♯94 夜のお茶会

 まぁるい月が出ていた。


「あ~…………」


 聖都の中央に建つ聖女のための城――『聖エスティフォルツァ城』。

 その聖女専用の広い庭で、聖女ソフィアはだら~とテーブルに突っ伏してうつろな目をしていた。


「まいにちおしごと……レミウスはガミガミ……もうやだ……あそびたい……」


 一年のうちで最も忙しい時期の一つである祭りの期間が終わったとはいえ、この世にただ一人しか存在しない聖女ソフィアのスケジュールは年中みっちりと詰まっており、基本的に彼女には自由がない。ゆえに、こうして一人になれる夜の時間は貴重だった。

 ただし、一人といっても専属のメイドだけは別だ。


「ソフィア様。献上品の新しい紅茶を淹れてみました。湯浴みまで少々お待ちください」

「ありがとー……イイにおーい……」


 鼻をくんくんさせながらも、だらけた姿でテーブルから動かないソフィア。だいぶ疲労が溜まっているようだった。

 その様子を察したメイドが声を掛ける。


「ソフィア様。先日より急ピッチで進めておりました街の工事ですが、ひとまず温泉施設の方が完成に近づいております。後々はこちらの方にも温泉を引く予定ですが、今のところは塔の跡地で大衆浴場として運営する形となりました。現在、その建物が完成間近です。聖都にはあまり娯楽施設がありませんので、都民の要望も高かったようです」

「そっかー……うんうん……いいんじゃないかなぁ……」

「つきましては、オープン前に特別にソフィア様をお招きしたいとのこと。一番風呂をご堪能いただきたいようです。お風呂好きのソフィア様にもご満足いただけるよう、他国の技術を取り入れた近代設備の温泉になったとか。お時間があれば、今夜からでも問題ないようですが……」

「へぇ……すごーい……たのしみだなぁ……うふふー……」


 その割に生気を失った返答をするソフィア。もはやスライムのようにとろけかけている。


 毎朝に聖水でソフィアの身体を清め、毎晩に湯浴みを手伝うメイドは知っていた。

 ソフィアはどれだけ疲れていても、お風呂のときだけは機嫌が良くなるくらいに入浴の好きな少女である。それは、ソフィアの日常にそれくらいしか楽しみというものがなかったことによる。

 ゆえにこれならソフィアも喜ぶのでは――と考えていたらしいメイドは、アテが外れて少々苦しむ。


「この紅茶は綺麗な色だねぇ…………あ、紅茶のお風呂なんて素敵だなぁ。でももったいないしやめようねぇ……うふふふー……」

「…………」


 ツンツンとカップを突きながら乾いた笑いを見せるソフィア。

 メイド自身も最近のソフィアの忙殺ぶりを心配するばかりであり、心身を支えるためにあれこれと気を揉んではいるのだが、結局のところ、仕事そのものの量が減らなければどうしようもない。そして、所詮雇われの使用人であるメイドにはその部分に口を挟むことなど許されない。


「……お茶菓子を持ってまいります」


 少しでもソフィアの気が休まるよう、メイドはその場から離れる。

 どうも、現在この聖都からクレスやフィオナが離れているようで、二人に会えなくなってしまったこともソフィアの心に穴を開けているようであった。憧れの存在であるクレスはもちろん、フィオナに対してもソフィアがある特別な感情を抱いていることはこのメイドだけが知るところである。

 

 本当に一人になったソフィアは、焦点の合わない目でぼそぼそとつぶやく。


「一人で温泉なんて行ってもなー……。あーあ、クレスくんとフィオナちゃんはげんきかなぁ……」


 そんな風に愚痴を漏らすソフィアの目の前に、突然、『黒い扉』が出現した。


「……んー?」


 ぼーっとした目で扉を見つめるソフィア。

 彼女の星宿す瞳――『天星瞬く清浄なる瞳プリミティア・ライラ・オクルス』が扉の持つ強力な魔力を可視化し、反応する。それがどういう魔術であるか瞬時に理解した。


 するとその黒い扉が内から開き、中から見知った顔の者たちが続々と姿を現す。


「ハーイとうちゃくッ! おつかれさにゃー!」

「ありがとうショコラ。やはり君の魔術はすごいな」

「ショコラちゃんは本当にすごいですっ。わたしも、ショコラちゃんの魔術を覚えたいです!」

「やーれやれ。元々は別の街に行く予定だったが、まーた聖都に戻ってきちまったな。んで、ここはどこなんだよ。――あ」

「……どうやら、すごいところに出てしまったようね」


 真っ先に気付いたのはヴァーンとエステル。

 二人の視線の先を追ったクレスとフィオナも、すぐ事態に気付く。特にフィオナなど驚きのあまり手で口を塞いだ。


 ショコラが手を挙げて言う。


「あっ、ソフィアだー! あはは、またつまんなそうな顔してるー! えいえい!」


 駆け寄ったショコラが、ソフィアの柔らかな頬を突っついたりぐにぐにと引っ張って遊び始める。

 突然の出来事に、ソフィアはされるがままで固まっていた。


「……はぇ?」


 それからこれが現実であることを悟り、その輝く瞳を大きく見開く。


「え? え? えっ? え、ええええ~~~~~~~~~~きゃあっ!?」


 大声を上げながら椅子ごと後ろに倒れてしまうソフィア。その声を聞いたらしいメイドが瞬時に戻ってきて、また呆然となる。


「ソフィア様! ――え? 皆さまもご一緒で……これは一体……」

「わたしが聞きたいよぉー! でもまたクレスくんたちに会えてうれしー! やったー!」


 ソフィアは椅子ごと倒れたままバンザイをして、そのまま素早く起き上がってクレスたちの元へ駆け寄った。


「今の扉は転移魔術みたいだね! ねぇねぇクレスくん今度は何をしてきたの? 何か面白いことあったんだよねフィオナちゃん! わたしにも教えて教えてっ!」

「おお。せ、聖女様、落ち着いてください」

「お、落ち着いてください聖女さま。わたしたちもどうしてここに来てしまったのかわからなくてっ。ショ、ショコラちゃん? どうしてここに?」


 あせあせとショコラに尋ねるフィオナ。

 すると、ショコラは後ろに手を組んだまま首を傾けてニパーと歯を見せながら笑う。


「ウチねー、よく聖都に来るときはこのお城まで遊びに来てたんだー。たまにソフィアがつまんなそうにしてるから、からかって遊んだりしてたの!」

「え? ショコラちゃん、聖女さまとお知り合いだったの?」

「ちょ、ちょっと待って? わたし、その女の子のことは知らないよ?」


 困惑するソフィアに対して、ショコラが「あ、そっかっ」とつぶやいてからその場で身軽にジャンプして前転。するとその姿は一瞬で黒猫モードに変化した。


 その姿を見て、ソフィアが「あーっ!」とまた大声を上げる。


「あなた! よくお城に来てる黒猫ちゃん! 普通の猫ちゃんじゃないと思ってたけど、魔族さんだったのー!?」

「ニャー」

「そっかそっかぁ、でも悪い子じゃないんだね。さっきの魔術も黒猫ちゃんのかぁ! あ、それじゃあその魔術を利用させてもらえればわたしもナイショで外に遊びに……うふふふ……! ――って冗談! 冗談だからね!?」


 メイドの方を見てうろたえるソフィア。

 その間にヴァーンがあくびをしながら歩き出し、先ほどまでソフィアが使っていた椅子に平然と腰掛けて足を組む。


「ま、もう良い夜だしよ。とりあえず落ち着いて話そうや。クールで可愛い美人のメイドちゃんよ、全員分の茶よろしくな。つーかそろそろ名前教えてくれ」

「少しは遠慮なさい野蛮人。どうみてもここは聖城よ。貴方みたいのがいたら強盗――いえ性犯罪者と間違えられて処刑確定だわ。教会に手を煩わせるわけにもいかないから私がここで処刑しましょう」

「ただお前がオレを処刑したいだけじゃねーか! つーかなんで言い直したの!?」

「あはは、いいよいいよ座っててっ。ほらほらクレスくんとフィオナちゃんも! みんなで座ってお茶飲も! それでお話聞かせて! あとあと、温泉が良い感じみたいだから後でみんなでいこうよ! わーい楽しみ!」


 ソフィアはクレスとフィオナの手を引き、すぐに全員分の椅子が用意されてテーブルを囲むことに。ショコラだけは黒猫姿のままソフィアの頭に乗っかっていた。

 先ほどのソフィアの悲鳴を聞いた教会の『聖職女シスター』たちも幾人か駆けつけ、聖女専用の庭で繰り広げられる姦しい光景を見て目を丸くする。中にはすぐに止めようとするシスターもいたが、それはメイドが制した。


 年相応の少女らしく、明るく笑うソフィアの横顔を見つめて、メイドはわずかに微笑んで身を引いた。


「――ただいまお茶をご用意致します。少々お待ちくださいませ」

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