、クレスのそばにいる『嫁時間』を確保したいと頑なに断り続けた。しかし在校生たちからどうしてもという声が多いと知って、一回だけ特別講義をすることになったのである。そして、今日は朝からその講義に出向いていたというわけだ。

 なお、特別講義はとんでもない人気になってしまい、抽選で選ばれた生徒しか聴けなかったほどである。クレスとヴァーンは、ここで二人を待っていたのだ。


「フィオナちゃんならあちらよ」

「ん?」


 エステルが差し向けた手の方角に目をやるクレス。

 すると遠く――道の途中に妙な人だかりが出来ていることに気付く。しかも、そこに集まっているのは皆、アカデミーの制服を着た生徒たちだ。


「エステル……ま、まさか……?」

「ええ。どうもフィオナちゃんの講義に感銘を受けたファンが多いみたいで、アカデミーを出てからずっとああなの。フィオナちゃんから先に行ってほしいと言われて、伝えに来たのよ」

「そ、そうだったのか」


 以前からフィオナのファンは大変に多かったが、クレスと生活を共にするようになってから見せるようになった彼女の『本来の姿』に魅了された者がとても増えていた。男子生徒はもちろんだが、先輩フィオナに憧れる女生徒の数が尋常ではない。フィオナも後輩たちを邪険に扱うことが出来ず、困っているらしい。


「よし、俺が迎えに行ってくるよ。エステルはここで待っていてくれ」

「あ、クーちゃん。待っ――」


 エステルが止める前に席を立っていたクレスは、そのまま愛する妻の元へ駆ける。


勇者様クーちゃんが行くとさらに話がややこしく……いえ、仕方ないわね」


 彼の姿を見送るエステルは、小さくため息をつく。ちょうどそのタイミングでアイスコーヒーが届き、エステルは静かにコップに口をつけた。


「……なぁオイ。なんでオレはてめぇの優雅なティータイムで足蹴にされてんだ……?」

「あらおはよう。仕事の後の一杯は格別ね。ごちそうさま」


 ぽいっとヴァーンのサイフを放り投げるエステル。


「ア? ――オオオオオイ! なんでオレの金が空っぽなんだよ! てめぇやりやがったな!?」

「朝からやかましい。私のような美女に踏んでもらっているのだから、感謝してお金を差し出すべきでしょう」

「お前マジですげぇ女だな!? 少しでいいからフィオナちゃんみてぇな可愛げあること言え!!」

「えすてる、おかねもちのおにいちゃんだいすき♥ ……これでいい?」

「はああああ寒気がやべぇ!! ――ぐえっ!」


 ヒールでみぞおちを突き刺されたヴァーンは、悶え苦しみながら氷の女王の恐ろしさを改めて実感した。

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