♯98 ユカタとアイスとペルシュと

 それからしばらく風呂を楽しみ、脱衣場に上がったフィオナたち。

 後に施設で販売する予定だというオススメの化粧品を試供品として使わせてもらい、お肌のケアはバッチリ。さらには入浴後のマッサージまで無料で受けることができて、フィオナたちは思う存分に疲れを癒やすことが出来た。皆、温泉の効能で肌はさらにツヤツヤになり、活力も満ちている。

 リズリットなど初めてのマッサージがあまりに心地良かったのか、そのままぐっすりと寝入ってしまい、セリーヌが家へと送り届けていった。


 その後は、施設が用意してくれた『ユカタ』なる服に着替えて、館内を散策しながら休憩をとることに。


「フィオナちゃーん! あっちでアイスも売ってるからみんなで食べよー! もうクレスくんとヴァーンさんもいるみたいだよー!」

「あ、はぁい! この服が少し難しくて……さ、先に行っていてくださーい!」

「わかったー!」


 既に着替え終わっているソフィアが先頭で大声を上げ、エステル、ショコラも一緒になって脱衣場を出て行く。ソフィアのアイス好きは有名だが、どうやら氷結魔術の得意なエステルと、お菓子大好きなショコラもアイスには目がないらしい。


「フィオナ様。お着替えをお手伝いしましょうか」

「あ、大丈夫です! メイドさんもどうぞお先に。わたし、こういった服は初めてですけど、せっかくなので着付けの練習をしてみたいんです。クレスさんにも、着せてあげられるようになりたいので!」

「承知致しました。それでは、着替え中に誰も入らぬよう外で見張っております。何かありましたらお声がけください」

「はい!」


 メイドは頭を下げて外に出て行く。年若いながらどこまでも気の利く少女であった。


「うーん……えっと、これがこうで……ここで、帯の布を巻く……でいいんだよね」


 一人になったところで、『ユカタ』と呼ばれる衣服の着方に苦戦するフィオナ。

 この『ユカタ』は一部の温泉が盛んな地域にのみ伝わる伝統の衣類らしく、通気性の良い薄布の素材で作られ、肌触りも良く、湯上がりにはぴったりの簡易的な略装なのだという。この施設では、入浴後にも館内で楽しむためのサービスとして客に使ってもらうようだ。フィオナたちは、いわばその体験をしているのである。


「あっ、また失敗……」


 着付けが上手くいかず、帯がほどけ落ちてしまう。ユカタのときには下着をつけないという決まりがあるらしく、そのせいで収まりのつかない胸が暴れてしまうこともあり、初めての服を一人で着るのはなかなかに難しかった。元々胸の大きな女性には向かない服でもあるようだ。


「うう~。わたし、また大きくなっちゃったかも……。素直に手伝ってもらえばよかったかな……」


 姿見に映るはだけたユカタ姿の自分を見つめながら、フィオナは先ほどの話を思い出す。


「……わたしって、本当に、綺麗……なのかな? クレスさんも、そう、思ってくれてるかな……?」


 ソフィアやエステルたちはそう言ってくれた。

 だが、一番そう思ってもらいたいのはクレスである。

 彼さえ自分を綺麗だと思ってくれるなら、それだけでいい。彼が触れてくれるくらい綺麗でいることが出来たら、それが幸せだとフィオナは思った。


 そう思った刹那に、あの日の初めての感覚が蘇る。


 気付けば、フィオナの手は自身の胸に伸びて――。



◇◆◇◆◇◆◇



 やがてフィオナが脱衣所の扉を開けたところで、そこに立っていたのはソフィアの専属のメイド少女である。


「あ……」


 フィオナの小さな声が漏れる。

 メイドは、ほんのりと顔を赤らめているフィオナのユカタ姿を見て即座に動いた。


「結びが甘いようです。失礼致します。中へどうぞ」

「え? あっ」


 メイドはその場でフィオナを優しく脱衣場の中へ促し、扉を閉めるとフィオナの背後に回り、慣れた手つきで着付け直しをしてくれる。その手際は見事で、フィオナの立派な胸もしっかりと収めてくれた。さらには、手持ちのハンカチでフィオナの顔の汗までも丁寧に拭ってくれる。


 それから扉を開け、二人揃って外に出る。


「あのっ……あ、ありがとうございます」

「いえ。あのままでは途中でほどけてしまっていたやもしれません。こちらでお待ちしており正解でした」

「た、助かりました。あの、それで……えっと……」


 フィオナはなぜだかそわそわと落ち着かない様子で目を動かし、それ以上は何も言えずに戸惑っていた。


 メイドは、涼しい顔をして返す。


「……着付けに手こずっておられる様子でしたので、少々心配しておりました。汗も引いたようですし、問題ございません。どうぞこちらへ。ソフィア様たちがお呼びです」


 メイドが手で示すと、遠くの休憩所でユカタ姿のソフィアがぶんぶんと手を振って呼んでいる。近くにはクレスの姿もあった。

 そのまま何事もなく歩いていくメイドの後ろ姿に、フィオナは心から感謝の念を送る。こうしてフィオナも無事にソフィアたちと合流した。


「フィオナちゃんおっそいよ~何してたの~! みてみて、アイスいっぱい売ってるよ! 好きな味選んで選んでっ。聖女さまがおごってあげます!」

「は、はぁい! あの、遅れてごめんなさい」


 ソフィアがサービスとして作られていたアイスを山ほど注文し、さらに自らお金を支払おうとしたため、店員は大変に慌ててお金の受け取りを拒否していた。

 そこにはもちろん、クレスたち男子組の姿もある。ヴァーンはアイスでも食べ過ぎたのか腹をさすっており、エステルがなぜか満足げにそれを見下ろしていた。


 フィオナを出迎えたクレスが心配そうに話す。


「フィオナ、ずいぶん時間がかかっていたようだが、脱衣所で何かあったのかい?」

「あ、い、いえっ! と、ととと特に何も! お待たせしてしまってごめんなさいクレスさん!」

「何もないならいいんだが……それにしても、その服も似合っているね」

「そ、そうですか? 着方がよくわからなくて、結局メイドさんに仕上げていただいたんですけれど……そう言ってもらえると嬉しいです!」

「うん、いつもと少し印象が違って素敵だ。俺もこれは初めて着たが、なかなか涼しくていいな」

「えへへ、ありがとうございます。着心地が良くて楽ですよね。あ、足元は見えにくいですけれど……」


 そうつぶやいて自分のユカタを見下ろすフィオナ。うっかり谷間が見えてしまいそうになることもあるためか、クレスは紳士的に目を逸らしていた。


「セリーヌさんやリズリットにも着てもらいたかったなぁ……。男性のものも、なんだか落ち着いたデザインでいいですね。クレスさんも、とってもよくお似合いです!」

「そ、そうかな。ありがとう。よし、じゃあアイスでも食べて休もうか。聖女様も待っているしね」


 二人でそちらの方をみれば、ソフィアが両手に三段重ねのアイスを持ったまま「二人ともー! 溶けちゃうから早くー!」と呼んでいる。ショコラなど五段重ねを美味しそうに舐めていた。

 フィオナもクレスも、そんな光景に笑いながら歩き出した。



 ――こうしてクレスたちは開店前の温泉施設でのんびりと骨を休め、アイスを食べながら談笑。ちょっとした軽食も振る舞われて、お腹を満たすことが出来た。

 実は、ソフィアのためにと豪勢な料理で歓迎の用意もされていたらしいのだが、ソフィアは『聖女として来ているわけではないから、特別扱いをしないでほしい』と言い、結局クレスたちと同じ扱いを受けることとなった。

 また、ここは宿泊施設も兼ね備えているため、クレスたち一行は施設側の好意でこのまま無料宿泊体験もさせてもらうことに。オープン前に実際に使ってもらい、その意見を参考にしたいのだという。

 すると、ソフィアまで「わたしも泊まる!」と言いだし、それには関係者が大いに慌てることとなったが、結局最後にはソフィアの意見が通ったようである。ただし、施設の体験レポートを提出するという条件が大司教レミウスから進言され、ソフィアはクレスたちと遊ぶためにそれを受け入れたのだった。


 それからクレスたちがやってきたのは、館内に用意された遊戯スペース。室内用のスポーツで汗を流せる部屋などもあり、クレスたちは食後の腹ごなしに遊んでいくことにした。

 クレスたちが選んだ遊びは、長方形の台の上で小型の弾力性ボールを木板で打ち合う球技スポーツで、その名は『ペルシュ』。これも温泉が発展した地域で生まれた古い遊びらしく、浴衣で打ち合うのが決まりとのことだった。


「むう……見たこともない遊びだ。この薄い木板で打ち合うのか」

「なんだか楽しそうですね、クレスさん!」


 メイドから配られたアイテムを興味深そうに見つめるクレス。

 円形の扇のような木板に、手で握るための柄がついている。メイドが見本として木板を持ち、軽く壁に向かってボールを打つと、弾力のあるボールはぽんぽんと気持ち良い音を立てて跳ねた。それを見てショコラが「スライムみたい!」と喜び追いかける。

 

 やがてソフィアが声を上げて全員の視線を集めた。


「みんな~聞いて~! せっかくだからただ遊ぶだけじゃなくてさ、“勝った人が負けた人に好きな命令を下せる”ってルールにするのどうかなぁ? 前にクレスくんとフィオナちゃんの披露宴でやったゲームじゃないけど、それならみんな遊びでも真剣になれるしさ。わたし、そういうのあった方が燃えるんだよねぇ!」


 そんなソフィアの提案に真っ先に乗ったのはヴァーン。そのまま流れでクレスたち

も快諾。その反応に、ソフィアはニヤリと妖しく笑った。


 こうして、突然の湯上がりスポーツバトルが幕を開ける――!

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