♯83 愛の化身
その事実に、もっともショックを受けていたのは当然ながらフィオナだった。
「クレスさん……? わ、わたしのこと、わかりますか……?」
フィオナはおそるおそる尋ねてみる。
だが――
「いや……ごめん、わからない。お姉さんには初めて会ったと思うが、聖都かどこかで会っていたのかな? 俺は小さい頃から記憶力は良い方だから、会った人なら忘れないと思うんだが……」
そう答えたクレスに、フィオナの身体から力が抜けていき崩れおちるようにその場に尻もちをついた。すぐにヴァーンとエステルが身体を支えてくれて、ショコラは不思議そうに首を傾けていた。
「オイオイ、しっかりしろフィオナちゃん!」
「フィオナちゃん、落ち着いて。おそらくクーちゃんの症状が進行して、内面まで幼い頃に戻っているのよ。けれど一時的なものであるはずだわ。素材さえ持ち帰って薬を作れば、すぐ治るはずよ」
「は、はい……」
励ましの声を掛けてくれる二人のおかげで、フィオナはなんとか冷静さを保つ。出掛ける直前にセシリアが言っていた“症状の進行”というのも、おそらくはこのことを指しているのだと思われた。
「そ、そうですよね。ちゃんと薬が出来れば、クレスさんは元に戻りますよね? うん、そうだよっ。お嫁さんなんだから、わたしがしっかりしなきゃ……!」
フィオナは呼吸を整えて拳を握りしめ、自分を鼓舞するが、それでも心に受けたショックが予想以上に大きかったのだろう。
自分の意志とは裏腹に、瞳から涙が一滴だけ流れ落ちた。
「お姉さん……泣いてるのか?」
クレスに言われてようやく気付いたフィオナが、慌てて目元を拭う。
「え? ――あ、あれ?」
「大丈夫か? どうして泣いているんだ?」
フィオナの涙に動揺する小さなクレスに、フィオナは慌てて笑顔を作った。
「な、なんでもないです、大丈夫ですよ! それよりえっと、あのね、わたしたちはとっても大事な用事があってここに来ていて、その、クレスさんは…………クレスさんは……」
どう説明していいのかわからず、言葉が詰まってしまうフィオナ。
まさかクレスが本当はもう大人で、一時的に子供に戻っているなどと説明をしても、今のクレスには理解出来ないだろう。突然そんなことを言って怪しい人物だと思われてしまっては大変だ。
それに――
「……結婚しているなんて、とても信じてもらえません、よね」
誰にも聞こえない小声で、左手の指輪を見下ろすフィオナ。
すると、
「――えっ?」
フィオナが小さく声を上げた。
彼女の身体は、小さなクレスによって強く抱きしめられていた。
「……クレス、さん?」
声をかけると、クレスはハッとしてフィオナから離れる。
「――あ、ご、ごめん! すみません! 違うんだ、お姉さんが泣いているのを見たら、なぜかいてもたってもいられなくなって、つ、つい。俺は女性になんて失礼なことをしてしまったんだ! すみませんでした!」
謝罪して頭を下げるクレスに、フィオナはパチパチとまばたきをして呆ける。
顔を上げたとき、彼は赤面して頬を掻いた。どうやら生真面目さは子供の頃からだったらしい。
「り、理由はよく思い出せないが、ともかく俺は何かの事情でお姉さんたちとここに来ているんだろう? 記憶がないのは……なにかの後遺症なのか……? ともかく、ここで何かをするつもりなんだね」
「は、はい。えっと、『愛の涙』というお花の蜜がありまして、その素材を採取に……」
フィオナが正直に目的を話すと、クレスはうなずいて話す。
「わかった。まだ多少混乱しているが、俺もそれを手伝えばいいかな。それでお姉さんたちの目的が果たせるなら協力するよ。だからその、ど、どうか泣かないでくれ。お姉さんの涙を見ると、なんだか胸が痛く、熱くなるんだ。泣かせるなと、自分自身に怒られているような気さえする」
「クレスさん……」
「俺にさん付けはいらないよ。お姉さんの方が年上だろう。ええと、名前は?」
「……フィオナ、です」
「わかった。フィオナお姉さん。とにかくよろしく頼むよ」
クレスはそう言って、フィオナの方に手を差し出す。
「クレスさん…………うぅん、クレスくん、かな? よろしくね」
「ああ」
フィオナはその手を掴んで、ゆっくりと立ち上がった。
見守っていたヴァーンとエステルが言う。
「へへ、どうやら全部覚えてないってわけじゃなさそうだな」
「どんな姿になっても、クーちゃんはクーちゃんということね。さぁフィオナちゃん、早く目的を果たしてしまいましょう」
「ヘーキだよフィオナっ。ご主人の薬があればすぐ元に戻るよー! お花はウチがニオイで探せるから任せにゃさーい!」
「……はいっ、ありがとうございます!」
元気よく返事をするフィオナ。
その場でいくつかの花を摘んでいたショコラが、「はいっ!」とフィオナの髪にそれを挿してくれる。どうやら彼女なりに励ましてくれているようだった。
そこでクレスが自分の左手を見てつぶやく。
「妙だな……俺の魔力が使えないようだ。ん、これは……指輪? なぜこんなものをつけているんだろう。マジックアイテムか……?」
「あ、違うよクレスくん。あのね、それは、わたしとクレスくんの大事なものなの。だから、ちゃんとつけていてくれると嬉しいな」
「大事なもの? お姉さんとの……?」
クレスはしばらく自分の指輪を見つめて、それからフィオナの方を見てうなずいた。
「……よくはわからないが、なんだかこれを見ているとすごく安心する。よし、じゃあ早くそのアイテムを探しに行こう」
クレスはフィオナの手を掴んだまま、先を歩く。
そして後ろを振り返って言った。
「そういえば、さっきは怖くて泣いていたんだよね? 大丈夫。フィオナお姉さんは俺が守るから。俺、一応勇者を目指してるんだ」
笑いかけてくれるクレスの幼い顔に、フィオナはきゅっと自らの胸を掴む。
それから、フィオナは綺麗な笑顔を取り戻して言った。
「――うぅん。クレスくんは、わたしが守るよ。だって、わたしはクレスくんのお嫁さんなんだから」
「えっ?」
クレスが驚きのあまりか目を丸くして、その反応にヴァーンやエステル、ショコラも笑っていた。
そこでショコラが突然くんくんと鼻を大きく動かす。
「ムム。やっぱりもう見つかっちゃったかー。ねぇねぇ、魔族の人くるよ~!」
「「「「えっ?」」」」
フィオナたちが一斉にショコラが指差した方を向く。
するとそちらから強い魔力の波動が風を運ぶ威圧となって押し寄せ、直後に煌びやかな粒子をまき散らしながら一人の魔族が空を飛んでやってきた。
身構えるフィオナたち。
魔族はフィオナたちの前で静止し、ふわふわと空中に浮かぶ。
小柄な体躯はフィオナ程度で、愛らしい表情は大変に美しい。また、咲いた花のようなイメージの不思議な服を纏っていた。
そして身体よりもずっと長い髪にはいくつもの花が髪飾りのようにくっついており、背中には半透明に光る美しい四枚の羽。粒子はその羽からキラキラと舞い散っているようだった。
その姿は可憐で蠱惑的な、見目麗しい『妖精』である。
「ウフフフ……あっははははは! まぁまぁ、また可愛らしく愚かな人間たちが遊びに来たのね? そうなのね? ならば手厚く歓迎致しましょう。ようこそワタクシの愛の庭へ」
妖精は優雅な所作でスカートの裾をつまみ、頭を下げ、気品溢れる挨拶を済ませて顔を上げると、
「ただし――愛なき者は、美しい花の養分になっていただきますわ」
口元に手を添えて、妖しく微笑した。
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