♯65 世界で一番綺麗な花嫁

 フィオナは、まず塔の最上部――レミウスの元へ戻る。

 彼は完全に意識を失っており、このままでは命が危ない状況だ。


「少しだけ待っていてください!」


 レミウスに防護結界を張ったフィオナは、そのままさらに空へと上昇。一気に気温が下がっていく。

 

 やがて塔のはるか高みで止まり、見下ろす。

 すると、エステルたち魔術師の結界によって塔の周囲が完全に囲われているのがよくわかった。皆の力がゴーレムの行動を抑止してくれている。


 今しかない。


 飛行に利用していて使えない杖の代わりに、自らの手でルーンの魔術印を刻みながら魔力を練り、詠唱する。


「《天高くそびえる蒼炎の塔。世界を照らす灯火となれ》」


 ぴょこん、とフィオナの頭部からキツネの耳が出現した。


 全身に蒼き魔力のオーラが充ち満ちる。身体に留まりきらない魔力が溢れ、フィオナの銀髪からキラキラと粒子状になって空へ放出される。一瞬だけ、フィオナの髪がオーロラのように煌めいた。

 ルーン魔術は特異である。

 一般の魔術師にはまず扱えない。簡易的な“印”を用いればその限りではないが、真のルーンは生まれついての“素養”が不可欠であり、フィオナにはその素養があった。


 両手を広げ、真下に伸ばす。

 すると、ゴーレムの周囲に張られている結界と同規模の巨大な星の魔方陣がゴーレムの足元に出現した。


 魔方陣は回転を始め、極大の魔力が練り上がる。


「――【ソウェル・アグニ・バースト】!!」


 瞬間、魔方陣から超高熱の炎柱が噴き出す。

 その熱量は凄まじく、赤炎から一瞬で蒼き炎に変化し、まさに蒼炎の塔と化して空を、街を照らした。エステルたちの結界のおかげで炎が周囲に漏れることはなく、空へと向かって轟々と立ち昇る。


 アカデミーの塔そのものは堅固な石材で造られている上、魔術によって加工・強化が施されていたが、フィオナの全魔力を練り上げた大魔術には耐えきれずに、石材すらも蒼き世界に溶け出してゆく。

 すぐにゴーレムが使っていたレミウスの魔力そのものが霧散し、形を保てなくなった塔はガラガラと凄まじい音を立てて崩れていく。そしてそれも結界のおかげで周囲に散らばることはなく、真下にまとめて落下していった。もはや、この塔に意志はない。


 その最中、目をこらしていたフィオナが見つける。


「大司教様っ!」


 崩れる塔と共にレミウスが落下しているのを発見し、すぐにそちらへ接近し、彼の身体を支える。

 あらかじめ張っておいた結界のおかげでレミウスには傷一つなかったが、ゴーレムによって魔力を酷使されていた彼は満身創痍だ。以前フィオナが陥ったのと同じ、魔力欠乏によって命の危機にさらされている。


「そうだ、この前エステルさんがやってくれたみたいに……!」


 フィオナはあのときのことを思い出し、すぐに自分の魔力をレミウスへと分け与える。

 だがレミウスが消費した魔力量が凄まじく、フィオナの魔力も相当に吸い取られる。その最中に蒼い魔力のオーラは消え、頭部の耳も引っ込んだ。


それでも確かな効果があり、レミウスは落下しながら目を覚ます。


「…………うっ」

「大司教様!」


 彼が無事だったことに安堵するフィオナ。


 フィオナの顔と――そして周囲の状況から、レミウスはすぐに事態を察した。


 そして、自分が宝箱を持っていないことを知る。


「……! 冠はっ!」


 レミウスは落下する瓦礫群に目を向け、はるか遠くで宝箱が落ちていることに気付く。しかも落下の衝撃で箱が開いてしまい、中から冠が飛び出してしまった。


「いかん! 至宝が!」


 手を伸ばすレミウス。

 その言動でフィオナも冠のことに気付く。しかし、今レミウスから離れれば魔力の譲渡が絶たれ、彼の命が危ない。それに、この瓦礫群の中であそこまで移動するのは不可能だ。


「ダメです! 放っておいてください!」

「そうはいかんッ! あれは、あれは我が聖都にとって、教会にとって何よりも重要なモノだ! 人々の標なのだ! 私のことなどいい! 冠を頼むッ!」


 険しい顔で叫ぶレミウスに。


 フィオナは激昂した。



「――命より大切なモノなんてありませんっ!!」



 そうしてどこか寂しそうに、悲しそうに目を伏せたフィオナに、レミウスがハッと目を見開く。


「……必ず、みんなのところへ戻るんです! わたしが引っ張ります!」


 フィオナはレミウスの手を掴み、そのまま瓦礫群の中から脱出する。強引に抜け出そうとしたことで先導するフィオナの腕や足には何度か瓦礫がぶつかったが、そんなことは気にも留めず進んだ。


「…………」


 レミウスは、そんなフィオナの背中を黙って見つめていた――。



 こうしてフィオナはなんとか無事にレミウスを連れたまま地上へ――クレスの待つ場所へ戻ってくる。


「フィオナっ!」


「クレスさんっ!」


 クレスの呼ぶ方に飛行していくフィオナ。

 だが、クレスの顔を見て気が抜けてしまったのか、はたまた魔力を一気に消費しすぎてしまったのか、


「――あっ」


上空でフィオナの魔術が切れてしまい、レミウスと共に地上へ落下してしまう。


 そこで素早く動いたクレスが、見事にフィオナの身体をキャッチ。フィオナの杖はエステルが受け取ってくれた。


「おかえり、フィオナ」

「クレスさん……はいっ、ただいまです!」


 ウェディングドレス姿の花嫁を抱きかかえるクレス。フィオナの活躍ぶりに周囲から拍手が巻き起こる。


 一方、レミウスの方はヴァーンがキャッチしていたのだが、ヴァーンは苦々しい顔をしてすぐに大司教を地面にポイと放り投げた。そこに幹部たちが慌てて駆け寄る。


「レミウス様!」

「ご無事ですか!」


「…………ああ」


 周囲に声に呆然とした様子で答えるレミウス。ゆっくりと身を起こした。

 その視線は、フィオナの方へと向いている。


 クレスがそっとフィオナを立たせたところで、フィオナは衝撃を受けた。


「あっ……」


 ウェディングドレスが、無残な姿となっていた。

 尊敬する母から受け継ぎ、セリーヌがリメイクしてくれた大切なドレス。クレスが褒めてくれた自慢のドレス。皆に祝福してもらえた宝物。

 それは先ほど魔術を使ったときに熱で焦げ、さらにレミウス救出の際に無理をしたことが大きな原因だった。ここまで無残な状態になってしまえば、もう修復することも出来ないだろう。


 フィオナはドレスの裾をぎゅっと握って、うつむき加減につぶやく。その頬は煤けていた。


「ごめんなさい……クレスさん。せっかくの結婚式の日に……花嫁が、こんなに汚れて……」


 顔を伏せてしまうフィオナに、しかしクレスは穏やかな顔を向けた。

 そして、フィオナの頬に手を添える。


「ありがとう、フィオナ」


「……え?」


 フィオナが顔を上げる。

 クレスは彼女の煤けた頬を指で拭い、言った。



「君は、世界で一番綺麗な花嫁だよ」



 そこでクレスが見せた笑みに、フィオナの瞳がじわじわと潤んでいく。

 それでもフィオナは決して涙を見せることはなく、クレスに抱きついて、それから微笑みで応えた。


「へへっ、なんだかんだで最高のお披露目になったろ。戦う花嫁、結構じゃねぇか!」

「クーちゃんも成長したわね」

「フィオナー! ドレスなんてこのセリーヌさんがいくらだって作り直してあげるわよ! あ、もちろんお金はもらうけどね!」

「フィオナ先輩……やっぱり、リズのいちばんの目標です!」


 ヴァーンが槍を肩に掛けながら親指を立て、エステルがクールに微笑む。セリーヌも朗らかに笑って、リズリットは感涙しながら拍手をしていた。


 聖女ソフィアが杖を掲げ、先導の声を上げる。


「よぉーし! これにて一件落着! それじゃあ会場へ戻ろうか! ――あ、街の被害はちゃんとこっちで受け持つから安心してね~! むしろお家が壊れちゃった人は新築に出来てラッキーだったと思いましょう! うんうん、天災は仕方ないもんね!」

「人為的な被害もございましたが」

「まぁ、なんのことでしょうか。ともかくわたくしは、街の宝である皆さまがご無事だったことが何よりも嬉しいですわ」


 突き刺さるメイドの発言をお淑やかスマイルの聖女モードでさらりと流すソフィア。

 あんなことがあったにもかかわらず、都の人々はどっと沸いて笑いだし、大聖堂での式と同じくらいに大きな歓声が街を包む。


 そこに――レミウスが幹部たちに肩を借り、足を引きずってやってきた。

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