♯50 優勝者

 聖女ソフィアは──『神聖宝セフィロト』の一つである杖を放り投げて両手を広げた。



「ハイ無罪!! ほんっっっっと、よくやってくれました! エラいです!!」



 ソフィアはそのままクレスとフィオナに同時に抱きつき、目を輝かせながら笑った。


「あなたは英雄の命を救ったのよっ! 何も恥じることなんてない!」


「……ふぇ?」


 一体何が起きたのか理解出来ていないフィオナ。思わず呆けた声も出る。

 聖女ソフィアは先ほどの厳しい顔つきとは一転、すっかり年頃の少女のそれに戻っていた。


「わたしなんてさっ、クレスくんが死んじゃって聞いたとき、わんわん泣いて何も出来なかったの。そのあとでクレスくんが突然目を覚まして、聖女の奇跡なんて言われて、わたしずっと心苦しかったわ。なのに……あなたはすごい! 何も出来なかったわたしなんかよりずっとずっとすごいよ! ありがとう! クレスくんを救ってくれて!」

「え、ええっ? あ、あああのっ、せ、聖女様っ?」


 困惑するフィオナの手を取ってぴょんぴょんと跳ねる聖女。その姿には、もちろんフィオナ以外の者たちもポカンと呆けるしかなかった。

 聖女ソフィアはフィオナから身を離し、ぶいっとピースサインをする。


「だいじょうぶい! あなたの罪は聖女わたしが赦します。よって無罪! それから――ごめんなさいっ!」


 するとソフィアは、フィオナに対して大きく頭を下げた。その行為に人々がざわめく。


「あなたがクレスくんの命を奪っているだなんて勘違いして、本当にごめんなさい。わたしがちゃんと自分の力を使いこなせていたらそんな間違いもしなかったのに。そちらの……えっと、ヴァーンさんとエステルさんも、早とちりで迷惑かけて、ごめんなさい!」


 素直な謝罪をしたソフィアは、その後ヴァーンとエステルにも同様のことをした。ヴァーンとエステルはお互いに顔を見合わせて呆然。そして事の成り行きを見守っていた周囲の人々はさらにざわめき出す。

 

 聖女とは、人々を導く“星”。シャーレ教会にとっては“神”そのもの。

 天星たる神が、下界の人間に頭を下げることはありえない。


 ゆえに、その行動にはさすがのメイドも慌てていた。


「ソ、ソフィア様、聖女が頭を下げるなど」

「いーのっ! 間違ったことしたら謝る! 子供でもわかる大切なことでしょ! ほら! 文句がある大人ヤツがいたらこっち来なさい!」


 正装の法衣姿で仁王立ちし、堂々と胸を張ってたくましく大声を上げるソフィア。今まで都民には決して見せなかった姿に、人々は言葉をなくしていた。


 すると、とうとう教会の幹部である聖職者たちが徒党を組んで押しかけてくる。


「げっ、ほんとに来た」


 幹部たちを聖職女シスターらが止めようと動くが、力尽くで弾かれてしまう。

 基本的に教会の幹部職はほとんどが男性であり、彼らは“聖女に対して忠誠を誓うシスター”とは違い、“シャーレ神に忠誠を誓う信仰者”たちである。ゆえに、シスターたちはどんなことがあろうとソフィアを守るが、彼らは違う。中には、ソフィアを教会の掲げる権威――“御旗”に過ぎないのだとする者もいる。


「──ソフィア様。お言葉ですが、その判断は早計でございます。禁忌を犯した者を見過ごすことは出来ませぬ!」


 そう語る『大司教アークビショップ』の年老いた男を中心に、幹部たちはソフィアへ必死の説得を試みる。こんなことはありえないと。長い聖都の歴史に泥を塗ると。聖女としてあるまじき行為だと。理知的に、合理的に、言葉巧みに詰め寄る。


 ソフィアはそれらのすべてを聞いて大きくうなずき、



「うんうん、ハイハイ! わかったわかりました! ――でも却下っ!」



 居丈高に、彼らの意見を堂々とはねのけた。

 さすがの態度に、幹部たちも度肝を抜かれる。


 ソフィアは一度こほん、と咳払いをして気持ちを静める。


 幹部たちが身を引く。


 まばたきする間に、彼女の姿は元の『聖女』に戻っていた。


「──仰るとおり、罪を犯した人間は罰せられるべきです。罪は償うべきものです。それでは――罪とは何でしょうか」


 聖女の星宿す瞳が、幹部たちを刺した。

 傍らのメイドがいつの間にか拾っていた聖杖をソフィアへと手渡す。


「罪を償うのは、その罪によって心を痛めた者がいるため。そして己の心を律するため。ならば、愛する人を救うことは罪ですか? 愛しい人のために命を懸け、世界を敵に回すほどの決意をした清廉なる心の者を裁くことが正しいでしょうか? それで皆が幸せに近づくのですか? 馬鹿馬鹿しいことです。聖女わたしは、そのような罪を認めない。此所に罪を犯した者などおりません」


 聖女の宣言は、有無を言わさぬほどの迫力があった。人々の心を強く動かす発言力があった。

 先ほどのように、子供っぽい女の子の様ではない。

 魔力がこもったプリズムヘアが広がり、神の威光を宿したかのようなその美しい瞳と高らかな声に、凜然とした高貴なる姿に、誰も言葉を返せない。


 聖女は静かに語る。


「……昔、お母様がよく話してくださいました。この聖都が生まれ、教会が生まれ、聖女が生まれたのは、すべての人々を救うためだと。罪を赦し、人を生かすためなのだと。わたくしたちは、皆を幸せにするためにここにいるのです。魔術に“禁忌”が生まれたのは、それが人を不幸にすると考えられたからです。あなた方には──このお二人が不幸に見えますか?」


 皆の視線が──クレスのフィオナの方へと向く。


 二人の手は、固く結ばれて離れない。


 聖女の言い分は決して十全なものではない。感情が入り込み、隙もあったはずだった。それでも幹部たちは声を失っていた。圧倒的な“威光”の前に人はひれ伏す。


 聖女は声を強める。


「──ならば、わたくしたちは彼らを守るべきなのです。悩める者を救済する。教会はそのためにある。初代聖女ミレーニア様ならばきっとこうするはずです。私はそう信じています!」


 臆することなく語る聖女の姿に、寄り添うメイドがほんのわずかに口角を上げた。


「これでもまだ納得が出来ないと言うのならば! …………言うのならば…………えーっと…………あーもう! そのときはまたなんか言い訳考えるから許してください! わたしどうしても二人を守りたいのっ! お願いします!」


 なんと、ソフィアは幹部たちにも深々と頭を下げてしまった。しかも、堂々と『言い訳』宣言をする始末。

 聖都の、教会のトップである聖女が──神の化身である彼女が下々の人間に何度も頭を下げるなどありえない。あってはならない。ゆえに幹部たちは大いに困惑した。


 そしてもう、何も言えなくなってしまう。


 この反応に、ソフィアはようやく満足げに笑った。


「……みんなありがとうっ! よし、それじゃあこれにて問題解決! じゃあ決勝の続き始めよう! ほらほらみんな! 応援してよー! せっかくのお祭り、最後まで盛り上がっていくぞー! おー!」

 

 右手を挙げて観客を煽る聖女。

 途中から“理想の聖女像”を完璧に忘れ――放棄してしまった彼女だったが、人々はこれに大歓声で答えた。

 もう、異を唱える者はいない。むしろ、今までよりも聖女へ対する信仰がさらに強まっていった。


 ──そこで突然、ヴァーンが槍を放り投げて後ろに倒れる。


「……グワァーーーーッ!! い、今までのダメージが一気に襲ってきやがった! チクショウ、もう立ち上がれねぇ! オレの負けだぜクソッタレ! エステル助けてくれーーーー!」


 あまりにわざとらしい演技ぶりに、一瞬だけ場内の空気が止まる。

 だが、すぐにドッと歓声が沸いた。

 エステルが「バカ……」と額に手を当てて呆れ、セリーヌとリズリットが手を取り合って喜び合う。そしてキッチリと空気を読んだ審判がヴァーンの降参を受け入れ、その場でクレスの勝利を宣言し、さらなる大歓声で場内が包まれた。



「…………え?」



 この現実に誰よりも困惑していたのは、おそらくこうしてつぶやくしかないフィオナだった。


 隣のクレスが、フィオナの前髪を流して彼女と目を合わせる。


「フィオナ」

「ク、クレス、さん……」

「もう、俺にも君にも、隠すことは何もないな。そして、皆に隠すようなこともない」

「で、でも、わたしは……」

「いいんだ」


 クレスは、優しく笑う。


「いいんだ、フィオナ」


 フィオナが、潤んだ瞳でクレスを見上げた。


「…………わたしを……赦して、くれるんですか?」


「ああ」


「わたしは……赦して、もらえるんですか?」


「ああ」


「わたしは…………まだ、あなたのそばに、いても、いいんですか……?」


 震える声と共に、フィオナの瞳からぽろぽろと涙がこぼれた。

 クレスは、そっと彼女を抱きしめることで応える。

 そして、ささやいた。


「約束通り、式を挙げよう。結婚しよう、フィオナ。俺が君を守る。幸せにする。ずっと、そばにいてくれ」


 歓声が起きた。


 誰もがその先を予測出来たハッピーエンドの展開で、フィオナは顔を上げて言う。



「──いいえ。ダメ、です!」



 まさかのお断りに、クレス以外の全員が仰天する。


 フィオナは、涙で顔をくしゃくしゃにしながら笑っていた。



「だって……わたしがあなたを守りたいから。わたしがあなたを幸せにしたいから! クレスさん。わたしを、あなたのお嫁さんにしてください。ずっと、いつまでも、あなただけを愛しています──!」



 彼女らしい答えに、クレスは笑みをこぼしてうなずく。



 こうして誓い合う二人を大勢の人々が見守る中で、“聖闘祝祭セレブライオ”は幕を閉じた――。

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