第三章 結婚式編
♯51 搾乳デート
“
聖都に訪れていた他国の来客たちは次第に姿を消していき、街は徐々に落ち着きを取り戻していく――のかと思われていたのだが、実際はまったく違った。
「──お、デートかお二人さん! いいねぇ!」
「──クレス様、フィオナちゃん。明日の挙式、楽しみにしてます!」
「──家族総出で行くからなァ! しっかり準備しとけよー!」
街を歩くだけで、以前よりもさらに多くの人々から声を掛けられるクレスとフィオナ。老若男女を問わず、皆が笑顔で接してくれた。
「ありがとう! 明日は宜しく頼むよ!」
「あ、ありがとうございます!」
それぞれに返事をして答えるクレスとフィオナ。
街は未だに祭りのときと同じ飾り付けが行われたままで、騒がしさはあの頃以上だった。
それもそのはず。
なにせ明日は──クレスとフィオナの“結婚式”が行われるためである。
その準備のため、二人は今まで大変に忙しい毎日を送っていた。結婚式とは思った以上に様々な行程があり、あちこちに足を運んでは多くの人々と打ち合わせをした。今日も、最終準備のために聖エスティフォルツァ城の大聖堂で神父やシスターたちと打ち合わせを終え出てきたところである。
というのも聖女の計らいにより、なんと二人のためだけに城の大聖堂を使用することが許可され、聖女直々に式を執り行ってくれるとあって、街中から都民たちが祝福に来ることも決定しているのだ。
世界を救った勇者クレスと、その勇者を救ったフィオナ。
街を挙げての大きな挙式とあって、祭りのときにも負けないほどの熱狂が街を包んでいるのである。
「ク、クレスさん。わたし、もうだいぶ緊張してきてしまいました……。うう、式はまだ明日なのに……まさか、こんなことになってしまうなんて……」
「そうだね。……本当に、皆に感謝しなければならないな」
クレスが顔を上げれば、街中あちこちで皆が手を振ってくれる。クレスは律儀にそれらに応えた。
「――おーい、ご両人! こっちこっち! せっかくだからよってけさ!」
そこである男に手招きをされ、二人はそちらへと歩み寄る。
城の高台。商人以外にも多くのシスターたちの姿もあり、人だかりが出来ていた。多くの人々は何やら手を合わせている。
その中心にいたのは、なんと一頭の乳牛である。
「あっ、ひょっとしてこの牛さんは……!」
すぐに気付いたフィオナに、小太りな牛飼いの男は意気揚々と答える。
「そうさ! 聖女様専用の乳牛――世界に一頭しかいない、神の祝福を受けた『聖牛』さ! つい先日、新しく選ばれたばっかりなんさ~!」
自慢げな牛飼いの太い声に、集まっていた他の街人たちも歓声を上げて拍手する。
聖女のための捧げ物――聖女の口に入るものには、特に厳重な検査が重ねられる。中でも牛は神聖な動物とされており、聖女へと乳を提供出来る牛は神格化され、世界に一頭しか存在しない『聖牛』とされる。その牛から出る乳も『聖乳』として、聖女だけが飲むことを許される。そんな乳を使ったアイスは聖女の大好物の一つだ。
「普段はうちの牧場で大事に大事に育ててるんだけどさ。ご両人のためにって、聖女様からお呼びがかかったんさ。明日の式では、絞った乳を特別に振る舞う予定なんさ~!」
「そ、そうだったんですかっ? 知りませんでした……!」
「あっ。ひょっとしてコレ、言っちゃイカンことだったさ? やべぇやべぇ怒られちまう! 聖女様には内緒にしてほしいさ~~~!」
ヘコヘコ頭を下げる牛飼いの男に周囲から笑いが漏れる。クレスとフィオナも当然初耳であったが、笑って内緒にすることを約束した。
そこで牛飼いの男が何やら思いついたように手を叩く。
「おお、そうだ! せっかくだからご両人もこいつの乳、絞ってみるかい!」
「「え?」」」
「特別だぞ! 内緒にしてくれるお礼さ!」
思わぬ提案に呆然とするクレスとフィオナ。
すぐに周囲からも良い案だという声が上がり、拍手に押されて、もはや断れる状況でもなくなってしまう。そもそも本来は一般人が『聖牛』に触れることは禁じられているため、断るには惜しいありがたい提案なのである。
「フィオナ、いいんじゃないだろうか。聖牛に触れる機会などそうないだろう」
「クレスさん……そ、そうですよね。せっかくのお話ですし……それではありがたく!」
そして、搾乳体験をすることになったのはフィオナ。
そもそも牛の乳を搾ることさえ初めてである彼女は、内心で緊張していた。そもそもずっと街で暮らしてきたフィオナには、このような大動物に触った経験はほとんどない。
「俺は別のところで絞った経験があるが、丁寧に優しく扱えば大丈夫だよ。こう、指で挟んで下へ絞り出すんだ」
「は、はいっ」
クレスからの指示を受けて、気合いを入れるフィオナ。
そこへ牛飼いの男が一言挟む。
「ああそうそう! そいつは当然雌牛だけどな、名前は『クレス』って言うんさ!」
「「え?」」
再び声を揃えて驚くクレスとフィオナ。
「聖女様が直々に名付けてくださったんさ! 理由はよおわからんが、どうしてもってことなんでよ。よかったな勇者様! 同じ名前なんて名誉なことさ!」
「あ、ああ。そうなのか……」
バンバン背中を叩かれるクレス。そうは言われても、といった様子で困惑していた。
なぜ雌牛の名前が自分と同じなのか。聖女は一体何を考えているのか。クレスにはよくわからない。
さらにクレスは思い出す。
「……そういえば、聖女様が式の後で特別なイベントを用意しているから楽しみにと言っていたな……」
明日、何が行われてしまうのか。あの楽しげな聖女の笑顔になぜか一抹の不安を覚えるクレスである。
と、そこでフィオナが表情をキリッと締めた。
「すごい偶然です……こんな光栄な機会はありません! クレスさんの……いえっ、クレスちゃんのおっぱいはわたしが責任を持って絞ります! がんばりますっ!」
「フィ、フィオナ? ずいぶんやる気だね」
「はい! 見ていてくださいクレスさんっ!」
「あ、う、うん」
俄然やる気になったフィオナは、細い指でそっと聖牛の立派な乳房に手を添える。
そして、ゆっくりと搾り始めた。
バケツの中に勢いよく落ちる聖乳に、周囲からまた声が上がる。手を合わせる老人さえいた。それほどにありがたく、普段は絶対に目にすることが出来ないものなのである。
慣れてきたのか、少しずつフィオナの手のスピードが上がり、出る乳の勢いも増していく。
「良い子だね、ありがとうクレスちゃん。わたしが、クレスちゃんのミルクを優しく絞ってあげるね。びゅー、びゅーって、いっぱいいっぱい出してね。びゅー、びゅー」
囁くような優しい声。
そんなフィオナの声に応えるように、聖牛クレスがバケツいっぱいに乳を提供する。
「…………」
無言のクレス。
自分の名前を呼ばれ、ミルクを絞られる。その光景に、クレスはなんだかむずむずするような妙な感覚を覚えていた。
やがて、牛飼いの男の声で乳搾りが終了。初めてにしてはなかなか上出来だと褒められてしまった。
「えへへ、やりましたクレスさんっ。クレスちゃんのミルク、いっぱい出せました!」
「あ、ああ、そうだね。上手かったよ」
満面の笑みを浮かべるフィオナが、なぜだかクレスには妙に色っぽく見える。
そこで牛飼いの男が、乳のたっぷり入ったバケツを手にして言う。
「よし、せっかくだから絞りたても飲んでいくさ! そのままでイケルぜ!」
「え? い、いいんですか?」
「もちろんよ! 明日の式に提供する以上、ご両人に確認してもらいたいところだったしな! 景気づけさ!」
「あ……ありがとうございますっ! それではありがたくいただきますね!」
喜んでコップを受け取るフィオナ。
そのまま、新鮮な聖乳に口をつける。
「……わぁ! まだほんのり温かくて、とっても味が濃くて……甘いですっ! クレスちゃんのミルク、とっても美味しいです!」
「そ、そうか……よかったね、フィオナ」
「はいっ! クレスさんも是非――」
フィオナがクレスにもコップを渡そうとしたとき。
聖牛のクレスちゃんが、突然に後ろ脚を上げてバケツをたたき上げた。
『あっ』
バケツが宙を舞い、その場の全員が同様の反応をする。
そして次の瞬間――バケツの中身がすべてフィオナに浴びせられた。
「…………ふぇ?」
全身を生温かい白濁液に染められたフィオナは、棒立ちになって唖然。
髪先からぽたぽたとミルクがこぼれ落ち、服は下着がうっすらと透けてしまっている。これにはさすがのクレスも慌ててフィオナの身体を隠した。
「だ、大丈夫かいフィオナ!」
「は、はい……わたしは大丈夫です……。あっ、でも、せっかく絞ったクレスちゃんのミルクが……」
残念そうに空のバケツを見下ろすフィオナ。
だが、牛飼いの男は感動したように手を叩いた。
「おお……おおおお! こいつはすごいさ! 神様からの贈り物さ~!」
続けて、シスターを始め、周囲からも同じような言葉が掛けられていく。すぐに拍手の波が広がって、さらに大勢の人が集まってきてしまった。
神聖視される聖牛の行動は、神の御心と同意。
つまり彼らは、聖乳を浴びせるという行為が神からの祝福であると感じたのだ。
結婚し、いずれは子を授かり母になるだろうフィオナにとって、聖乳は最高の祝福というわけである。もはや明日の挙式は成功間違いなし、素晴らしい式になると誰もがテンション上げ上げとなった。
フィオナは、ミルクまみれのままでそんな光景をポカンと眺める。
「え、えっと……クレス、さん? ど、どうしましょう……」
「……と、とりあえず、どこかで着替えようか……」
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