♯73 愛情の再確認
フィオナは、ゆっくりと口を開いた。
「わたしはね、あの人の力になりたいなって思ったんだよ。全部、それが最初かなぁ」
「力に……?」
「うん。わたしの……わたしたちのために戦ってくれたクレスさんの背中は、今でも忘れない。あの人は、小さな頃から『勇者』としてみんなの希望を背負いながら立派に戦い続けて……それ以外のものは、きっとみんな二の次にしてきたんだよ。みんなの平和を取り戻すために必死で、それ以外のものは見えていなかったのかもしれないね。でも、そんな真っ直ぐなクレスさんだからこそ、きっと魔王を倒せたんだよ!」
「…………」
クレスは内心で思う。そうだったのかもしれない、と。
ヴァーンにいくら女性との関係を勧められても首を横に振ってきた。
エステルに楽しくなれるような趣味を勧められても何もしなかった。
他にも、出会ってきたたくさんの人々からいろんな形で関係を求められることがあった。クレスは、それらすべてをないがしろにしてきた。
魔王を倒すことがすべてだったから。
他のことに心を預ける余裕がなかった。
世界を平和にすることは、亡き母との約束。
そのために戦ってきた。それ以外のものは、当時のクレスにとってなんでもなかったのだ。
だからあのときは、ヴァーンやエステルのことを“友人”だとは思っていなかった。
しかし。
すべてを懸けて魔王を討ち果たしたクレスには、何も、残らなかった。
家族はいない。
友人は知らない。
力まで消失して。
命の灯火は、消える寸前。
何の後悔もありはしなかったが、今となっては、あの頃の自分があまりに恐れ知らずだったのだとクレスにもわかる。
フィオナは続けて話す。
「そのときのわたしは、今よりもずっと子供で……弱くて……何の力もなかったから、クレスさんのそばにはいられなかったの。だからね、強くなって待ってようって思ったんだ。戦いが終わったとき、クレスさんを隣で支えられるようにって。もし戦いが終わっていなくても、そのときは一緒に戦えるくらい強くなろうって! それが今は役立ってるかな、うふふっ」
「……楽しそうだね」
「うんっ、今はとっても楽しいよ。幸せだよっ! 不器用なところもあるけれど、それは誰よりも真面目な人だから。いつも誰かのために戦ってくれる、優しい人。クレスさんはね、本当に、世界で一番素敵な人なんだよ。わたしの、一番大切な人。大好き。大好きな人が、わたしを好きになってくれた。こんなに幸せなこと、きっと、他にないの……」
胸元に手を添えるフィオナは、心の底から幸せそうな笑顔を浮かべていた。
その笑みに魅せられたクレスの方まで、胸が温かくなっていく。
――今すぐクレスとして返事がしたい。
その想いが、クレスにあることを閃かせた。
「――フィオナ!」
「は、はいっ!?」
突然クレスに名前を呼ばれて、びくっと驚くフィオナ。
目を合わせて、クレスは大きな声で言う。
「一人目は女の子! 二人目は男の子!」
「……え?」
「今日はヴァーンとエステルを見送る日だ。だからいつもより早めに起きた!」
「え、えっ?」
「パンと卵のスープ、それに干し肉で朝食を済ませた後、俺は水を汲みに行った。そうしたら突然身体が小さくなってしまった。それをフィオナに知らせようと戻ってきたんだ。川べりにバケツが残っている!」
今日、朝からフィオナとしたやりとりを思い出し、それらを勢い任せに伝えることで自分の存在を示そうとした。
そして、それは見事に成功する。
「……クレス、さん?」
何度もまばたきをして、フィオナがその名前を呼んでくれた。
「ああ。この姿と声では信じられないかもしれないが、本当に俺がクレスなんだ。なぜこうなったかはわからない。でも本当のことだ。だからいくら待っても大人のクレスはここに戻って来ない! 頼むフィオナ、どうか俺を――信じてくれ!」
小さくなった手でフィオナの肩を握るクレス。
二人の視線が合った。
すると、呆然としていたフィオナの表情が元に戻っていく。
彼女はぐっと両手を握りしめて言った。
「は、はい! 信じますっ! クレスさんの言うことならなんだって信じられます!」
「フィオナ……よ、よかった……!」
ホッと安堵するクレス。一か八かで勢いに任せたのが正解だったようだ。
「でも、ちょっとだけ確かめさせてくださいねっ」
「え?」
フィオナはそこでクレスの金髪に触れて、くんくんと匂いを嗅いだ。
「あ、確かにクレスさんの匂いですっ! ど、どうしてすぐに気付けなかったんでしょう。ごめんなさいクレスさん! お嫁さんとして恥ずかしいかぎりです!」
「い、いや、気付いてくれただけで嬉しいよ。というか、匂いでわかるのか……。しかも洗ったばかりなのに……」
「えへへ。クレスさんの匂いは大好きですから♥」
キラキラした笑みで当然のように語るフィオナ。彼女の愛の深さをクレスは甘く見ていた。
「それよりもクレスさん。ど、どうして子供の姿に?」
「ああ、俺にもわからないんだ。水汲みをしていたら、突然……」
「突然、ですか? 何も前兆は? あっ、身体に何か影響はありますか? 痛みは?」
「いや、本当に突然だった。身体は大丈夫だよ。いたって健康体だ」
そう答えると、フィオナはホッと胸をなで下ろした。
「それなら少し安心ですね。でも……こんな病気は聞いたことがないですし、朝食に何か入っていたわけでは……うぅん、わたしがクレスさんに変なもの食べさせるわけないですっ! となると、何かの魔術……でしょうか? でも誰が何のために……そもそも、いつもわたしと一緒のクレスさんにどうやって……うぅん……」
「まったくわからないことだらけだ……」
並んで頭を悩ませる新婚夫婦。
フィオナは「あっ」と声を上げて言う。
「そうだっ、わ、忘れてしまっていました。そろそろ行かないと、ヴァーンさんとエステルさんのお見送りが出来なくなってしまうかもしれません」
「ん、そうか。よし、なら風呂を上がって街へ行こう。このことも二人に訊けば何かわかるかもしれない」
「そ、そうですねっ! エステルさんなら何かご存じかも!」
急いで浴槽を出たクレスに習い、フィオナも風呂を出る。
するとフィオナは膝をついてすぐにクレスの身体をタオルで拭き、いつものように着替えを手伝おうとする。
そこで、フィオナが突然ぴたりと停止してつぶやいた。
「……あ、あのぅ……」
「ん? どうした、フィオナ? もう時間がないよ」
動きの止まったフィオナに疑問顔を向けるクレス。
すると、フィオナはもじもじと頬を赤らめながら言う。
「…………さっきのお話、ぜ、ぜんぶ、聞かれて、いたの、ですよね……?」
「……え? あ――」
「ま、まさかクレスさん本人に話していたとは思っていなかったので、わ、わ、わたし、す、すごく恥ずかしいことを、口にして、いた、ような…………」
さらに紅潮して、クレスと目を合わせられなくなっていくフィオナ。
クレスは思った。
子供のままで、フィオナからあんな話を引き出してしまったのは卑怯ではないかと。フェアではないと。そんなことは、クレスの性格的に許せないことだった。
だから、クレスも彼女に応える言葉を伝えようとした。
「すまない、フィオナ。そしてありがとう。君の素直な気持ちが聞けて俺は嬉しかった。だから俺からも伝えよう」
「……え?」
「以前に、君の好きなところはないと話したと思うが、あれは間違っていたかもしれない」
クレスはフィオナの頬に手を当て、顔を上げた彼女と目を合わせる。
そしてフィオナの長い銀髪を撫でながら、大人のときよりも高い声色で囁く。
「君の愛らしい顔も、女性らしい身体も、俺のすべてを受け入れてくれる懐の深さも、愛情の大きさも、毎日美味しい料理を作ってくれる優しさも、こうして恥ずかしがっている姿も、すべてが好きだ。そう。俺はきっと、君のすべてが好きなんだ。世界で一番素敵な君を、俺は誰より愛している」
歯の浮くような言葉さえ躊躇なく言えてしまうクレス。それは、クレスが発するからこそ偽りのないストレートな破壊力を発揮する。
だから。
フィオナの顔は、もうデレッデレになっていた。
「……えへ。えへへ、えへへへへへぇ♥ 嬉しい、嬉しいな。嬉しいなっ。わたしも、わたしもクレスさんが大好きですっ!」
「フィオナと結婚出来たことは、俺の人生で一番幸せなことだ。これからも頼りない俺を支えてほしい」
「はい! ずぅっと、あなたのおそばにいます!」
抱擁する二人。
幸せ極まる空間でお互いの愛情を再確認していたが、すぐに揃ってこれからの目的を思い出した。
「まずい、さすがにこれ以上遅れてはいけない! 急ごうフィオナ!」
「は、はい~!」
バタバタと慌てて着替える二人。
フィオナは小さくなったクレスをじっと見つめて、それからぼそっとつぶやいた。
「……小さなクレスさんも、かっこいいなぁ……♥」
「ん? フィ、フィオナ?」
「あ、な、なんでもありません! い、急ぎましょう~!」
幸か不幸か、小さくなったことで、新婚夫婦の愛がさらに深まったのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます