♯72 早朝のお風呂タイム

 こうして、フィオナに風呂場へと連れていかれた子供クレス。

 あっという間に服を脱がされ、フィオナが魔術で火をおこし、湯船を温める。その間に、フィオナはエプロン姿のままでクレスの土にまみれた身体を洗ってくれた。


「あの、だから俺はクレスで――」

「あはは。そんなにクレスさんのことが好きなんだね。でも負けないよ~? わたしの方がクレスさんのこと好きだもんっ!」


 子供に張り合おうとするフィオナに、クレスは呆然とするしかない。


「あ、頭を洗うから、少し目を閉じていてね」

「は、はい」

「ふふ。緊張しなくて大丈夫だよ」


 思わず敬語になるクレス。

 フィオナのテキパキとした手際で、クレスの汚れた身体は綺麗に洗い流されていく。時折彼女の身体が触れて、クレスは妙に緊張してしまった。先日、共に入ったときはまた違う感覚である。


(むう……どうやら俺は、本当に子供になってしまったらしいな……)


 そのときクレスは、改めて自らの身体の違和感と向き合う。

 短い手足にはいまだに慣れず、体重もずっと軽くなっているため、全身の感覚が大人のときとはまるで違った。どうやら声さえも変わってしまっているらしく、それならあのフィオナが気づけないのも無理はないとクレスは思っていた。

 フィオナからのプレゼントである耳飾りを着けていれば気づいてもらえたかもしれないが、朝、目覚めて間もなかったこともあり、まだ身に着けていなかったのである。


 ただ、子供の身体になったからといって、今のところは別段大きな問題があるわけではないのだが、さすがにこのままでいるわけにもいかない。


(ううむ……どうするべきだろうか……。やはり、まずはフィオナに俺がクレスであることを信じてもらわなくてはならない……)


 どうやら直接言っても信じてはもらえなさそうである。ならばと別の方法を考えるクレスだが、すぐに名案は浮かばない。ストレートな性格のクレスには、そういう回りくどい作戦は苦手だった。

 勇者として冒険をしていたときも、頭を使うような作戦は大抵の場合エステルや他の誰かが担ってくれていた。クレスは基本的に肉体労働専門なのである。だからこそ、戦いにのみ専念出来たのだ。


 悶々と考えていると、フィオナの方から話しかけてきた。


「君は、騎士さんになりたいのかな?」

「え? な、なぜ?」


 突然の質問に、しどろもどろになりながら答えるクレス。

 フィオナは小さく笑って返した。


「ふふっ、急に訊いちゃってごめんね? 前にね、クレスさんみたいな騎士になりたいって男の子と出会ったの。あれから騎士学校に通う子が増えたって聞いたから、ひょっとしたら君もそうなのかなぁって」

「ああ、な、なるほど」

 

 自分がクレスであると気付いてもらわなければならないのだが、まずはこの場を乗り切るのが先決だという結論に至ったクレス。そもそもこの姿で街に一人追い返されでもしたら、それこそまずいことになってしまう。妻であるフィオナに気付いてもらえないようでは、他の誰にも気付いてもらえない可能性は高かった。

 

 出来るだけ時間を稼ぐしかない。


「ま、まぁ、そう、かな? です……」


 変な答え方をするクレスに、フィオナはくすくすと笑った。

 それから彼女は手を動かしつつも、嬉しそうに語り出した。


「あのね、クレスさんは、とってもすごい人なんだよ」

「……え?」

「クレスさんが、勇者として魔王を倒したのは知ってるよね? 強い魔族や魔物たちといっぱい戦って、有名な街を、たくさんの人を救ってきた。みんな、そういう大きな話ばかりを伝承として残していくけど……クレスさんはね、他にもすごいことをたくさんしているの」

「すごいこと?」

「そうだよ。中でもわたしが一番すごいと思うのはね、クレスさんが、どんな相手に対しても真っ直ぐな心でいられる人ってことなんだよ」


 その語る彼女の声は、とても、優しい。


「クレスさんは、とっても綺麗な心を持っている人。どんなときでも、純粋に前だけを見てきた人。そういう人だから、きっと大変な思いをたくさんしてきたはずなの。でもね、そんな人だからこそ、数え切れないくらいたくさんの人を助けることが出来た。いろんな人に勇気を与えてこられたんだと思うの。わたしも、その中の一人。クレスさんに出逢えたから、今があるの」


 背中から聞こえる愉しそうな声に、クレスは少しむずがゆい思いをしていた。だからついこんなことを言ってしまう。


「……クレスは、そんなに大したやつじゃないよ」

「むう? わたしの旦那様を悪く言ったらぁ……怒っちゃうぞぉ~!」

「えっ!? ごごごめんなさい!」

「――あははっ。素直に謝れて偉いね。よしよし」


 手を挙げて怒ったふりをしたフィオナは、すぐに元の笑みを取り戻していつものようにクレスの頭を撫でてくれる。それから身体に水を掛けてもらえば、すっかり汚れも落ちていた。


「はい、綺麗になったよ。このままだと冷えちゃうから、お風呂も入っていってね。うん、ちょうど温かくなったところみたい」

「いや、でも…………はい。わかりました……」


 断りかけたクレスだが、まだ妙案が浮かばない。そこでとりあえず風呂に入って、さらに時間を稼ごうと考えた。


 気持ち良い湯船の中でクレスが思考を繰り広げていると、そこでフィオナも服を脱ぎ出した。


「せっかくだから、わたしも一緒に入っていいかな? 少し、泥がついちゃったから」

「え? ちょ、ちょっと待っ」

「少しあっちを向いててくれる?」

「はい!」


 言われた通りにする良い子のクレス。

 フィオナはちゃんとタオルで身体を隠した後、クレスの隣に入浴した。普段もしている混浴だが、今はなぜだか緊張してしまうクレスである。隣からフィオナを見上げるという経験も新鮮だ。


「ごめんね。でも、クレスさんの前ではいつも綺麗でいたいの。クレスさんは、きっとどんなわたしでも受け入れてくれるけれど……やっぱり、好きな人には好きな自分を見てほしいから。えへへ」

「そ、そうか……」

「う~ん、それにしてもクレスさん、本当に遅いなぁ。何かあったのかも。やっぱりお迎えに行った方がいいかな……うう、そう思ったらお風呂なんて入ってる場合じゃないかも!」


 心配そうに目尻を下げて、自分の銀髪を触りながらそわそわしだすフィオナ。


 子供の姿になってみて、クレスは改めてフィオナの気持ちを知ることになった。


 彼女は本当に、いつもクレスのことばかり考えている。

 どうすればクレスが幸せになれるかばかりを気にしている。


(……俺は、本当に幸せ者だな)


 そんなとき、クレスは少し思いついてしまった。


 子供の姿をしているからこそ、尋ねやすいこともあるのではないかと。


「――あの、一ついいかな?」

「え? うん、なぁに?」

「フィオナは――あ、いや、お姉さんは、その、どうしてそんなにクレスのことを……?」

「え?」


 何度か目をパチクリとさせるフィオナ。


 それからフィオナはおかしそうに小さく微笑んで、ゆっくりと口を開く。

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