♯71 クレス、小さくなる
クレスとフィオナにとっては、“結婚”こそが最も大きな目標だった。
勇者ではなくなり、生きる意味を見失っていたクレスの新たな目的。それこそがフィオナと生きていく道。今、その道は開けている。
フィオナもまた、クレスに救われた命を使って彼を守り、愛し続けることが目的であった。その願いは成就し、幸せな毎日を送れている。
だから二人は、新たな目標を探した。
これからも二人で寄り添っていけるように。
最期の時まで添い遂げられるように。
そこで二人は、まず目先の仕事を探し始めた。
すると、その話を聞いた街の人々が早速二人に仕事をくれたのである。
「うーむ。それにしても、思った以上に仕事の依頼を貰ってしまったな……」
「ふふ、とってもありがたいことですね。これで生活の心配はなさそうです!」
朝。二人は肩を並べて朝食の支度をしながらそんな話をしていた。
まず、『グレイス』のときは猟師という体で通していたクレスであるが、正体が知られたことで勇者としての人気を取り戻しており、街では講演に呼んでもらえることに。また、騎士を目指す子供たちに指導する機会を得たり、教会所属の聖騎士団における剣術の指南役として声が掛かって、自然に仕事は増えていった。
一方、フィオナも魔術師として確かな腕を披露出来たこともあり、魔術師としての仕事がランクアップ。また、アカデミーの
街で買ってきた焼きたてのパンが香ばしい匂いを漂わせるキッチンで、クレスの野菜を切る手が止まる。
「む。しかし、これからお互いに忙しくなってしまったら、こうして一緒にいられる時間が減ってしまうな……それは避けたいが……」
悩みながらのつぶやきに、エプロン姿のフィオナはスープの味付けをしながら答える。
「ふふ。大丈夫ですよ、クレスさん。せっかくのお話でしたけれどわたし、お仕事はほとんどしないつもりですから」
「え? そうなのかい?」
「はい。わたしにとって一番大切なことは、あなたのそばにいることですから。お仕事でそれが出来なくなってしまったら、何の意味もありません。だからわたしは、お嫁さんとして、奥さんとして、この家でクレスさんを支え続けていきます。それがわたしの一番のお仕事です!」
「おお……なるほど……!」
胸を張るフィオナに、感心したようにうなずくクレス。それはいわゆる『専業主婦』という大切な仕事であった。
「よし、ならば外での仕事は俺にまかせてくれ。君の一番の仕事が出来るように、俺も支えていくよ。ただ、君はそもそも働き過ぎなくらいなのだから、適度に休んでほしいものだ」
「クレスさん……えへへ、ありがとうございますっ! それに……ク、クレスさんとの子供が出来たら、やっぱり、ずっとお家で見ていてあげたいですし……!」
少し照れたようにはにかみながら話すフィオナに、クレスはさすがに驚いた。
「フィオナ、そこまで考えていたのかい?」
「えへへ。一人目は女の子で、二人目は男の子がいいなぁって。あ、も、もちろんただの妄想ですけれど!」
「そうか。ならそれを現実に出来るよう励もう。まだ贅沢な生活は出来ないかもしれないが、君が安心して暮らしていけるようするよ」
「いいえ。クレスさんと一緒にいられること以上の贅沢なんてないです。それに、がんばりすぎるのはよくないです。あまり、わたしを甘やかしてはいけませんよ? 甘やかすのは、
フィオナから切ったフルーツの欠片を「あーん」され、クレスは甘酸っぱいそれをもぐもぐして飲み込む。
「――そうか。確かに、君のような奥さんがそばにいてくれることは贅沢なことだね」
「えへへ♥」
今後の方針も決まったところで、朝食の支度が完了。
いつも通りに美味な栄養たっぷりの食事を終えたところで、クレスは口元を拭いてから切り出す。
「さて、今日はヴァーンとエステルが街を出る日だったね」
「はい。片付けをしたら、お見送りに行きましょう!」
「そうだね。俺は少し水を汲んでくるよ。先に準備をしておいてくれ」
「はぁい♪ 気をつけてくださいね」
若奥様に見送られて家を出るクレス。
川のほど近くに家を建てているため、水を汲みに行くのは楽なものである。ただ、往復することも多いため、基本的にこのような力仕事はなるべくクレスが引き受けるようにしていた。
「このくらいのことは、させてもらわないとな」
最初は何でも自分でやろうとしていたフィオナだが、結婚後、「夫婦は負担を分け合うもの」だとクレスが熱心に説得し、少しばかりの家事分担を手に入れたのである。
そもそもフィオナは、初めは家事はもちろんのこと仕事すら一人でこなそうと考えていて、本気でクレスをひたすらに甘やかし続けるつもりでいたらしい。さすがにそれではクレスがダメ人間になってしまうと、ベルッチの両親やエステル、セリーヌやリズリットの学友からも説得があり、フィオナが一般的常識を受け入れる形になったのだ。もちろんフィオナにもその程度の常識はあるが、クレスのためとなれば彼女の常識は簡単に崩壊する。
それでもやはり、フィオナが基本的に尽くしまくる姿勢は変わっていない。結婚してよくよく理解したクレスだが、フィオナは元来そういうことが嬉しいらしいのだ。大切な人に尽くすことで、自身も幸せを感じるタイプの女性らしい。
「彼女に甘やかされてばかりではいけない。いつか俺も、人の親になるのならば」
先ほどのフィオナとの家族計画を思い出しながら何度も往復し、タンクにバケツの清水を溜めていくクレス。
少し、違和感があった。
「……ん? なんだか少し、動きにくいな……?」
いつもならわずかな間に終わってしまう往復が、なぜだか普段より時間がかかる。
「な、なんだ。この、妙な感覚は」
突然歩きづらくなり、バケツを持つ手が痛みを覚える。体力が一気に持っていかれたような気さえする。
ふらふらと歩きながら川のほとりまで辿り着いたクレスは、その場で膝を突いて清流を手ですくい取り、顔を洗う。自分の意識をより覚醒させようとしたのだ。
そして気付く。
川面に映り込んだ自分の顔が。
「――なっ」
身体を見下ろす。
手や足は縮んでおり、服はぶかぶかになっている。
ようやく自らの異常を知ったクレス。信じられない状況に自身を疑う。
「な、なんだこれは? 幼児退行……している、のか?」
何度見てもその変化が元に戻ることはない。間違いなく、子供になってしまっていた。
川に映る自身の姿から考えると、おそらく十数年ほど以前――十歳から十二歳程度の身体になっていると思われた。道理で動きにくいはずである。
勇者として幾多の絶望的な経験をし、考えられないほどの困難を乗り越えてきたクレスにとっては、そこまで慌てる事態ではなかったが、何か自分に異常が起きていることは間違いなかった。
「ま、まずい。とにかく、フィオナの元へ戻らなくては」
バケツを置きざりにしたまま、森を抜けて家に戻っていくクレス。その途中、慣れない子供の身体に何度も転んでしまい、泥だらけになる。ともかく、まずはフィオナに異常を知らせる必要があった。
そうしてようやく家の前に辿り着くクレス。
呼吸を整えていると、家の扉が開いた。
「クレスさん、ちょっと遅いなぁ。どうしたのかな。大丈夫かな。迎えに行ったほうがいいかな」
そわそわと出てきたのは、まだエプロン姿のままのフィオナ。心配そうに辺りをキョロキョロしている。
そこで、クレスと目が合った。
「あっ、フィ、フィオナ」
クレスが声を掛けると、フィオナは驚いた顔をしてパタパタと走ってくる。そして膝を折ると、子供になったクレスと目線を合わせて、汚れたクレスの服を叩いてくれる。
「君、どうしたのっ? こんなところで……迷子かな? こっちの方はたまに魔物も出るから来ちゃダメだよ」
「え? あ、いや――」
「わたしの名前を知ってるってことは、街の子だよね? わたし、この後で街に出る予定だから、一緒に連れていってあげるね。おいで。中で飲み物をあげる」
「ま、待ってくれ。ちがっ」
「ああ、服がこんなに汚れちゃってる。どこかで転んだのかな? 平気? ケガはしてない? ずいぶんサイズが大きな服だよね。……あれ? この服…………」
クレスの服装を見て何かに気付いた様子のフィオナ。
毎朝クレスの服を用意してくれる彼女が、これで気付かないはずがない。
クレスは慌てて説明した。
「そ、そう! この服はクレスの! 俺のっ!」
これで自分がクレスだとわかってもらえる。
そう思ったクレスであったが――
「そっかぁ、先にクレスさんと会ってたんだね? それじゃあクレスさんのお知り合いなのかな? 剣術の生徒さん……とか? どうしてクレスさんの服を着てるのかわからないけど……とにかく、ずいぶん汚れちゃってるね。こっちに来てっ」
「え、えっ?」
「ちょうどクレスさんが水を汲んでくれていたから、お風呂に入っちゃおう? そんな姿じゃ、家に帰ってお母さんに怒られちゃうもんね。洗濯もしておいてあげるね」
「や、ちがっ! ちょ、ちょっと待ってくれ、フィオナ! 俺はクレスなんだ!」
「ふふっ。クレスさん、最近また子供たちに大人気みたいだね。君も、クレスさんみたいなかっこいい男の子になれるといいね。はい、こっちだよ♪」
「え、ええええっ」
そのままフィオナに引っ張られ、風呂のある小屋に連れていかれてしまう小さなクレスであった――。
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