♯86 愛の試練

 甲高い声で笑うローザに、エステルが苦々しい表情で魔力を抑える。強引に試すにはあまりに危険な賭だと判断したようだった。


 勝ち誇ったローザは居丈高に両手を広げる。


「無力な人間たち、理解したのなら『愛の試練』を受けなさい。その結果次第では二人の命を救ってあげますわ。ワタクシ、愛に誓って嘘はつきません。愛に種族も貴賤もありませんもの。もう、考える時間はありませんわよ?」


 場の主導権はローザに握られており、フィオナたちは下手に動くことが出来なくなる。事態を悪化させる可能性もあり、何より二人の命がかかっている以上、時間を浪費するわけにはいかなかった。


 彼女ローザは、フィオナたちが想定した以上に危険な魔族だ。


 クレスとフィオナが見守る中で、エステルは深く息を吸い、冷静さを保ちながら言う。


「……わかったわ。癪だけど従ってあげる」

「結構なことですわ。素直さは美徳ですわよ、氷のお嬢さん」

「それで、『愛の試験』とは何かしら。そもそも形も存在しない概念に対して、何をどうして愛とやらを示せと言うの」


 今までフィオナが見たこともないくらい機嫌の悪そうなエステルの言葉に、ローザは可愛らしく首をかしげて悩む素振りを見せる。


「ウフフフ、そうですわねぇ……」


 それから、とても愉しそうにこう告げた。



「そうですわぁ! でしたら、アナタにはその男に接吻をしていただきましょう」



「「「……は!?」」」



 思わず固まる三人。


 ローザはパン、と手を合わせてにこやかに話す。


「簡単なことでしょう? 賢しいアナタには、今ここでその野蛮人に接吻を――キスをしてもらいますわ」

「な、な、なっ……何を言っているの! な、なぜ私がこいつに!」

「ただのキスではありませんわよ。愛に溢れた、長く深~い蕩け合うような大人のキスですわ。そうしてアナタの愛を示していただければ、男の魔術は解けるでしょう」

「と、と、ととと蕩け合うような……!?」


 スラスラと語るローザに、さすがのエステルも動揺を隠せないようだった。クレスとフィオナも困惑するしかない。


「か、からかっているのね!? ふざけるのもいい加減にして!」

「ふざけてなどおりませんわ。言ったでしょう、これは愛の試練なのです。ワタクシの魔術は『愛』に反応して発動する。ゆえに解除出来るのも愛のみなのです。難しいことではないでしょう?」

「そ、そそそんな馬鹿げた魔術が存在するなんて……!」

「さぁどうぞ。たったこれだけのことでいいのです。さぁ、さぁさぁさぁ! クールで賢いお嬢さん、ワタクシに! アナタの愛を! お示しくださいませ!!」


 歯を見せるほど興奮した愉快な笑みでエステルに顔を寄せ、ヴァーンとの口づけを促すローザ。

 普段は冷静なエステルが赤面し、目は泳いで、大変にうろたえていた。


「エ、エステルさんしっかり!」

「だ、だだだ大丈夫よフィオナちゃん……しょ、しょせんただのキスでしょう? そ、それくらいのこと簡単だわっ。わ、わたっ、私は大人の女だものっ」

「その割には動揺しているような気がするが……」


 子供クレスのツッコミにすら返す余裕のないエステル。フィオナはかなり心配していた。


 それでもローザにしてやられたままなのが悔しいのか、エステルは何度か呼吸を整え、キッと眉を上げると、動けないヴァーンの前に歩み寄る。


『オオオオオオイ!? ちょ、マジかよエステル!? お、お前がオレに!?』


 とでも言っているかのような表情をしているヴァーン。


 既に言葉を話せなくなっている彼だが、動けないだけで意識はあるようで、驚きの表情がフィオナたちにもよくわかる。つまり、これからエステルが何をしようとしているかわかっているのだ。


 エステルの顔が、徐々にヴァーンに近づいていく。

 彼女の呼吸は荒くなり、いつもとは違う“乙女”の表情に変わっていた。


『お前……マジかよ!? そこまでしてオレのことを助けようと……へへっ、んだよカワイイとこあんじゃねーか! ほらこい! 優しくしてやんぜ!』


 とでも言っているかのような表情をしているヴァーン。


「ウフ、ウフフフ! やりましたわ! これでようやく人間の愛が見られますのね! ワタクシ胸が高鳴りますわ!」


「エ、エステルさんがんばって……!」


「み、見えないっ。フィオナお姉さん、なぜ目を隠すんだ!」


 ローザと、そしていつの間にかクレスの目を塞いでいたフィオナまでもが、二人揃ってドキドキしながら事の成り行きを見守っていた。


 そして、エステルのピンク色の唇がヴァーンのそれにゆっくりと近づいて――



「――い、いやああああああ! 寒気がするッ!!!!」



 なんと、エステルは思いきりヴァーンを蹴っ飛ばして花畑に転がしてしまった。



「「えええええっ!?」」



 これにはローザと、そしてフィオナが声を揃えて困惑。クレスだけは何があったか見えておらず「なんだ!?」と驚いていた。


 エステルはがくりと花畑に崩れおち、震えながら頭を抱えた。


「ハァハァ…………無理、不可能だわ! だって私にはこの男への愛など微塵もないもの! なのにキスだなんて破廉恥な! それもディープなんてありえない……! ああああっ、想像しただけで寒気が止まらない! 一瞬でも気の迷いが生じたことが一生の恥よ!!」


『オイコラエステルてめええええええええ! 変な期待させやがって!! オレの感動を返しやがれ!!』


 とでも言っているかのような表情をしているヴァーン。隣のショコラはポケーと事態がよくわかっていない顔をしている。そしてようやくフィオナの手から逃れたクレスは目の前の事態に驚愕した。


「エ、エステルさん!? だけどそうしないと――――あっ」


 フィオナは見た。


 エステルの頭部にもあの白い花が出現し、彼女の足元から色が消えていく。


「エステルさん! か、身体がっ!」


 エステルはそのことをわかっていながらも、達観したような顔つきをしていた。

 そしてフィオナに向かって目を細めながらつぶやく。


「……ふふ。ごめんなさい、フィオナちゃん。私には無理だったわ。しょせん……私も一人の女ということね……」

「そんな……エ、エステルさん!」

「愛って、難しいものね……」


 それだけを残し、エステルはなぜか満足そうな顔をして硬直。動けなくなり、ヴァーンたちと同じように声まで失ってしまった。


 こうして、動けるのはフィオナと子供のクレスのみとなる。


 ローザはしばらく呆けきった顔をしていたが、すぐにまた口元を歪めて笑みを浮かべた。


「ウフ……ウフフフ、あっはははははははは! まぁまぁ可哀想にお可哀想に! 頭でっかちで身体は未熟、心に愛のない人間のなんとも愉快で悲しい末路! ワタクシ胸が痛いわ!」


 彼女の熱い視線は、そのままフィオナとクレスの方に向く。



「――さぁ、残るはお二人ですわね。お仲間さんたちを助けたければ、ワタクシに『愛』をお示しなさい! さぁ、さぁさぁ――!!」


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