♯92 子供のクレスと大人のクレス

 フィオナは真実を話した。


 クレスが本当はもう二十二歳の大人だということ。

『勇者』として魔王を倒し、世界を救った後、自分と結婚をしたこと。

 新婚生活を始めたばかりの頃に突然クレスが小さくなってしまい、身体を元に戻すためにここにきた。すると、クレスが精神状態まで子供の頃に戻ったこと。


 そしてこの薬は――クレスを大人に戻すためのものであること。


「これが、わたしの話したかったことです。今まで何も言わなくて、ごめんなさい……」


 当然ながら、フィオナはすぐに信じてはもらえないと思っていた。

 いくらクレスでも、今は子供の精神状態である。さすがに理解の範疇を超え、混乱を招くだろう。


 そう思っていたのだが。


「……なるほど。そういうことだったのか。わかった。フィオナお姉さんの話を信じるよ」

「……え? ク、クレスくん?」

「これを飲めばいいんだね」


 なんと、クレスはあっさりとフィオナの話を信じ、その場でセシリアの薬を飲み込んでしまった。これにはフィオナたちもびっくりである。


「クレスくんっ! え? わ、わたしの話をすぐに信じてくれたの? そ、それにもう薬をっ」

「――ん? ああ。だってその話は嘘ではないんだろう?」

「は、はい。もちろん、そう、なんですけど……」

「ならいいさ。記憶が混乱していたり、力が使えなくなっていたことが不思議だったが、それなら合点がいく。それに、お姉さんの言葉はなんだかしっくりと心に馴染むんだ」

「クレス、くん……」

「でも、すこし驚いたな。そうか、俺はもう世界を救っていたのか。なら、今の俺にとってこの世界は未来の……そしてこの指輪がお姉さんとの…………そうか……」


 クレスは、しばらくじっと左手の指輪を見つめる。


 するとそこで、クレスの身体がわずかに輝き始めた。


 セシリアが言う。


「ラブラドルの『愛の蜜』の成分が上手く作用してくれているようです。クレスさんのお身体も、じきに大人の姿に戻るでしょう」

「ほほう。新鮮な蜜の効能を薬に閉じ込めたことで、体内から彼のこころに作用しているのですわね。なるほど、このような使い方もあるとは驚きですわ」


 続くローザの言葉に、クレスが自分を身体を見下ろしながらつぶやく。


「……そうか。元に戻るのか・・・・・・。なら、今の俺は――」


 クレスは、フィオナの方を見上げて話した。


「フィオナお姉さん」

「は、はい」

「大人の俺は、どんなやつかな」

「……え?」

「あまり想像はつかないけど、世界を救ったくらいなのだからそれなりに強くなっているんだろう。君を守れるくらいにはたくましくなっているかな。俺はあまり女性と接したことがないから、大人になってもきっと不器用に違いない。君を困らせているのだろうね。ごめん。そしてありがとう。大人に戻ったら素直に言葉には出来ないかもしれないから、今のうちに言っておくよ」

「クレスくん……」


 今のクレスは、過去のクレスである。

 それでも、確かにこの現代に生きていた。

 交わした言葉も、繋いだ手の温もりも、すべて真実だ。

 もう、今のクレスに会うことは二度と出来ないだろう。


 フィオナは胸の痛みを覚えながら、クレスの手を握ってしゃがみこむ。

 そして、クレスと目を合わせながら微笑んだ。


「……大人のクレスさんはね、とっても、素敵な人だよ。誰よりも強くて、優しくて、格好良くて、わたしの、一番大切な人。いつまでも、そばにいたいと思える人。謝ることなんて一つもないよ。大人のクレスさんも、素直な人だから」

「お姉さん……」

「それに……今の『クレスくん』がいてくれたから、わたしは『クレスさん』に逢えたんだよ。わたしの方こそ、ありがとうございます。わたしはずっと、あなたのお嫁さんでいます!」


 フィオナが見せた笑みと涙に、クレスはうなずいて返事をする。


「ありがとう。君を選んでくれた未来の俺に、感謝するよ」


 子供のクレスは満足して微笑みを返し、それからヴァーンたちの方を見た。


「お兄さん、お姉さん。大人の俺をよろしく頼むよ。それから、フィオナお姉さんをちゃんと守れるように、勇者らしく、夫らしくいるよう言っておいてくれ。俺は、戦闘以外は何も出来ないと思うからさ」

「へっ、ずいぶんと物分かりの良いガキだな。さすがオレの相棒だぜ。じゃあなクレス。また後で会おうぜ」

「クーちゃん。何も心配は要らないわ。この私が、貴方をちゃんとフィオナちゃんの夫としてふさわしい男にしてあげる」

「そうか、ありがとう。良い仲間がいて助かった」


 別れの挨拶を終えたところで、クレスは「あっ」と何かを思いついたようで、セシリアから一本の筆を借り受けた。

 そして上と下の服を脱ぎ、上着の裏に何かを書き始める。


「……クレスくん? な、何をしているの?」

「いや、大したことじゃないんだ。大人の姿に戻るなら服は邪魔だろうと思ってね。お姉さん、これを大人の俺に渡してほしい」

「あ、は、はいっ」


 フィオナはクレスの子供服を受け取って、ぎゅっと抱きしめる。


 クレスは、最後にフィオナの顔を見た。


「さようなら。フィオナお姉さん」

「……うん。さようなら。クレスくん」


 二人の目が合う。

 クレスは、少し頬を赤くしながら言った。


「あの……ええと、子供の俺が言えたことではないけど…………フィオナお姉さん!」

「は、はいっ!」

「俺は、その、大人に戻っても忘れないから。必ず君を――――うっ……!」


 そこで――唐突にクレスの意識がぷつりと切れ、倒れてしまう。


「! クレスさんっ!」


 慌ててクレスの身体を抱きとめるフィオナ。力の抜けたクレスは、目を閉じてフィオナに身を委ねていた。その身体の光は、さらに強さを増している。

 子供のクレスが最後に何を言おうとしていたのかフィオナにはわからなかったが、それでも、気持ちは伝わっていた。


「……ありがとう。クレスくん」


 クレスの頭を優しく撫でるフィオナ。

 セシリアがクレスの顔を見つめながら話す。


「薬によって、一時的に意識が眠りにつきました。本来であれば、このまま目覚めるのを待てばそれで良いのですが……お二人の場合は事情が特殊です。フィオナさん。クレスさんに、キスをしてあげてください~」

「ふぇ? キ、キスですかっ?」


 いきなりのことに動揺するフィオナ。

 セシリアは手を合わせながらニコニコと続ける


「はい~。今回はお二人の魂が同化されたことによって起きた特異症状です。魂の結びつきを安定させ、薬の効力を最大限発揮するために肉体的接触が必要となります。厳密にはキスでなくてもよいのですけれど~……うふふ。どうしましょう。それ以上のことをお望みですか?」

「……あっ」


 口元を押さえてお茶目に微笑みながら尋ねてくるセシリア。

 瞬時にその言葉の意味を理解したフィオナは、顔を紅潮させながらぷるぷると首を振る。


 それからフィオナは意を決し、抱えたままのクレスとそっと唇を重ねた。その光景に、ローザがキラキラと目を輝かせて「これぞ愛ですわ~~~!」と興奮する。


 次の瞬間、クレスの身体を包んでいた光が徐々に小さくなっていき、ゆっくりと身体全体が大きく、手足が長く、そして金髪まで伸びていく。すぐにフィオナ一人では抱えきれなくなり、代わりにヴァーンがクレスを受け止め、近くのソファーまで運んでくれた。


 やがて、クレスの身体はすっかり大人のモノに戻る。唯一以前と違うのは、金髪が一気に長くなってしまったことくらいだ。


 そして――静かに彼のまぶたが開いた。


「…………ん」

「クレスさんっ!」


 膝をつき、クレスの手を握るフィオナ。

 クレスとフィオナの目が合う。


「……フィオナ?」

「は、はい! わたしです! わかりますか? 大丈夫ですかっ?」

「ああ……」


 多少ぼうっとした表情で上半身を起こすクレス。フィオナはすぐに背中を支えた。


「クレスさん。身体に異常はないですか? 意識はハッキリしてますか?」

「……うん、大丈夫だ。俺は、いつの間にか寝入っていたのだろうか……? うーむ、なんだか、フィオナと手を繋いで綺麗な花畑にいたような気がするんだが…………む? いつの間に店に戻っていたんだ? こ、これはどういうことだろう?」


 混乱した様子のクレス。その反応にヴァーンとエステル、ショコラが安堵したように笑っていた。


 フィオナがセシリアの方に視線を送ると、セシリアが近づいてきて説明する。


「目覚めたばかりではまだ記憶が混濁している場合があります。ゆっくりとお話をしてあげてください。すぐに安定すると思います」

「は、はい。わかりました! クレスさん? わ、わたしのこと……わかりますか? 忘れていませんかっ?」

「ん、なぜそんなことを聞くんだい? 忘れるはずがないだろう。フィオナは俺の最も大切なお嫁さんなのだから」

「クレスさん…………クレスさぁんっ!」

「おおっ? ど、どうしたんだフィオナ? 一体何があったんだ? み、皆はなぜ笑っているんだ?」


 思わずクレスに抱きついてしまうフィオナ。その抱擁にクレスは困惑するばかりで、それを見て皆が笑い声を上げていた。


 フィオナはすぐに落ち着きを取り戻して言う。


「あの、クレスさん、実は――」

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