♯87 愛の試練Ⅱ

 ヴァーンとショコラに続き、エステルまでもがローザの魔術によって身動きを封じられた。彼らの頭部に咲く白い花はじわじわと身体の“色”を吸収し、ヴァーンの花は赤く、エステルの花は青く、ショコラの花は黒くなり始めている。


 そして、三人を救えるのはフィオナとクレスの二人しかいない。


 魔族ローザは四枚の羽をゆっくりと揺らしながら、ふわふわと宙に浮かんでこちらを見下ろす。


「ウフフ、幼いお二人だけが残ってしまいましたわね。さて、アナタ方にはどう愛を示していただきましょうか」


 まるでゲームでも楽しんでいるかのように軽い調子で思案するローザ。

 フィオナが星の杖を握って言う。


「……クレスくん。下がってください」

「フィオナお姉さん?」


 今まではクレスの方がフィオナを守ろうと前に立っていたが、ここでフィオナが前に出る。


「――『逃げるなプディ・前を向けルファラ・魂を燃やせエクレーン』。うん、わたしなら出来る」

「待ってくれフィオナお姉さんっ! 前に出ては危ない!」

「いいえ。わたしがあなたを守ります。どんなときも、ずっとそばで。そう、誓っていますから」

「ち、誓って……?」


 幼いクレスにはその言葉の意味がわからなかったようだが、フィオナはクレスの前に立つことで表情が引き締まっていた。瞳が、自信に満ちている。


「大丈夫です。わたし、絶対に負けませんから」


 笑みさえ浮かべるフィオナの全身に、濃い魔力が満ちる。


 フィオナは、不思議な充実感に高揚していた。


 ここが自分の立つべき場所だ。

 自分は、守られるだけではいけない。

 大切な人を守る。

 クレスのために動けることにこそ、フィオナは自分自身というものを強く感じられた。彼のためにならいくらでも力が湧く。


 ローザはそんな二人の関係を見て、少々目を丸くした。


「まぁまぁまぁ。幼き紳士と可憐な少女。お互いがお互いを守ろうとしているのですわね。素晴らしいですわ。なかなかの愛です!」

「クレスくんにだけは、手を出させません。そして、必ずみんなを助けます……!」


 杖を握るフィオナの目を見て、ローザはスウッと目を細めた。

 ローザの身体を覆う魔力も濃度を増す。


「アナタ……罪花となったあの者たちとは違って、澄んだ美しい目をしていますわね。良いでしょう。それでは、次の試練はアナタに受けていただくことにしますわ」


 標的を決めたローザの言葉に、クレスがフィオナの後方で慌てた声を上げる。


「フィオナお姉さん!」

「大丈夫だよ、これでいいの。それにね、不思議とぜんぜん怖くないんだ。わたしが、必ずあなたを守るからね」


 フィオナの強い決意に、子供のクレスは戸惑っていた。


「お姉さん…………どうして、俺のために、そこまで……」


 今日、初めて会ったはずの少女が自分の前に立っている。自分を守ろうと、戦おうとしてくれている。

 そんな状況が奇妙で、でも、どこか懐かしい。

 じわりと温かくなる心臓が、何かを訴えかける。


 彼女の背中を見ると、クレスの心は落ち着いた。

 

「……なんなんだ、これは。俺は、俺は、なぜ……」


 クレスは頭を抱え、何かを思い出そうとしていた。


 ローザが愉快そうに笑う。


「ウフフフ。さぁ、それでは『愛の試練』を始めましょう。そうですわね、アナタはまだ幼く無垢な少女ですから、まずは手始めに……」


 フィオナとクレスが息を呑む。

 動けないヴァーン、エステル、ショコラも心配そうな視線をこちらに向けていた。


 場が緊張感に支配される中、ローザは告げる。



「――そちらの幼い紳士と、おててを繋いでいただきますわ!」



「「……へ?」」



 思わず声を揃えてしまったフィオナとクレス。ヴァーンたちも目を見開いている。

 ローザは悠々と喋った。


「手を繋ぐ……これは簡単そうに思えて、とても難しい試練なのですわ。なぜならば、愛の接触はすべて手から始まるものですから。ゆえに愛なき者には不可能。これは愛の始まりなのです! 勇気ある少女よ。さぁ、アナタにこれができ――」

「こ、これでいいんですか?」

「ますこと――え?」


 ローザがすべて言い終える前に、フィオナはもうクレスの手を握っていた。


 ぎゅっと。

 姉が弟の手を引くように。


 ローザは衝撃を受けた。


「なっ、なんということ!? こうも易々と……それも恥ずかしげもなく! ア、アナタ、可愛らしい顔をして思った以上にやりますわね!」

「ええと……そ、そうでしょうか?」

「くっ。ならば次は恋人つなぎですわっ! 指と指を絡ませてしっかりと、離れないように結び合うのです! 難易度急上昇ですわよ! これはもはや愛で結ばれた二人にしか許されない愛の行為! どうです? お子様のアナタにこれができま――」

「ええと……出来ました、けど……」

「――へっ!? な、な、なっ……そ、それじゃあ両手! 両手でしなさい!」

「これでいいんでしょうか……?」

「ぷえっ!? そんな……な、なんということなの!? 今時の人間の子供はどうなっていますの!? これが性の乱れですの!?」


 あまりのショックにか、劇画調のような顔になって仰天しているローザ。


 フィオナはローザが驚く理由がまったくわからず、ただ首をかしげるのみ。エステルのときよりもずっと大変な試練が来ると思っていたため、拍子抜けだった。この程度のことならいくらでも出来る。


 だがクレスの方は違った。


「お、お、お姉さん……!」

「あ、ごめんねクレスくん。急にこんなこと……あれ? なんだか顔が赤い、かな?」


 両手で恋人つなぎしたまま対面する二人。クレスはフィオナの顔を見上げて蒼い瞳を揺らしていた。


「どうかしたの? クレスくん」

「いやっ、その、お、お、俺はっ、母以外の女性とこんなことをしたことはなくてっ」

「え……? あっ」


 そこでようやく理解するフィオナ。


 クレスは今、正真正銘の子供に戻っている。そして自分も、ローザから見ればただの子供に過ぎないだろう。

 ローザの言うとおり、自分たち程度の思春期を迎えた普通の男女にとっては、これはなかなかに難しい試練だったのかもしれない。

 当のフィオナも、クレス以外の男性とこんなことをした経験はもちろんないし、アカデミーで同年代のカップルを見かけたときはドキドキしたものだった。


 しかし、二人は“普通の男女”ではない。


 見た目はまだ子供かもしれない。

 それでも、既に永遠の誓いを結びあった間柄である。


 精神まで子供に戻っている今のクレスはともかく、身も心も捧げたフィオナにとってはなんでもないことだった。

 思わず、フィオナに笑みがこぼれる。


「……ふふっ。そっか、そうだよね。クレスくん、子供の頃からずっと真面目だったんだもんね。ふふふ、こんなクレスさんに会えるなら、今回のことはわたしにとって役得だったのかも。なんて、そんな風に思っちゃダメですよね。ごめんなさい」

「お、お姉さん……?」

「えへへ。かっこいいクレスさんも大好きだけど……かわいいクレスくんも、大好きです」

「えっ」


 自然に漏れたフィオナの愛のささやきに、子供のクレスが言葉を失う。

 二人の世界を包み込むように、周囲の花々が一斉に揺れた。

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