♯89 “お姉様”と、愛にすすり泣く乙女
真剣に詰め寄ってきたローザに、フィオナはここまでのいきさつ諸々を話した。
クレスが本当は大人であること。それも魔王を倒した勇者であること。
自分は特別な学校を卒業して成人の資格を得たこと。
想いを告げ、ようやく添い遂げることが出来て、新婚生活を迎え始めたばかりのときにクレスが子供になってしまったこと。
そんなクレスを元に戻す薬を探しにやってきて、その薬の材料となる『愛の蜜』を求めてここに来たのだということ。
「――と、いうわけなんです。だからわたしは、どうしても『愛の蜜』を手に入れなくてはいけないんです。そのために、ここに来ました。今の彼は、詳しいことは何も知らないんです……」
「…………」
うつむいたまま黙り込むローザ。
フィオナに耳を塞がれているクレスは、困惑したまま眉をひそめている。それでも何かを察しているのか、無理にフィオナの手を振りほどこうとはしない。
「だからローザさん。どうか、少しだけでもお花を分けてもらうことは出来ないでしょうか。もちろん、必要以上をいただくことはしません。お願いします。わたしは、戦う必要がないのならあなたと戦いたくはありません。お話が通じる方なら、なおさらです。お願いします!」
「…………う」
「……えっ?」
そこで、フィオナは目を見開いて驚いた。
「……あう、あぁっ、あああああああ…………っ!」
ローザが、潤んだその瞳から大粒の涙をいくつもこぼしていたからだ。
彼女は手を組み合わせ、天に祈るように語る。
「なんて、なんて素晴らしい愛……! なんてドラマチックな純愛なのです! こんな愛があるのですか!」
「ロ、ローザさん?」
「人間は皆、美しいものを求めながら自らの汚れた心と向き合わない。独善的でひとりよがりなうわべだけの愛ばかり。ワタクシは醜い人間たちを数え切れないほど見てきました。だからこそ…………感動で! 胸が震えておりますわ!」
「え、え?」
そこでフィオナの手をガシッと両手で掴むローザ。そのおかげでクレスの耳が自由を取り戻す。
「愛とは奉仕。愛とは尽くすこと。愛とは心を重ねること! こんなにも素晴らしい愛を見せていただけるなんて思ってもおりませんでした! 嗚呼、涙が止まりません……! これが、本物の愛なのですわね!」
「え、ええと、ええと……?」
「アナタ、フィオナさんと呼ばれておりましたわね?」
「は、はいっ」
フィオナの手を握りながら、ローザは正面からこう言った。
「『フィオナお姉様』と呼ばせていただけますかしら!」
「……ほえっ?」
つい妙な声を出してしまうフィオナ。
ローザは流れる涙を拭うこともなく語る。
「お姉様、『愛の蜜』が一体どのような効能を持つかご存じですこと?」
「え? いえ、薬の調合に必要だということ以外はわかりませんけれど……」
「やはり……なんと純粋な方なのでしょう。ワタクシ、アナタほど愛に溢れた人間を見たことがございません。いえ、魔族を含めても、ワタクシが知る中で最も愛に満ちた人物ですわ! ワタクシの心をここまで清らかに、温かく、そして情熱的に満たしてくださった方はアナタが初めてです! この感動、胸の高鳴り、まさしく愛ですわ!」
「え? え? ええっ?」
「お姉様! ワタクシにもっと愛を教えてくださいませ!」
「そ、そんなこと言われましても~~~!」
突然の事態に困惑するしかないフィオナ。
ひざまくらされていたクレスもようやく起き上がってポカンと口を開く。固まっていたヴァーンたちも同様の反応をしていた。
フィオナはローザに手を掴まれたままつぶやく。
「あの、そ、そのことはともかく……お花の蜜を、いただくことは……?」
「もちろんよろしいですわ。というより、ワタクシに許可を取る必要などございません。なぜなら、この子たちもお姉様の愛に感涙しておりますもの。協力したいと泣いて喜んでおりますわ!」
両手を広げて花畑を示すローザ。
すると、色とりどりの花々は本当に意志があるように揃ってゆらゆらと動きだし、花びらの奥にある蜜線から光る蜜を分泌した。泣く、というローザの言葉は比喩ではないのかもしれない。どこか、甘い匂いさえ漂っている。
「わぁ……とっても綺麗……」
「お姉様の愛があればこそですわ。さぁ、そろそろワタクシの魔術も解ける頃合いでしょう」
「え?」
涙の止まったローザの言葉に、フィオナがヴァーンたちの方を見る。
すると、ヴァーンたちの頭部に咲いていたそれぞれの花が萎れていき、最後にはぷつっと頭部から切り離されて地面に落ち、サラサラと魔力の粒子になって消えた。次の瞬間には、三人の身体も元の“色”を取り戻している。
「……ん? おお! もう動けるようになってるぜ! しゃあ助かった!」
「本当だわ……喋ることも出来るみたいね……。今回は、フィオナちゃんに一つ借りかしら」
「にゃあー! やっと戻れた! ありがと~フィオナ~!」
「みんな……よ、よかったです!」
三人の無事を確認してホッと胸をなで下ろすフィオナ。すぐにローザの方に顔を戻した。
「ローザさん、ありがとうございます!」
「お礼など不要。ワタクシは敵でしたのよ。それに最初に申し上げたように、ワタクシの【
「それでも嬉しいです! それに、『敵でした』ということは、もうローザさんと戦う必要もありませんよね? ああ、よかったです……」
「お姉様。ワタクシと戦わずに済むことがそんなにも嬉しいのですか?」
「そ、その呼び方には慣れないですけど……でも、出来ることなら誰も傷つけたくはないですから。人も魔族も一緒に、本当の、平和な世界になってほしいんです」
笑顔で語るフィオナに、ローザはふっと肩の力を抜いたように柔らかな表情を見せた。
「……お姉様は、本当に愛に溢れた方ですのね。お見事ですわ」
安堵したためか、そこでフィオナの頭部からぴょこんとキツネの耳が――クインフォ魔族の特徴が現れる。
ローザはそれを見てキョトンと目を開く。
「まぁ。お姉様、クインフォ族の出だったのですか?」
「え? あっ、見えちゃってますか!? えっと、そ、そうなんです。わたしには魔族の血も入っていて……だからなんでしょうか。ローザさんも、わたしにはなんだか身近な人に思えるんです」
「そうでしたのね。……お姉様、さぞかしご苦労なされたことでしょう」
フィオナに魔族の血が流れていること。そんなフィオナがどのように成長して、勇者クレスと出逢い、ここに辿り着いたのか。ローザはフィオナの語っていないことまで想像し、意を汲んでくれていた。どうやら彼女は想像力豊かな魔族であるようだ。
「お姉様になら、『愛の蜜』をお渡しできますわ。これは特定の品種からしか採れない貴重な蜜です。さぁ、ご案内致しますわ」
「あ、ありがとうございます! やりましたよ、クレスくん!」
ローザに手を引かれて立ち上がるフィオナ。
その頃には、もうフィオナの中からローザを敵と認識する気持ちは完全に消えていた。
「フィオナお姉さん……すっかり魔族と仲良くなって……す、すごいな……」
耳を塞がれていた間にこのような事態になり、クレスは素直に驚いていた。この頃のクレスにとって、魔族とは戦うべき相手だったからだ。なぜこんなことになっているのか、まったく理解が及ばない。それでも、どうやら戦う必要はないらしいとクレスにもわかっていた。
そこへ動けるようになったヴァーンたちがやってくる。
「あー、オイお前。確かローザつったか? 蜜を素直に渡してくれんのは助かるけどよ、魔族が人間と仲良くしちまっていーのか? 一応は敵だったろ。しかもお前魔王の配下なんじゃねぇの?」
ヴァーンも既に戦うつもりはないようで、そんな問いにローザは長い髪を払って流し目で返答する。
「愚問ですのね。ワタクシはフィオナお姉様の清らかな愛に惚れ込んだだけのこと。愛に年齢も種族も関係ありませんわ。乙女心を勉強なさいませ、野蛮な方」
「へーへーそうッスか野蛮ですんませんね。ま、オレは目的が果たせりゃそれでいいけどよ。つーか『お姉様』とか言ってんけどフィオナちゃんのがずいぶん年下じゃねーか? お前いくつなんだよ。魔族ってのは若く見えて意外と歳食ってるからな。ハハハ」
「乙女に年齢を尋ねる非常識さ! そういうところを勉強しろと言ってるんですのよ野蛮人!!」
「スマンスマンワハハハハ」
ムキになって怒るローザに対してヘラヘラと笑うヴァーンは、そのまま隣のエステルに目を向けた。
「いやらしい目はやめてちょうだい野蛮人」
「へへ、どうやらフィオナちゃんにとっては簡単な試練だったらしーな。オイ、エステル。さすがのお前も今回は学ぶことが多そうだなァ?」
「貴方にドヤ顔で言われると冷凍処理したいくらい腹が立つけれど、そうね。けれど、私は自分の判断を間違ったとは思わないわ。貴方にキスをするくらいなら死ぬ」
「そんくらい甘んじてやれや! フィオナちゃんを見習え貧乳クソ女!」
「自分の命よりも愛を選ぶ……それが女よ……」
「処女が知った口利いてんじゃねえええええ!」
「にゃー? なんかわかんないけど、フィオナが勝ったんだよねぇ! すごいにゃー! あっ、ご主人の店で嗅いだニオイのお花あっちにあるみたい! いこーいこー!」
「なんですの黒猫ちゃん! 花を踏まないように気をつけなさいませ! ああもう、アナタ方はお姉様に免じて特別に許すだけですわよ!」
ローザが先導を始め、ショコラがぴょんぴょんと弾むように跳んで、ヴァーンとエステルがいつものように口ケンカしながら前に進む。
その光景をニコニコと見つめていたフィオナは、振り返って手を伸ばす。
「クレスくん、行きましょう!」
クレスは静かにその手を見つめて、やがて小さく笑う。
「……ああ。フィオナお姉さんはすごいな」
聞き覚えのある言葉に、フィオナは口元を緩めた。
手を繋いで歩む二人は、まるで花々に祝福されるようであった――。
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