♯55 二人のための結婚式

 厳かな雰囲気の大聖堂は静まり返り、シスターたちが裏で準備を進める中、来賓客は今か今かとそのときを待っている。その中にはヴァーンやエステル、セリーヌ、リズリットらの友人たちに加え、ベルッチ家のフィオナの両親、アカデミーの教職らの姿もあった。


 祭壇には聖女の姿があり、その前にクレスが一人、立っている。


「――クーレスくんっ」


 周りには聞こえないよう、顔を近づけてひそひそと話しかけてくる聖女ソフィア。

 クレスが多少驚きながらそちらを見ると、ソフィアが言う。


「今、幸せかな?」

「……え?」

「もちろん幸せだよね。結婚するときは、みんなとっても幸せそうな顔をしてる。でも、中には離れてしまう人たちもいるよね。どうしてだろうって思ってた。お互いに好きだから結婚するはずなのに、なんで悲しいことになるのかな。そういうのって、見たくないよ。だから、わたし本当はこういうことするのあまり好きじゃなかったの。聖女の祝福なんて意味ないじゃん、ってなっちゃうしさ」

「聖女様……」

「クレスくんとフィオナちゃんには、絶対にそうなってほしくないよ。ねぇ、式の前にわたしに誓える? フィオナちゃんと結婚して後悔しないって。二人で幸せになれる自信があるって。わたしに、誓って」


 本来それは、この場には似つかわしくない発言である。

 ましてや、このあと式を執り行う聖女が新郎に向けてするべき問いではないだろう。


 それでも、聖女は真剣なまなざしをしていた。


 彼女に、嘘はつけない。


 だからクレスは、真実を見通す少女に向かって力強く答える。


「――はい。誓います」


 迷いのない回答に、聖女ソフィアは少しだけ目をパチクリとさせた後――可愛らしい笑みを咲かせた。


「んっ、やっぱりイイ男だねっ! わかった。わたし全力で頑張っちゃうからね! 今日はどーんと任せて!」


 聖女のウィンクに、クレスは恭しく礼をして応える。



 そして、ついにそのときがくる。



 パイプオルガンの美しい音色とシスターたちの賛美歌を合図に、たくさんの花びらを敷き詰めたフラワーバージンロードの入り口――大きな扉の左右に魔力灯の淡い光が発生し、来賓客たちがそちらに顔を向ける。


 クレスもまた、扉に目を向けた。


 やがて、白い扉がゆっくりと開いていく。



 光の向こうから――純白のウェディングドレスに身を包むフィオナが現れた。



 花のように可憐で、雪のように清廉に、全員が息を呑むほどに美しい姿だった。


 彼女は傍らの父と腕を組み、一歩ずつ、バージンロードを進んでいく。皆が、拍手と共に優しく見守ってくれていた。


 この花の絨毯は、フィオナが今までに歩んできた道だ。

 リンドブルーム家に生まれた彼女は、魔物に村を襲われて孤児となり、クレスによってベルッチの家に預けられ、養子となり、アカデミーに進学して、魔術師となり、大人になった。


 そして、バージンロードが終わる。


 この先は、まだ何もわからない。決まっていない。

 クレスとフィオナが、二人で新たな道を歩んでいく。


「クレスさん。娘を、どうか――」

「はい」


 フィオナの父から、彼女の手を引き継ぐ。ヴェールに包まれたフィオナの顔は、よく見えない。


 二人は祭壇の前に立つ。

 既に完璧な『聖女』の姿に戻っていたソフィアは、流れるように祝福の言葉を述べていく。二人のためだけに特別な祝言を続け、そして告げる。


「両名は、言葉通り魂のレヴェルで繋がれた運命共同体です。純粋な想いが続く限り、この契りは何者も断つことは叶わず、永遠の愛が約束されるでしょう。神の御前に置いて、嘘偽りは許されません。心してお答えくださいませ」


 聖女の瞳が、二人を映す。


「――クレス・アディエル。貴方は、フィオナ・リンドブルーム・ベルッチを生涯において愛することを神に誓いますか?」


「――はい。誓います」


 先ほどと同じように、真っ直ぐに、クレスは答えた。


 続けて。


「――フィオナ・リンドブルーム・ベルッチ。貴女は、クレス・アディエルを生涯において愛することを誓いますか?」


「…………」


 フィオナの返事が、なかった。

 場内が少しだけざわつく。


 クレスが隣を見る。



 フィオナの足元に――いくつもの雫が落ちていた。



 クレスも、聖女ソフィアも、何も言わずに待つ。


 わかっていたからだ。


 このバージンロードを歩く中で、フィオナが自分の過去を振り返っていたこと。

“ここ”に辿り着くまでに、彼女が抱えてきた想いの深さ。紡がれてきた気持ち。

 すべてが溢れ出し、止められなくなっている。

 そんな顔を、皆に見せるわけにはいかない。だから顔を上げられない。何も言えない。


 それをクレスも、ソフィアも、そして大聖堂にいる全員が正しく理解してくれていた。

 これは、“聖闘祝祭セレブライオ”ですべてをさらけ出したゆえだ。良きこともそうでなかったことも、すべての過去が、フィオナをこの場へと運んでくれた。


 クレスは、ただ静かにフィオナの手を優しく握った。


 すると、フィオナはクレスの手を握り返して応える。


 少しの間を置いて――フィオナは、ようやく顔を上げた。


 聖女が再び問う。


「――フィオナ・リンドブルーム・ベルッチ。貴女は、クレス・アディエルを生涯において愛することを誓いますか?」


「――はい。誓います!」


 その凜とした声に、聖女は小さく微笑む。

 次の瞬間、聖女の持つ聖書が淡く光り、二人の誓いが証明された“言霊”の記録が残る。


「それでは指輪の交換を。そして、誓いのキスを――」


 クレスとフィオナが向かい合う。

 聖女が自ら祈りを込めた結婚指輪を運び、まずはクレスが受け取る。

 それを、ゆっくりとフィオナの左手の薬指に嵌めた。

 続けてフィオナも、指輪をクレスの左手の薬指に嵌める。


 交換が終了し、クレスはそっとフィオナのヴェールを上げた。

 二人の間を遮るものは、もう何もない。


 目が合う。


 フィオナの瞳は少しだけ赤くなっていたが、キラキラと輝く瞳はドレスよりも美しかった。

 自然と、二人の距離が縮まる。


 そして、唇が重なった。


 静かに身を離す。


「皆さま。お二人の誓いを承認していただけますよう、祝福の拍手をお願い致します」


 聖女の言葉によって、会場中に大きな音が響いていく。フィオナの父は号泣し、その背中を母がさすっていた。また、リズリットも堪えきれずにハンカチで顔を覆う。


「行こう、フィオナ。皆が待っている」

「……はいっ!」


 クレスはフィオナの手を取り、そのまま花の絨毯を抜けて大聖堂の外――『シャーレの丘へ。


 そこでは――数え切れないほどの人々が二人を待ってくれていた。


 花びらが舞い、世界がカラフルに染められる。


 世界が、輝いていた。


 すべての人が、二人のためだけに駆けつけてくれている。

 クレスとフィオナのためだけに。


 フィオナは手元のブーケを優しく投げ、一人の女性客が見事にキャッチ。また拍手が起こる。


「クレスさん」

「うん」

「これから、これよりも幸せな時間が待っているんですよね?」

「そうだね」

「えへへ……ちょっとだけ、怖いです」

「俺もだよ」

「でも――」


 フィオナはクレスの方を見上げて、言った。


「とっても、楽しみです!」


 クレスは笑った。


「俺もだよ」


 こうして、二人の挙式は祝福に包まれる中で終了した。


 直後、聖女が大聖堂前で手を挙げて言う。


「はぁーい注目! それじゃあ今から絢爛豪華な披露宴パーティー始めるよぉーーー! とっくべつな一日にしちゃうから、新郎新婦も、来てくれたみんなも、思いきり笑ってってねーーー!!」


 さらに大きな拍手が響き、メイドやシスターたちが慌ただしく動いて、すぐに次のイベントが始まるのだった。

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