♯77 薬師のお店
「……な、何を言ってるんだ? フィオナ、俺のことがわからないのか?」
クレスが困ったように眉をひそめる。
フィオナは手を握られたまま、星の杖を取り出すこともせずに話した。
「わたしには、クレスさんの姿をした方を攻撃することは出来ません。もちろん、今は魔術も使えないので何も出来ないですけど……。だから、お願いします。どうかこの森を通してください。本物のクレスさんに会わせてください」
「…………」
クレスは無言でフィオナから手を離し、それから口を大きく剥いて笑った。それは、普段クレスが見せる類いの笑みではない。
そして、すぐに彼の表情は悔しげなものへと変わった。
「あ~~~んっ! バレない自信あったのにぃ~! カンペキなはずだったのに、にゃんでにゃんでぇ~~~っ!」
クレスの口から発せられた声もまたクレスのものではなく、幼さの残る少女の無邪気な声だった。
外見こそクレスそのものだが、まったく似つかわしくないキンキンとした高音の声質に強烈な違和感があり、フィオナは少々呆気にとられた。
「うー。こんなに早くバレるなんて思わにゃかったぁ。ねぇねぇ、どうしてわかったの?」
どうやら降参したらしい“彼女”の素直な質問に、フィオナは一呼吸置いてから答える。
「“匂い”、です」
「ニオイ?」
「姿も、声も、身体の感触も、すべてクレスさんそのものでした。けれど、匂いだけは違います。先ほど抱きしめてもらって、すぐにわかりました。クレスさんは、もっと優しくて、ポカポカした温かい匂いがするんです。それに――」
フィオナは、確信を持った瞳で告げる。
「クレスさんは、わたしを残して先に進む人ではありません。何があっても、どんな状況でも、きっと真っ先にわたしを助けに来てくれます。そう、信じていますから」
胸に手を当てて微笑むフィオナ。
その返答に――クレスは「にゃふふ」とおかしそうに笑った。
「にゃはっ、にゃふふふっ。そっかそっかぁ! にゃるほどにゃるほど~!ウチがニオイに気付かないなんて大シッパイだ! けどとっても良い勉強になったよ! 楽しかった!」
愉快な笑顔をしたクレスの姿が闇の球体のようなものにずぶずぶと吞み込まれ、今度はそこからフィオナよりも小柄な少女が「ほいっ」と身軽に姿を見せた。
まず目立つのは、頭部でぴょこんと立つ可愛らしい黒の猫耳。その両サイドで赤いリボンが結ばれている。
柔らかそうな黒髪は肩の辺りで揃えられており、耳の横からは細く長い三つ編みが揺れていた。服装もまた黒一色の丈の短いワンピースで、腰の後ろには大きな赤いリボンが見える。そして、臀部から生えた黒い尻尾の先で鈴がリンと鳴った。
身長はフィオナよりずっと低く、幼さを残しながらも、その全身に強い魔力が満ちている。
黒き美少女は可愛らしく首を傾け、上目遣いに腰をかがめる。開かれたまぶたの内で、血のように赤い瞳が爛々とフィオナを見つめた。
「合格よっ。ここまで早いお客さんなんて初めてだったから、ちょーっと遊び足りないケド。さ、ついてきてー。店まで案内したげるよ! といっても一本道だけどネー!」
そのままトコトコと歩き出す黒い猫耳少女。ミニスカートをめくりあげる尻尾が愛らしく揺れ、鈴の音がリンリンと響く。
フィオナはぼうっとしていたが、すぐにハッと気付いて声をかけた。
「……え? あ、あのっ!」
「心配しなくても、お仲間さんたちもそのうち集まると思うよー。二回も迷う人たちじゃなさそうだし」
「え、えっと……もしかしてあなたは、あの……黒猫、ちゃん……?」
呆然と質問をするフィオナに、ネコミミ少女はくるりと踊るように振り返る。
「ただのイタズラ好きな女の子にゃん☆」
その無邪気な茶目っ気たっぷりの笑みは、まさに言葉通りのものであった。
――こうしてフィオナが猫耳の美少女に案内されて辿り着いたのは、赤い屋根の一軒屋。
ある程度見晴らしの良い開けた場所に見事な大樹が鎮座しており、その大木に寄り添うように家が建っている。
この場所だけは空からの太陽光が差し込んでおり、温かく爽やかな空気が流れていた。
近くにある木製の看板には、『クラリッサ製薬店』と店名が刻まれている。さらにその下に、小さく『+喫茶店』と追記されていた。
「ここが……薬のお店ですか?」
「そっ。お仲間さんたちもそろそろ来ると思うから待っててー! ウチはご主人様を呼んでくるよんっ」
「え?」
それだけを告げた猫耳美少女はいつの間にかまた黒猫の姿に戻っており、素早く駆けだして店の中へ入っていった。
直後、フィオナの背後からガサガサと茂みを揺らす音がする。
「きゃっ! あ……ク、クレスさんっ!」
「フィオナ! よかった、やはり先に来ていたんだな。しばらくこの周辺を探していたんだが、どうしても君の姿が見つからなくて、ひょっとしてと思ったのだが。ふぅ、本当によかった……」
フィオナの顔を見て、安堵したように息をつくクレス。子供の姿にまだ慣れていないのか、その全身には葉っぱや折れた木の枝がついていた。
気付いたときには、フィオナは彼の胸に飛び込んでいた。
「……クレスさんっ!」
「んっ? フィ、フィオナ、どうした?」
ぎゅっとクレスに抱きつくフィオナ。
優しく、温かい匂いがした。
「……すまない。そばから離れてしまったね」
「いいえ、いいえ。クレスさんは、ずっとそばにいてくれました」
左手の指輪を見せるフィオナ。
クレスも同じように指輪を見せて、お互いに笑いあう。
すると、また茂みを揺らす音が聞こえてきて、今度はエステルが姿を見せる。
「あら。私が一番かと思ったのだけれど、遊びすぎてしまったようね」
「あ、エステルさんっ」
「エステルも無事でよかった。俺も今ついたところだよ」
クレスの言葉に、エステルは少し驚いたように目を開く。
「ということは、フィオナちゃんの方が先についていたのね。初めてなのに、よく惑わされなかったわね。偉いわフィオナちゃん。やはり私の目に間違いはないわね」
「え、えへへ。それほどでは」
エステルに褒められて、照れたように微笑むフィオナ。
そこでフィオナが尋ねる。
「あの、やっぱりみんな、あの結界による妙な魔術で……?」
「ええ。あの広がる闇に吞みこまれると、それぞれが個別の魔術空間で幻覚のようなものを見せられるの。内容は人によって異なるようだけれど、心の弱い者はそこで惑わされ、魂を束縛されて二度と帰ってこられなくなる。空間設置型の高位魔術結界ね」
「そ、そうだったんですか……」
「ああ。今回、俺のところにはフィオナと母が出てきたが、すぐにニセモノだとわかって戻ってこられたよ」
「あっ、わ、わたしもです! クレスさんのニセモノさんが出てきて……でもすぐにわかりました!」
「そうか、嬉しいよ。エステルはどうだったんだ?」
「身長が伸びて胸が大きくなり、美女ぶりに磨きがかかったところで大勢の男たちから求婚され、お金に囲まれながら存分に良い思いを堪能させてもらったところで抜け出してきたわ。夢なんて、儚いものね」
「そ、そうか……」
「あ、遊びすぎってそういう意味だったのですね……」
静かに目を伏せるエステルに呆然とする二人。どうやら彼女は罠である魔術すら利用して楽しんでいたらしかった。
と話しているところで、最後にヴァーンが茂みを抜け出してやってくる。
「クッソがああああああああ! あんなモンでこのオレが満足すると思ってんのかッ! もっとオレの想像を超える超絶エロ可愛い美少女を連れてこいってんだよ! じゃねーとまた一発で終わらせちまうぜ! ブワッハッハッハッハ!」
自慢げに叫ぶヴァーンに、エステルがただ無言で首を振る。クレスとフィオナは顔を見合わせて笑った。
こうして全員が揃ったタイミングで、赤い屋根の一軒屋――その入り口の扉が開く。チリンチリン、とドアベルの音が鳴った。
中から、一人の女性が姿を現す。彼女の背後には「やっほー」と猫耳の少女。
女性の艶やかなエメラルド色の髪はサラリと揺れ、同じ色の瞳は宝石のように美しく、肌は日の光を知らないほどに透明感のある白さだった。
女性にしては高い身長と、落ち着きある整った顔立ち、エプロンを着て淑やかに歩く姿には大人の余裕が感じられ、尖った耳はエルフ族の特徴を受け継いでいる。
彼女はクレスたちの前まで来て、深々と頭を下げる。
「お客様方、遠いところをよくお越しくださいました。大変ご無礼なお迎えで申し訳ありません。さぁ、どうぞ店内へ。温かい飲み物をご用意してあります」
その笑みに促されたクレスたちは、ようやく目的の店へと到着したのだった。
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