♯61 大人と子供

 エステルは静かに、そして淑やかに口を開く。


「大変な失礼を申しますが、大司教様はフィオナちゃんのことをよくご存じではないようです」

「……何?」


 訝しげに目を細めるレミウス。

 エステルは一切怯むことなく、クールな瞳で髪を払う。


「一般人の立ち入りが禁じられている聖域区に住む大司教様のお耳には届いていないご様子ですが……彼女は“聖闘祝祭セレブライオ”が終わった後、この聖都に暮らすほぼすべての住人に会っているのです。一軒一軒、家を訪ねては頭を下げ、迷惑をかけたことを謝罪していました。侍祭アコライトの皆さんはご存じでしょう?」


 その発言に、レミウスの皺の入ったまぶたが大きく開かれた。

 幹部たちも同じように驚いて侍祭たちを見ると、位の低い彼らは苦しげに目を伏せる。

 レミウスは「ふん」と小さく息を吐く。


「謙虚なことだが、その行動が罪滅ぼしになるわけではない」

「同意致します。ですが彼女がそのような行動をとったのは、決して自分の罪を赦してもらうためではありません」

「なぜ解る?」

「私はあの子が好きですから」


 柔らかく微笑して、エステルは言った。


「そもそも彼女は、あの魔術を使うと決意したときから罪を赦してもらおうなどと傲慢なことは考えていないでしょう。今もその気持ちは変わっていないはずです。見ていれば、わかりますから」

「……ならば、なぜ彼女はそのようなことを?」


 エステルは、ささやくように断言する。



勇者様好きな人のためです」



 その答えに、レミウスは言葉を失った。


「おわかりになりますか? 彼女にとって勇者様が――クーちゃんがすべてです。自らの命を差し出してもよいと思える相手なのです。クーちゃんを幸せにすることが彼女の夢であり、唯一の救いなのです。だから、たとえ赦されなくても。認めてもらえなくても。誠実に、すべての人に頭を下げたのです。クーちゃんとの生活を見守ってほしいと。ただ、それだけのために」

「ハッハッハッハ! イイ女だよなァあの子はよ! 大司教サマもそう思うだろっ?」


 ヴァーンが不敵に笑い、都民たちも顔を明るくしていく。


 レミウスと、そして幹部たちは大いにうろたえた。

 フィオナの献身的なまでに尽くす姿は、教会が掲げる奉仕の精神に近い。たとえ罪を償うことは出来なくとも、己の罪と実直に向き合うその姿勢は聖職者に否定出来るものではない。

 そして実際に、一般居住区に暮らす位の低い聖職者たちはそんなフィオナの行動を目の前で見てきた。フィオナの想いを知っていた。知っていて、上の者には黙っていた。幹部たちが認めていない存在を、自分たちが認めるわけにはいかない。だから上の指示に従うしかなかった。この宝探しゲームにおいて彼らの士気が総じて低かったのには、そんな葛藤があった。


 ヴァーンが髪を掻き上げて言う。


「ま、年齢だけでいやぁフィオナちゃんはまだガキかもな。けどよ、ガキってのは失敗するもんだろ。何度も後悔しながら成長すんだろ。間違えちまったガキが自分のミスを認めて前に進もうとしてんだぜ? それを支えてやんのが大人オレたちの役目なんじゃねぇのかねぇ」

「…………」

「それによ、人の価値なんてモンは他人が決めることじゃねぇ。自分てめぇで決めるこった」


 レミウスも、幹部たちも何も答えない。だが、特に侍祭たちは大きく動揺していた。


 やがて、レミウスはつぶやく。


「……彼女の人格は理解する。勇者様を救おうとしたその行動、心根は尊いものだ。誇り高き魂の持ち主であろう。だが──」


 その言葉に、少しずつ感情が宿り始める。


「ゆえに彼女は深い傷を負い、今も罪の意識に苛まれているはずだ。それこそが過ちの確固たる証明であろう! にもかかわらず……なぜだ。彼女はなぜ、そこまでのことが出来る……!」


 苦しげな表情で思案するレミウス。その姿に幹部たちが焦燥していた。


 ヴァーンはカラカラと愉しそうに笑いながら頭の後ろで腕を組む。


「ブハハハハッ! ハァ~頭でっかちなヤツは大変だなオイ。なぁ大司教サマよ。アンタ、結婚はしてんのか?」

「……してはいない」

「ならアンタも結婚してみりゃわかんじゃねーか? ま、んなもん子供でもわかる簡単なこったろ。じゃあな~。そんなことよりまだイベントは終わってねぇんだ、テメェら続きやんぞ続き! ついでにマイホームとかゲットしたろ!」


 そのままくるっと背中を向けて、ひらひらと手を振ってから駆け出すヴァーン。

 エステルも、そして都民たちも同様に動き出す。彼らの表情は一様に明るい。


 レミウスがとっさに彼らの背に手を伸ばした。


「待てッ!! なんなのだ、それは、理由とは一体――!」


 するとヴァーンのみが足を止め、顔だけを後ろに向けてニッと笑った。



「──愛だろ?」



 格好つけて二本の指をピッと差し出し、そのまま去って行くヴァーン。

 レミウスは……静かに彼らを見送った。


 都民たちもいなくなったところで、レミウスの部下である幹部らがさらに焦りだす。


「レ、レミウス様! 我々も参りましょう!」

「もっと人を集めます! ともかく今は冠を!」

「レミウス様! ご指示をくだ――」


 部下たちの声が止む。

 静かに黙り込んでいるレミウスの表情を見て、彼らは何も言えなくなった。


 やがて、レミウスが口を開く。


「……ならば彼女の、君たちの覚悟を見せてもらうとしよう」


 レミウスが法衣の懐から杖を取り出し、部下たちがざわつく。


 ──『聖天教杖ディエス・ローナ』。美しく、そして厳かな威光を放つ銀色の聖杖。


 それは初代聖女が作り出した、教会の大司教にのみ扱うことを許された至宝。ソフィアの持つ『綺羅星の聖杖アルス・ルーナ』ほどではないが、強い魔力の宿った聖遺物である。


 レミウスがそれを取り出した意味を、部下たちは理解していた。


「相手が魔術を使うのならば、我々が使うことも問題はなかろう。もはや手段は問えぬ」


 カン、と杖を地面に叩きつけるレミウス。

 瞬時にその老体から白い魔力が溢れ出し、杖の先端にある宝石へと集まっていく。


 そして杖を掲げ、宣言した。


「これより魔術の使用を許可する! 必ず先に冠を見つけ出すのだ!!」


 ビリビリと響くような指示を受けて、部下たちが一斉に街中へと広がっていく。


 一人になったレミウスがつぶやく。



「…………“それ”だけでは、何も救えぬのだ……」



 誰にも聞こえないその声は、聖なる街の空に消えた。

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