♯91 一粒、金貨十枚
徐々に日が暮れ始めた時間。
森の中に差す光も減って、セシリアの製薬店には魔力灯のランタンがいくつか増える。
フィオナたちがテーブルでティータイムと談笑を楽しんでいるうちに、製薬を終えたセシリアが処方したばかりの薬を持ってやってきた。
「皆さん、お待たせしました。こちらがご依頼の薬となります」
「あっ! セシリアさん、ありがとうございます!」
立ち上がって待ちわびた薬を受け取るフィオナ。
皿の上に乗った薬は小さな丸薬のような形で、透明な、不思議と艶のあるものだった。その小さな粒をクレスたちも覗き込んで見つめる。
ヴァーンが尋ねた。
「ずいぶんちっちぇもんなんだな。なぁセシリアちゃん、こいつはあの取ってきた花からどんくらい作れるものなんだ?」
「おかげさまで二粒ほどが作れました。一つはクレスさんへ。もう一つは店の在庫にさせてもらえたらと思います~」
「んげっ。たった二粒しか作れねーのか!?」
クレスやフィオナ、エステルもヴァーンと同じように驚いた。
セシリアはニコニコしながら手を合わせて話す。
「なにぶん大変珍しい素材のお薬ですから、量を作るのは難しいのです。決して需要の高い薬ではありませんが、必要とされる方は必ず存在します。これで貴重な在庫が確保出来ました~。皆さん、ありがとうございます」
「ハァー、そんなもんなんかねぇ。ま、これで無事解決か?」
「待って。そんなに貴重なモノである以上、相当な価値があるはずよ。薬の代金はいくらになるのかしら」
「あ、そ、そうですよね! お金を支払わないとです!」
エステルの言葉を聞いて、フィオナは慌てて財布を取り出した。
そこまでのお金は持ってきていないが、薬一粒程度なら問題はないだろうとフィオナは思っていた。なにせ聖都に売っている腹痛の薬は、十粒ほどで銅貨一枚の値段だ。
セシリアが言う。
「時価ではあるのですが……通常であれば、そちらの薬一粒と診断料含めまして、金貨十枚ほどとなります」
「……え?」
フィオナが思わず財布を落とす。ショコラ以外は皆呆然とした。
「金貨…………じゅう、まい……?」
国によって独自の通貨を用いている場合もあるが、この大陸のほとんどの国では金貨、銀貨、銅貨の三種で貨幣価値が定められている。それは当然、金、銀、銅に各国で共通の価値があるからだ。
銅貨一枚の価値はパン一つやミルク一本程度。その数十枚分ほどの価値がある銀貨一枚になると、貴族クラスの贅沢な食事が三食取れる。さらに銀貨数十枚分ほどの価値がある金貨一枚になれば、一般的な家庭が一月は余裕で生活が出来るほどだ。十枚もあれば家さえ建つ。
金貨十枚。その価値は非常に大きい。
「ど、どどどどうしましょう……! わたし、そんなにお金を持ってきていません! で、でも薬は絶対に必要だし…………あっ!」
何か思いついたらしいフィオナは、なんとその場で着用していたローブのボタンを外し始めた。これには全員がギョッとする。
「セシリアさん、何か私物を買い取っていただけませんか! わたしのものでよければ服でも杖でも、あっ、この『月の紋章』でも大丈夫なのでどうか! 指輪以外ならなんでも差しあげます! それでも足りなければ……わ、わわわわたしの身体でっ!」
混乱するフィオナはついに純白の下着姿となり、これにはさすがにヴァーンとエステルが止めに入る。クレスはしっかり目を背けており、子供に戻ってもそんなところは紳士であった。
「裸は見てぇがとりあえず落ち着けフィオナちゃん。――いや待てよ? オレがフィオナちゃんの代わりに金を出してやりゃあフィオナちゃんのワガママボディは…………ヘヘ、良いこと思いついた! フィオナちゃんオレにまかせときぐへっ!?」
「弱みにつけ込むケダモノは死んで。フィオナちゃん、さすがにそこまでするのはどうかと思うわ。お金なら私が貸してあげる。それに野獣に肌を見せるなど言語道断よ」
「お姉様の前から消え去りなさいそこの野蛮人ッ! お姉様。いくら愛のためといえ、お姉様がそこまでする必要などございませんわ。そこのにやけ顔の薬師。お姉様の愛に免じて今回はタダになさい! ワタクシの命令ですのよ!」
ヴァーンがエステルとローザにボコられる中、ローブを抱えたままのフィオナはどうしたものかと困惑する。
ちなみに、アカデミー特製の最高級ローブはその生地やボタンだけでも相当な値打ちがあり、『星の杖』と『月の紋章』を添えて、かつ“フィオナの所持品”であることを含めれば、酔狂な金持ちなら金貨百枚は容易に出す。フィオナが着ていたアカデミーの制服がついていればその倍は下らない。
すると、セシリアがにこやかに首を横に振った。
「うふふ、ご心配なく。お客様にお手数をおかけした以上、お金をいただくことは出来ません。むしろ、こちらが報酬を支払わなくてはならない立場です~」
「え?」
「今回は、ありがとうございました」
なんと、フィオナは逆にセシリアから金貨数枚ほどを受け取ってしまった。
「セ、セシリアさん? え、え?」
「それと、こちらも一緒に」
同時に渡されたのは、一つの小瓶。中にはこれまた丸薬のようなものがたくさん詰め込まれている。先ほどとは違い、薄いピンク色をしていた。
「あの? こ、これは……?」
「こちらのお薬は、私からのお礼の品です。ラブラドルの『愛の蜜』を少量使っており、ご夫婦にとって近い将来必要となるでしょう。お家に帰ってから、是非、お役立てください」
「わたしたちに……? で、でもそんなっ。お金までいただいて、こ、ここまでしてもらうなんて」
遠慮して返却しようとするフィオナの手を、セシリアはそっと包み込んで目を閉じる。
「私のような薬師にとって、お客様との出会いは何よりも大切なもの。どれだけ良い薬を作ろうとも、それを使っていただける方がいなければ何の価値もないのです。求めてくださる方がいるから、私はここにいられるのですよ」
「セシリアさん……」
「私は訳あって、この森をあまり離れることが出来ませんから……。この出会いには、それだけの価値があります。だからフィオナさん――」
セシリアのまぶたが開く。
「今後とも、ご贔屓にお願い致しますね。それから、早く服を着ないと風邪薬が必要になってしまいますよ」
彼女は丁寧に頭を下げてから、ニッコリと笑った。
「だとよ。受け取っときな、フィオナちゃん」
「また来ましょう。それで十分ということよ」
「お姉様の愛に心打たれた、というところですか。『愛の蜜』を調合出来るということですし、なかなか見所のある薬師ですわ。褒めて差し上げましょう!」
「うふふ、ありがとうございます。それに、お話を聞けばショコラを助けていただいたそうで。そのお礼も含ませてくださいね」
「にゃー。あのときはフィオナのおかげで助かっちゃった! ありがとねフィオナ-!」
抱きついてフィオナに頬ずりをしてくるショコラ。
そんな皆の言葉を聞いて、フィオナは瞳を潤ませながら手の中の薬を大切に握りしめる。そして、大きくうなずいた。
「……はい! ありがとうございます! ありがたくいただきます!」
こうしてなんとか薬を入手したフィオナたち。
フィオナがいそいそとローブに着替え直したところで、目を逸らしてくれていたクレスが言う。
「フィオナお姉さん。俺にはよく話がわからないが、ひとまずこれで話は解決ということだろうか」
「あ、うん。そうだねクレスくん。後はこのお薬を、クレスくんに――」
「ん? 俺が薬を?」
「あっ……」
フィオナはここで大きな問題に気付いた。
後は、この薬をクレスに服用してもらうだけ。
しかし、精神面まで子供の頃に戻ってしまったクレスに、一体どう説明して薬を飲ませればいいのか。さすがに、何も理由を話さず無理矢理飲ませるわけにもいかないだろう。
そこでエステルがフィオナにそっと耳打ちをする。
「少し考えていたのだけれど、正直に説明しても今のクーちゃんに受け入れてもらえるか難しいわ。身体に良い薬と言うことにして、服薬してもらう手もあるけれど……いえ。夫婦のことだものね。やり方は任せるわ」
そっと身を離すエステル。どうやら彼女だけは、この時のことを危惧してくれていたようだった。
「フィオナお姉さん? どうした?」
不思議そうに首をかしげるクレス。
フィオナはどうするか少しだけ悩んだ後、決心して口を開いた。
「……クレスくん」
「ん?」
「今からするお話……信じてもらえるかな?」
「……え?」
ヴァーンやエステルは、その時点でフィオナの選んだ道を察して微笑んだ。
フィオナならそうするであろうことを、初めからわかっていたからである。
「クレスくんにとっては、きっと信じられないことで、とっても驚いちゃうかもしれないけど……でもね、とっても大切なことなの。わたしたちは、そのためにここにきたの」
「お姉さん……」
「わたしのお話、聞いて……もらえますか?」
小さなクレスは、かがんだフィオナの顔を見上げながら目を丸くしていた。
それからしばし何かを考えるように目を伏せ――やがて、顔を上げてうなずいてくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます