♯101 眠れぬ聖女

 クレスとフィオナが入っていったスイートルーム。

 その廊下の反対側――もう一つスイートルームの扉はわずかにだけ開いており、そこからソフィアとメイドがこっそり顔だけを覗かせて一部始終を目撃していた。


 ソフィアが拳を握って目を輝かせる。


「うんうんっ、二人ともちゃんと入ったみたい。よし、作戦大成功! あっちはこっちよりもムードのある大人向けの内装みたいだし、バッチリな夜になりそうね! きっと、二人で困難を乗り越えたことでまた愛が深まって……キャー!」


 頬に手を当ててくねくねと動くソフィア。

 そんなテンション高めの彼女に、メイドが淡々とつぶやく。


「本日はずいぶんとはしゃがれてお疲れでしょう。早めにお休みになった方がよろしいかと。部屋風呂はどうなさいますか」

「もちろん入るよ! あ、よかったらまた一緒に入る? 身体洗ってあげよっか~? 今日は気分がいいからね、サービスしちゃうよ!」

「ご遠慮致します。また、本日でなくても構いませんが、レポートの提出もお忘れないよう」

「あーーんっ! 完全に忘れてたのに思い出させないでぇ! せっかくの楽しい夜が台無しになっちゃう……よし、もうお風呂でそのことは洗い流そう~~~~!」


 そのまま広いスイートルームを駆け抜けて早速部屋風呂へ向かうソフィア。

 メイドは静かに扉を閉め、落ち着いた足取りでソフィアの後を追った。



◇◆◇◆◇◆◇



 それから少しの時間が経ち。

 美しい星空の下で、聖都が眠りについた頃。


「…………」


 温泉施設の入り口で、一人の年老いた男が手元を見下ろしていた。

 彼の手にあるのは、フルーツの盛り合わせ。それも高級な果実ばかりで、すべて聖女への捧げ物として貴族から贈答されたものだ。


「…………ふむ」


 男はしばらく逡巡したのち、法衣を翻して踵を返す。

 その背中に声がかかった。

 

「んもー。結局何しに来たのよ、レミウス」


 男はすぐに後ろを振り返って目を見開く。

 施設の入り口で、パジャマ姿の聖女ソフィアが眠たそうに目をこすっていた。


「ソフィア様……」

「ん? それ持ってきてくれたの? ありがとありがと。でも時間遅すぎない? まぁ朝ご飯にみんなで食べるね。あ、これわたしの好きなのばっかり! わかってますなぁ!」


 ソフィアは自分から男――レミウスに近づいてフルーツカゴを受け取る。

 レミウスは白い眉をひそめてつぶやいた。


「……このような時間まで起きていられるとは感心しませんな。それも侍女を連れずに出歩くなど。大体、聖女が突然このような場所に泊まるなどと――」

「あーもーわかったから! ていうかねぇ……まだ起きてるのはレミウスがレポート書けっていったからでしょ! 眠くてもがんばる聖女様の姿を見なさいよ!」

「む……」

「あの子がお茶淹れてくれてる間に窓から外を見たらあなたがいるんだもん。だからちょっと降りてきただけ。ていうかさ……あーんな楽しいことの後にこんな地獄が待ってるなんて、夏休みに宿題出される子供たちの気持ちがよくわかったわよ~! みんなもいろいろ大変なんだなぁ。やっぱり街の人とふれあうのは大事だよね」


 レミウスは自分で言ったことを忘れていたのか、それともソフィアが真面目にレポートをやっていることに驚いたのか、皺のよったまぶたで何度かまばたきをした。


「……それは結構なことです。それでは、明朝には城へお戻りください」


 レミウスはそれだけを告げ、ソフィアに頭を下げてから足を引く。後ろに控えていたらしい部下たちが二人ほど出てきて同様にソフィアへと頭を下げ、レミウスを馬車へ案内し、カタカタと音を立てながら去っていった。

 ソフィアが辺りに視線を巡らせると、不自然なほど多くの騎士団員たちが巡回している姿が見られる。


「んー……みんなのお仕事増やしちゃうかぁ。ごめんね。ワガママはほどほどにしておくから」


 困ったような顔で誰にともなくつぶやくソフィア。

 そのタイミングで、いつの間にか背後に立っていた専属メイドがぼそりと言う。


「でしたらお一人での外出はお控えください」

「わぁっ!? あ、あははーごめんごめん。ちょっと来客だったから」

「来客ですか? あの馬車は…………大司教様の……。いえ、今は……」


 言葉の続きを呑み込むメイド。


 レミウスは、以前に【魔術人形ゴーレム】の暴走を起こした責任を取るため自ら大司教の位を辞任し、今は一人の司教として仕事を続けている。そのため現在『大司教』の座は空席となっているが、いずれまたレミウスがそこに戻るだろうというのが多くの都民の考えだ。『聖天教杖ディエス・ローナ』こそ教会に返上することになったが、レミウスの仕事ぶりも以前とそう変わりはない。

 本来、あそこまでの問題を起こせば聖職者ではいられない。そんなレミウスがわずかに位を下げた程度の処置で済んでいることには、大きな理由がある。


「ほーんと不器用だよね。毎日遅くまで街を見回りして、あのときも怪我人はほとんどいなかったのにあそこまで責任感じてさ。オーガが来た後もそうだったし。真面目な人ほどあーなるんだなー」

「……おそらくは、ソフィア様をご心配なされているのでしょう」

「レミウスにしてみたら、わたしなんてずっと子供みたいなものだからねー。あ、これ差し入れみたい。はい」


 フルーツの盛り合わせをメイドに渡すソフィア。メイドはフルーツの山を見下ろして目をパチクリとさせる。

 そんなメイドにソフィアが言葉をかける。


「ねぇねぇ知ってた? そういえばレミウスってさ、若い頃は冒険者やってたんだよ。わたしがこーんなちっちゃい頃、一度だけ話してくれたことあるんだ。けっこー強かったんだって!」

「……それは存じませんでした」

「んふふ、そうでしょ。それでさ、世界を巡る中でいろんなものを見てきたんだって。でも、あるとき旅がきっかけで冒険者をやめることになって、聖職者に行き着いたみたい。一体、何を見てきたんだろうね-」


 馬車の音がまだわずかに聞こえてくる方角を見つめるソフィア。


 魔王が世界を混沌たらしめていた頃、レミウスが長きに渡ってこの都民を大きく発展させ、聖域としての役割を保ってきたことを都民たちは知っている。

 彼が大司教まで上り詰めていく中で、どれだけの困難を乗り越えて街を、人々を、聖女を守ってきたのか都民たちは覚えている。

 彼がいなければ、今の聖都はない。

 だから都民は彼を赦した。

 “赦し”こそ、教会の定める最も尊きしるべ

 人々に赦されたことで、レミウスは憑きものが落ちたように落ち着きを取り戻し、以前にも増して精力的に働くようになったという。以前の彼ならば、聖女ソフィアが街の施設に泊まることなど絶対に許しはしなかっただろう。


 ソフィアは手を後ろで組みながら語る。


「わたしたちがみんなを救ってるって思われがちだけどさ、わたしたちの方がみんなに救ってもらえてるんだよね。どっちかが、じゃなくてどっちも、みたいな。そういうのって、大事じゃない?」


 くるりと回ってメイドに笑いかけたソフィアに、メイドは静かに目を閉じて返す。


「お部屋に戻りましょう。レポートが残っておりますので」

「ああ~んまた嫌なこと思い出しちゃったぁ~! ねぇねぇ手伝って! あなたならこういうの得意でしょ~!」

「お断り致します。私が手伝うことはソフィア様のためになりませんので」

「助け合いの精神~~~~!」


 涙目で抱きついてくるソフィアを無視し、メイドはエプロンを整え直してから平静な顔で歩き出したのだった。

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