♯90 ラブラドルの蜜

 ローザとショコラ、そして意志を持ったかのように道を作ってくれた花々たちの案内により、広大な花畑のとある一画に辿り着いた一同。


「お姉様。こちらがお探しの『ラブラドル』の花ですわ」


 そこで発見したのは、『ラブラドル』と呼ばれる花の群生地。ピンクの花びらにはパープルのグラデーションがかかっている。

 花の蜜を吸っていた何匹かの蝶たちは、とても仲が良さそうにくっつき合い、どこか興奮した様子でパタパタと飛び立っていった。


 フィオナは漂う甘い香りに包まれながら目を輝かせる。


「わぁ……とっても綺麗なお花ですね」

「そうですわね、お姉様。しかしみだりに触れてはなりません。美しい花にこそ棘があるもの。この『ラブラドル』は気位の高い“魔植物”であり、特殊な毒素を持ちますわ。お姉様を導いた花々とは違い、危険を伴います」

「ど、毒ですか?」

「そうです。摘んでしまえばストレスで花全体に毒が回ってしまい、もはや薬としては使い物になりません。それどころか、触れた者を毒で蝕みます。まともな人間では、花を摘んで帰る頃には死んでいるでしょう」

「ええっ!?」


 思わず手を引っ込めて青ざめるフィオナ。クレスが慌ててフィオナを守るように前に立つ。

 エステルが尋ねた。


「花の蜜だけを持ち帰ることは出来ないのかしら」

「不可能ですわ。『ラブラドル』の蜜は採取後急速に劣化し、それ自身が凄まじい毒と化します。まぁ毒を使いたいのでしたら良い判断ですが、そういうわけではないのでしょう」

「そ、そうですね。でも……それじゃあわたしたちはどうやって持ち帰ればいいんでしょう……?」

「それは黒猫ちゃんがご存じでしょう」


 ローザが流し目を向けると、ショコラがデーンと仁王立ちをして耳と尻尾を立てていた。


「そのとーりだ! ウチにまかせて~! にゃにゃにゃーん!」


 そこでショコラが布袋から取り出したのは、セシリアから貰ったある薬。 傷薬や解毒薬に混ざっていた、小瓶に入った透明な液体だ。


「これがあればダイジョブなのだ!」

「ショコラちゃん? それはお薬……ですか? ――あっ、ま、まさか毒に冒されても解毒出来るから大丈夫という……!? だ、だったらわたしが摘みますっ! 急がないとクレスさんがどうなってしまうかわかりませんから!」

「オイオイオイ! 勇ましいのは結構だが、ちょいと落ち着けやフィオナちゃん」

「フィオナちゃん待って。ショコラちゃん、それをどうするの?」


 慌てるフィオナを、ヴァーンとエステルが揃って止める。

 ショコラは愉快そうに笑ってから、きゅぽんと瓶の蓋を外した。


「にゃはははー。安心して! こうするんだよ~」


 そして、その中身を何輪かの花の根元に垂らすショコラ。まるで花に水をやっているような光景である。


「これはねー、すっごいキモチよく眠れる薬なの! お花にもバッチリ効くから、すぐにスヤスヤ寝ちゃって、摘まれてもそのことに気付かないんだよ。ってご主人が言ってた! ハイ、もうだいじょーぶ!」


 フィオナが見つめる前で、薬を掛けられた『ラブラドル』たちはふにゃあと力が抜けたように茎が垂れる。まるで本当に眠ってしまったかのようだった。


 ローザは納得したようにうなずく。

 

「なかなか良い方法ですわ。古い人間たちは奴隷の命を使ってまでこの花を乱獲する愛無き行為に及びましたが、それに比べればずいぶんとスマートです。さぁお姉様、今ならば問題はありません」

「あ、は、はい!」


 実際ショコラの言うとおり、そのままフィオナが『ラブラドル』を抜いても花に毒が回ることはなく、無事花の採取に成功した。ただでさえ数の少ない品種であるため、いただくのは数輪程度に留めておく。


 そこでヴァーンがフィオナの持つ花を覗き込みながら口を出す。


「ハァー、世界にはこんなやべぇ花があんだな。よく覚えておかねーと、どっかで見つけたときつい触っちまったらやべぇな」

「ご安心なさいませ。『ラブラドル』はこの世界でもう此所にしか咲いておりません」

『え?』


 ローザの言葉に、全員が声を揃える。 


「この子たちがこれほどまでに気高い花へと進化したのは、人を恐れ、簡単に摘み取られないようにするため。『ラブラドル』が作る蜜には自然界の豊富な魔力が含まれ、それによって特殊な『効能』が生まれるのですわ。そしてその『効能』と貴重性ゆえに、昔から人間による密採が後を絶たないのです」

「あ……それじゃあ、ローザさんがここにいるのも……?」

「はい。保護の一環ですわ。ワタクシもこの子たちから良質な花の魔力をいただいておりますから、お互い様ということですわね」

「なるほどぉ……それで共生、だったんですね。でも……そっか。もう、この子たちはここにしか……」


 フィオナは、そっと花に顔を近づけて祈るように目を閉じた。


「摘んでしまって、ごめんなさい。どうか、少しだけ蜜を分けてくださいね」


 そんなフィオナに、ローザは感心したようにうなずいていた。

 ヴァーンが槍を抱えながらポリポリと頭を掻く。


「あー。なんつーか、それを聞いちまうと人間サマとしてちょっとワリー気がするな」

「そうね……。街で当たり前のように売っている花にも、様々な事情があるのかしら。私たちの方に非があることも多そうね」

「感心ですこと。反省できるだけ、アナタ方はずいぶんとマシですわよ。もっとお姉様のような愛のある人間が増えればワタクシも嬉しいところですわ」

「んん~、イイニオーイ! ウチはコレ好き! ねぇねぇフィオナ、早くご主人のとこ持ってってあげよーよ」

「うん、そうだねショコラちゃん」 


 フィオナは小さな花束を手に顔を綻ばせる。


「これで、ようやくクレスさんに……ありがとうございました、ローザさん!」

「礼ならばこの子たちにお願い致しますわ。それよりもお姉様。『愛の蜜』は成分が強力ですゆえ、蜜を直接摂取しないよう、お取り扱いにお気をつけくださいませ。プロが調合するのでしたら問題はないかと思いますが」

「あ、はい、わかりました! 気をつけます!」


 こうして無事に『ラブラドル』を――『愛の蜜』を手に入れたフィオナたち。

 子供のクレスが花を見つめながら言った。


「よかった。どうやら、フィオナお姉さんの目的は果たせたようだね」

「うんっ。クレスくんも手伝ってくれてありがとう」

「俺は何もしていないよ」

「そんなことないよ。わたしを守ろうとしてくれて、とっても心強かったよ。ありがとう、クレスくん」

「い、いや。それくらいは勇者を目指す者として当然だから……」


 フィオナに褒められて照れくさそうに視線を逸らすクレス。その反応にローザがまた満足そうにうなずきまくり、ヴァーンたちもニヤニヤとしていた。



◇◆◇◆◇◆◇



 それからフィオナたちはショコラの魔術によって、あっという間に『夢幻の深森ミラージュ・フォレスト』へと帰還。

 帰りを察していたのか、既に店の前にはエプロン姿のセシリアが立っていた。


「ただいまーご主人!」

「おかえりなさい、ショコラ。皆さんも、お疲れ様でした~」


 真っ先にセシリアの元へダッシュしたショコラ。フィオナたちも続く。


 そこで、セシリアがキョトンと呆けた。

 セシリアの視線の先は、フィオナの肩付近である。


「フィオナさん? そちらの方はひょっとして……」


 フィオナのすぐそばで飛んでいるのは、小鳥ほどのサイズに小さくなっている妖精。


「あー、なんでもフィオナちゃんの愛に惚れ込んだんだとよ。そんな小さくなることもできんだなァ」

「だからといって、ついてくる必要はなかったと思うのだけれど……」

「ヘンなニオイの子はついてこなくてよかったケドねー」


 一同の視線が集まったところで、その妖精――ローザが偉そうに胸を張って髪を払う。


「やかましい方々ですこと。ワタクシはフィオナお姉様の愛を見届けるために同行しただけですわ。アナタ方のような愛のない連中に何の興味感心もございませんのでご了承いただけますこと? さぁ人間たち、さっさと紅茶を用意なさい。ワタクシは貴族の客人ですのよ。出迎えの礼儀というものがあるでしょう」

「ずいぶん偉そうな珍客だなオイ」

「だまらっしゃい野蛮人! というか気安くワタクシに触るんじゃねぇですわ!」


 つんつんしてくるヴァーンを威嚇するローザと、その反応を楽しむヴァーン。

 フィオナが慌てて口を挟む。


「ご、ごめんなさいセシリアさん。こちらが、お花畑を守っていた魔族のローザさんです。お話をしたら、ちゃんとお花を分けてくれて。悪い方ではないんです! あっ、これが『愛の蜜』です!」


 フィオナはその場でセシリアに『ラブラドル』の花を手渡し、受け取ったセシリアはしばし呆けてから、口元に手を当ててくすくす笑う。


「まぁまぁ…………ふふっ、これは予想外のお迎えになってしまいました~。ありがとうございます、皆さん。これで薬が作れます。でもその前に……ティータイムにしましょうか♪」

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