♯93 旅の終わり
「――なるほど。俺は一時的に精神まで子供に還っていたのか。そして、フィオナたちが持ち帰ってきてくれた素材を使った薬で、こうして元に戻れたんだな」
フィオナたちが簡単に事の次第を説明し終えたところで、大人に戻ったクレスはようやく大きな疑問を解決することが出来ていた。
「はい。どうでしょうクレスさん? 記憶は、混乱していませんか?」
「うーむ。話を聞いてもやはり実感はないし、何があったのかはよく覚えていないが……体調には問題ないよ。そんなことはいいんだ。それよりフィオナ」
「は、はいっ?」
クレスはまだほとんど半裸の状態で、ソファに座ったままフィオナの腕を掴む。その真剣な目にフィオナは驚いていた。
「君の方こそ大丈夫だったのか? 怪我はっ? 花を支配する高位魔族と戦闘になったのだろう? すまない。俺がしっかりしていれば、君を危険な目に遭わせることもなかったのに。肝心なところで役に立てなかった。恥ずかしい限りだ」
「ク、クレスさん? あの、わたしは大丈夫ですから。お、落ち着いてくださいね」
「うん。本当に良かった……」
「クレスさん…………え、えへへ……」
安堵したらしいクレスのたくましい腕に抱きしめられて、フィオナはほんのり赤くなりながらも心配されたことを喜んでいた。そんな光景にヴァーンやエステルが笑い、ローザが「んああぁあぁぁぁあ~~~」と額を抑えながら何やら悶えている。
「勇者サマは相変わらず一途なこったなァ。心配すんなクレス。問題ねーよ。むしろオレらの方が危険な目に遭ってフィオナちゃんに助けてもらったくらいだぜ」
「ええ、その通りよ。けれど、やはりクーちゃんはクーちゃんね」
「クンクン。うん、元のクレスのニオイだ! よかったねー元にもどって!」
「そ、そうか……皆も無事のようでよかった。ありがとうフィオナ。君はやはりすごいな。ええと、それから気になっていたのだが、そこの妖精は……」
クレスは皆の顔を見渡した後、フィオナのそばでふよふよと浮かぶ妖精――呼吸を荒くしながら気持ちよさそうな顔をしていたローザに目を向ける。
「ハァ、ハァ……お姉様の幸せそうな顔に、思わず悶えるほどの愛を感じてしまいましたわ。さすがはお姉様の愛を注がれたお方。それに見合う素晴らしい愛をお持ちのようですわね。あの可愛らしい紳士がこのようになるとは……よろしいでしょう! ワタクシがお姉様の夫として認めて差し上げます!」
ビシッとクレスを指差しながら満足そうにうなずくローザの姿に、さすがのクレスもポカンと呆ける。フィオナは苦笑しながら口を挟んだ。
「ええと、クレスさん。こちらの方が先ほど話した、お花を守っていた魔族のローザさんです。ちゃんとお話をしたらわかってくれて、蜜を分けてくださったんですよ」
「ああ……そういうことだったのか。少し驚いたが、そうか。感謝するよ。ありがとうローザ」
「礼には及びませんわ。すべてはお姉様の愛ゆえの結末。――さて、お姉様の愛も見届けることが出来ましたから、ワタクシはこれでおいとま致します」
「え? ローザさん?」
ローザはフィオナのそばから離れると、そのまま開いていた窓から外に出てしまう。
フィオナたちが後を追い店を出ると、既に陽は暮れて、店の周囲には月明かりが差し込んでいた。
その光に照らされるローザが六枚羽の粒子を散らすと、花吹雪のような魔力はローザの身体を包みこみ、あっという間にその身体が元の子供のほどのサイズに戻る。
ローザがこちらを振り返った。
「お姉様。良き愛をありがとうございます。ワタクシにとって輝かしき記念日となりましたわ。愛とは永遠の試練。その愛がどこまでも続くこと、影ながら見守っておりますわ」
「ローザさん……」
「にゃっ。帰るならお花畑まで送ってあげよっかー? 森の中じゃ魔術つかえないよー」
そこでショコラが尻尾を揺らしながら言ったが、ローザは手でショコラを制する。
「心遣い感謝致しますわ。しかし、ナイトキャットの闇の魔術はやはり肌に合いませんの。せっかくの月が美しい夜です。のんびりと空の散歩をして帰りますわ」
「そっか~。それじゃまたねー! 次はご主人と一緒にお花採りいくねー!」
「ま、まったく懲りてませんわねこの黒猫ちゃんは。……まぁよろしいですわ。あの子たちがいいというならば、少しくらい分けてあげてもよいでしょう」
一時は花の養分にされかけていたショコラの無邪気な言動に、さすがのローザも呆れたようにため息をつく。だがその表情に敵対心はない。
「んじゃなー生意気なチビッ子魔族。今度会うときまでにもっとボインちゃんになっとけよ。そしたらまともに相手してやるからよ」
「だまらっしゃい野蛮人! アナタと再会することなど金輪際ありえねぇですわ! そちらの
ムキーと怒鳴りつけるローザにゲラゲラ笑うヴァーン。大人用に服に着替えながら呆然とするクレスに、フィオナは苦笑いするしかなかった。
咳払いをして落ち着きを取り戻したローザは、最後にスカートをつまみ上げながらフィオナに向かって頭を下げた。
「それではお姉様。名残惜しいですが、いずれまたお目に掛かりましょう」
「ローザさん……ありがとうございました。どうかお元気で!」
「その愛に祝福を」
フィオナに笑いかけたローザは空高く上昇すると、あの花畑の方角に向けて飛んでいった。
セシリアが小さく手を叩いて言う。
「さてさて……もう暗くなってしまいましたが、皆さんはどうなさいますか? よろしければ、店に泊まっていってくださっても結構ですよ。私も、ショコラ以外の話し相手が出来れば嬉しいですから~」
「にゃー。それかウチが送ってってあげてもいーよ? 聖都ならよく遊びに行ってるからネ!」
「ええと……ど、どうしましょう」
二人の申し出に思案するフィオナ。
クレスが先に口を開いた。
「いや、俺たち四人を泊めるのも大変だろう。これ以上セシリアに迷惑をかけるわけにもいかない。ここはショコラに送ってもらえればと思う。皆、どうだろうか」
「あ、わ、わたしもそう思います!」
真っ先に同調したフィオナに続き、ヴァーン、エステルも同意の言葉を返す。
「そうですか……少々残念ではありますが、聖都でゆっくりとお休みくださいね」
「ああ、ありがとうセシリア。それじゃあショコラ、頼めるかい?」
「ニャ。おまかせあれー!」
言うが早し、ショコラはすぐに黒い扉を具現化した。
既に見慣れた魔術だが、フィオナが少しだけ身を縮ませる。
「フィオナ、大丈夫か?」
「へ、平気です。もう慣れましたっ。それに、女は愛嬌より度胸が必要だって小さい頃にママが言ってました!」
「そうか」
ふんす、と気合いを入れるフィオナに全員が微笑ましい顔を向ける。そのママとは、育ての親であるベルッチのことではないのだろう。
そこでフィオナが「あっ」と何かに気付いたような声を上げた。
「そういえば、どうしてショコラちゃんはこの森で魔術が使えるんでしょう? 何か特別な理由があるんでしょうか?」
その疑問に、セシリアがニコニコしながら答えてくれる。
「
「あ、そういうことだったんですね!」
「ショコラちゃんはそれほどの魔力を持っているのね……なるほど、納得したけれど驚いたわ」
フィオナと一緒に、エステルも腑に落ちた表情を見せる。
セシリアが一歩踏み出して言った。
「フィオナさん。最後にお一つ」
「は、はい。なんでしょう?」
「今回の薬では、あくまでも症状を緩和したに過ぎません。そもそも禁忌扱いされている魔術はその不完全さゆえに危険とされています。フィオナさんの
「そ、そんな方法があるんですか? はい! 是非お願いしますっ!」
顔を明るくするフィオナ。
セシリアはフィオナのそばに近づき、なぜかフィオナにだけ聞こえるようにこそこそと耳元でささやき始めた。クレスたちは不思議そうに見守る他ない。
初めは熱心に「はい、はい!」とうなずきながら聞いていたフィオナだが、やがてその顔が固まり、じわじわと顔中が赤くなっていき、最後にはぷるぷる震えだす。
セシリアが耳元から離れて微笑む。
「セ、セシリアさん? そ、そそそれじゃあ、こ、こ、このお薬は……っ!」
「うふふ。お嫁さんのがんばりどころですよ、フィオナさん」
「…………はい。が、ががががんばりまひゅっ!!」
赤面しながらぐっと両手を握って鼻息を荒くするフィオナ。クレスとヴァーンは顔を見合わせて首をかしげていたが、エステルだけは何かを察したのか涼しい顔をしている。
「にゃあ? お話おわったー? それじゃあいくよ! れっつにゃーん!」
ショコラが扉を開け、ヴァーンとエステルが先に入る。クレスとフィオナもしっかりと手を繋いでから一緒に足を踏み入れた。
「セシリア。本当に世話になった。また必ず買い物にくるよ」
「セシリアさん、ありがとうございました。あっ、お菓子のレシピもありがとうございます! きっとまた来ますね!」
「はい、楽しみにお待ちしています。聖都は遠いですから、ショコラが遊びに行っているときにでも捕まえて来てください。それではどうかお元気で」
冗談交じりの言葉にクレスとフィオナは笑い、そのまま扉の中に入り、闇に飲まれる。
ショコラだけが扉から顔を出して言った。
「じゃあいってきまぁーす! ついでにおみやげでも買ってくるね! ご主人の好きなお酒も買ってきたげる! あとチョコレート!」
「はいはい、遊びすぎないようにね。聖女様にご迷惑をかけてはいけませんよ」
「わかってまーす。あ、ねぇねぇご主人。そいえばホントのこと言わなくてよかったの? この森はご主人の魔――」
「ショコラ」
セシリアはささやくようにショコラの名を呼び、小さく首を横に振る。
「いいのよ。それよりも、皆さんのことをくれぐれもお願いね」
「ん、わかったっ。じゃあねーご主人! イイ子でおるすばんしててにゃん!」
ショコラが中から扉を閉じ、闇の扉は消える。
セシリアは、開けた森から見える月に目を向け、つぶやく。
「世界を救いし勇者と、その勇者を救いし花嫁……。お母様。あなたの残したこの店は、多くの人々を救えました。どうかご安心ください」
月に向けて祈るセシリア。
どこからともかく風が吹き、ざわざわと森が鳴く。
「……ふふ。大丈夫です。私はずっと、ここで皆さんのお役に立つよう励みます。今は、大切な同居人もいますから。あの子が帰る家を、守らなくてはいけません。もう、アルトメリアの血に縛られてはいませんよ。これは、私の意志ですから」
セシリアは愉しそうに微笑み、店の中へと戻っていく。
彼女が扉を閉めた瞬間、製薬店は夜闇に溶け込むようにその場からこつぜんと姿を消した。
森は、静寂に包まれる――。
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