第四章 新婚生活編

♯70 新たな未来へ

 クレスとフィオナの結婚式から、しばらくが経った。


 晴れて夫婦となった二人は、小さくも居心地の良い森の家で静かに、穏やかに、幸せに暮らしていた。

 お互いにすべてをさらけ出し、数々の困難を乗り越えて、ようやく辿り着いた日々。心も身体も結ばれたことで、若い二人の愛は燃え上がるばかり。

 昼夜を問わずに愛をささやきあっては、甘美な時間に溺れて……――


 ――というようなことはまったく、一切、これっぽっちもなく、結婚前と同じように、大変ピュアな夫婦関係を続けていた。


 しかし、着実にその“レベル”は上がっている。


「クーレスさんっ。あーん」

「あーん」


 クレスが口を開けると、フィオナがスプーンで食事を与えてくれる。ひよこ豆のスープは素朴ながら優しい味わいであった。


「美味しいですか?」

「――ん、ああ。けれど、フィオナが家で作ってくれる料理の方が俺は好きだな」

「えへへへ♥ クレスさんたら♥ あ、次はこっちですね。はい、あーん」

「あーん」


 肉に野菜、次々に放り込まれる食事をひな鳥のようにパクパクと消化していくクレス。フィオナは傍らでクレスの口元を拭いたり飲み物を差し出したりと、終始つきっきりで世話を焼く。美味しく料理を食べるのに適した順番、飲み物のタイミングなども完璧に把握するフィオナの気遣いは出来すぎていた。


 そんな新婚カップルのイチャラブ光景を、友人たちがしばし呆然と眺めていた。


 真っ先に我慢出来なくなった男が叫ぶ。


「……んだあああああなんだこれッ! なんだこれッ!! 見てるこっちがかゆくなるほどハズいわッ! できたてバカップルか! 真っ昼間から周囲の目が気にならねーのかこいつらは! オイコラ口移しまでしようとしてんじゃねぇやめろッ!」

「結構なことでしょう。クーちゃんもフィオナちゃんも初めての相手と結ばれたのだから、こうなるのは必然だわ。微笑ましいものよ」


 聖都のレストラン。それも中央通り沿いのテラス席による昼間の出来事にヴァーンは頭を掻きながら悶え苦しみ、エステルはいつも通りの涼しい顔でアイスコーヒーに口をつけていた。

 ヴァーンが酒をあおって言う。


「クソクソクソ! フィオナちゃん、すっかり女になっちまったなぁ……! チクショウ、オレも甲斐甲斐しく尽くしてくれる巨乳美少女と結婚してえ! 毎晩甘やかしてくれる癒やし系嫁さんに出逢いてぇ!」

「来世に期待しなさい」

「へっ、バカが。オレはこの現世いまを生きてんだよ。セリーヌちゃんリズリットちゃん、まずはオレと今晩どうよ!? 勇者テクにも負けないもんをみせてや――」

「今すぐ転生させてあげるわ」

「うぉあぶねぇっ! へへ、そろそろ嫉妬で攻撃してくると思ってたぜ。ったく、お前もいつまでもクールぶってねーで、もっと可愛げのある女になりゃあオレも――」

「不愉快」


 エステルが隣の椅子を蹴っ飛ばすと、ヴァーンは椅子と共にゴロゴロと転がって聖都の坂道を落ちていった。いつのまにか椅子ごと足を凍らされていたようで、悲鳴が遠くなっていく。だがそれも慣れたもので、誰も彼を心配などしていなかった。 


「えーっと……いやー、食事に誘ってもらったのは嬉しいけどさ。まさかあんな真面目だった後輩が結婚して、こんなだだ甘ぶり見せつけてくるとは思わなくって。さすがにあたしも見てらんないわー。あははは!」

「はわわわわわ……! フィ、フィ、フィオナ先輩、だ、大胆です……!」


 同席するセリーヌも思わず笑ってしまうほどであり、リズリットは赤面した顔を覆いながら、指の間からチラチラとバカップル夫婦の行為を凝視していた。


 そんな六名(一名復帰中)での食事の席は当然ながら目立ちまくっており、テラスの前を通り過ぎる人々は例外なくこちらに視線を送ってくる。中には奇異の目もあったが、ほとんどは好意的に二人を祝福してくれるものばかりだ。だから、クレスとフィオナにはまったく気になっていなかった。そもそもそういうことが気にならないのが新婚というものである。


 やがて一名の懲りない男が「ぜぇはぁ」と息を荒げながら復帰したとき、 口いっぱいにもぐもぐしていたクレスは、それを飲み込んでから話す。


「それにしても……ずいぶんと復興が進んでよかった」


 クレスの視線が向くのは、街の姿。

 キングオーガの襲来や、レミウスが【魔術人形】で生み出したゴーレムの暴走によって被害を受けていた街は、聖女ソフィアが中心となる教会の惜しみない支援と、都民全員の協力もあって、急速に復興が進んでいる。もちろん、クレスやフィオナたちも手を貸していた。


 ヴァーンが再び座り込み、頬杖をつきながらヘラヘラと笑う。


「へっ、オレらはちょいと前まで魔王や魔族相手にドンパチやってた人間サマだぜ? こんくれーのことは大したことねー。人間サマはつえーもんだ」

「そうね。それに、悪いことばかりではないわ」


 続くエステルの言葉に、クレスたちは揃ってうなずく。

 一時は、平和な世界に慣れすぎたあまり、それを当たり前として傲慢になりかけていた人々。彼らは自ら動き、協力して助け合うことを思いだし、今はそれぞれを想い合って行動している。


「ホントにそうねー。天然温泉なんてこの辺りじゃ珍しいし、フィオナがドカーンと派手にやってくれたおかげだわー」

「アカデミーの塔も、ずいぶんと古くなっていたから、新しく建て直すのにちょうど良かったそうです。リズも、何かお力になれたらなって思います!」


 不幸中の幸いというべきか、崩壊した建物の工事のために雇用も増し、元々よかった治安はより向上していた。さらに、アカデミーの塔が崩壊した場所の地中からなんと温泉が噴き出し、今はそれを活用した新たな施設の開発も進んでいる。


 人々と、教会と、アカデミー。それぞれが支え合って、新たな街が創られようとしている。


 そこでヴァーンが立ち上がって口を開く。


「ま、ここまで来たらもうオレらは用なしだな。エステル、次はどーすんだ」

「西の方で比較的被害が多いようだから、そちらかしら。魔族の国ファルゼンが近いことも影響しているようね。まぁ、いざこざレベルのようだけれど」

「おう。んじゃテキトーに準備済ませとけよ」


 エステルも飲み干したコーヒーのカップを置き、立ち上がる。

 クレスはすぐに声をかけた。


「ヴァーン、エステル。もう街を出るのか?」

「平和なところに傭兵なんてもんは必要ねぇからな。数日ほど街で準備を済ませたら、また別のとこで稼いでくるぜ。ああ、あとここのはオレが払っといたわ」

「そうか。……ありがとう。ヴァーン」

「よせよ。じゃあな相棒」


 拳を突き合わせて笑う二人。


 エステルは落ち着いた表情で言った。


「本当の意味で復興を始めた、この街はもう大丈夫でしょう。フィオナちゃん、クーちゃんと仲良くね。ただ尽くしすぎると男は……いえ、クーちゃんなら平気かしら」

「エステルさん……」

「もしも寂しければ、連絡を頂戴。旅に連れ出してあげる」


 向けられた穏やかな眼差しに、フィオナは引き止めたい思いを押しとどめた。そして、笑顔でうなずく。


 続いてセリーヌも席を立つ。ぐーっと空に向かって腕を伸ばした。


「さぁーって! そんじゃあたしも仕事に戻ろっかな。フィオナのドレス効果でお仕事たぁんまり来てるから、もう嬉しい悲鳴よ~。休みが休みにならないもの」

「あっ、それならリズも手伝いますっ。アカデミーの試験が近いので、あ、あんまりお手伝い出来ないですけど……」

「助かるわ~。クレスさん、フィオナ。また食事でもしましょ!」

「クレスさん、フィオナ先輩。そ、それではまた」


 ウィンクして手を振るセリーヌと、背筋を真っ直ぐに頭を下げるリズリット。さりげなくヴァーンがセリーヌの後方に手を回しており、粗相をする前にエステルから思いきり足を踏まれていた。


 こうして四名の友人たちは店を去っていき、残されたのは新婚夫婦のみ。

 クレスは彼らの背中を見送りながらつぶやく。


「そうか……皆、それぞれにやるべきことがあるんだな」

「ふふ、そうですね。みんな、忙しそうです」


 刻一刻と変化していく街と、人々の姿。

 二人は肩を寄せ合いながら、そんな光景をしばらく眺める。それぞれの左手には、同じ指輪が光っていた。


「俺たちも……結婚して、それで終わったわけじゃない。ここから、二人でどんなことが出来るか探してみたいと思う。どうだろう?」

「はいっ。クレスさんと一緒なら、なんでも出来ると思います!」

「そうだな。君と一緒なら、なんでも出来るだろう」

「えへへ。それでは、最初は何をしましょうか?」

 

 あどけないフィオナの微笑み。

 クレスは真面目に思考をして切り出す。耳飾りがゆらゆらと揺れた。


「……よし。ひとまず、食事が冷めないうちに食べてしまおう。それから、デートの続きをして帰ろうか。考えるのは、その後でもいいだろう。ああ、それから新しいデザートの店が出来たらしい。寄ってみようか?」

「はい!」


笑いあう二人は、また、新たな未来に向けて歩を進め始めた――。

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