♯48 魂を繋ぐということ

 フィオナの告白で“すべて”に気づけたのは、魔術に深く精通した者のみ。

 ゆえに、クレスの周囲では聖女ソフィアとエステルだけが固まってしまうほど愕然としていた。


 二人のうち、先に声を出したのはエステルだった。


「…………そう。そういうこと、だったのね。そう…………ふふ」


 エステルは、どこか嬉しそうに頬を緩ませた。

 クレスやヴァーンたちにはその理由がわからない。だから一同はなお混乱していく。


 聖女ソフィアが、よろよろと足を前に踏み出した。


「……【結魂式メル・アニムス】? そんな……まさか、その魔術は、だって……!」


 ふらつく聖女を、メイドが慌てて支える。


「ソフィア様、どうぞ気をお確かに。一体、何が……」


 うろたえるメイドに答えるように、ソフィアは語る。


「……【結魂式】は、禁忌の秘術。術者と相手との魂を繋げる魔術……命を等価に分け合い、生命を操る、『誓いの魔術』……」

「……魂を繋げる、ですか?」


 意味を理解出来ないのか、言葉をそのまま返すメイド。聖女ソフィアは幼い頃からアカデミーの講師らによって英才教育を受けており、かつソフィア自身が魔術に才のある人間であったため、“そのこと”を知っていた。


 エステルが静かに前へ出て話を受け継ぐ。


「聖女様のお言葉通り、二人の魂を一つにするのよ。融和した命を平等に分け合って生きていく魔術」

「ハァ? いや、そんなことして何になんだよ? フィオナちゃんは何のためにクレスにんなことしたんだ!?」


 立ち上がっていたヴァーンが困惑したように尋ねる。

 エステルは続けた。


「人には寿命がある。寿命は目には見えない。けれど、たった一つだけ自身の寿命がわかる瞬間があるわ。クーちゃん、それがいつかわかる?」

「……いや」

「人が死ぬ瞬間よ」


 その一言に、クレスの目が大きく見開かれる。


「クーちゃん。あなたはきっと、一度本当に死に至った。いえ、命の火が消える寸前まで行ったのね」

「……俺は、死んでいた?」

「そう。そして、フィオナちゃんがそれを救った」


 エステルが優しい瞳でフィオナの方を見る。

 だがフィオナは何も答えられず、ただクレスに寄り添っていた。


「魔術の世界では、プシュケーは死後もしばらくの間は肉体と――そして精神に留まるとされる。たとえ肉体が一時的に死しても、精神さえ生きていれば蘇ることが出来ると言われているわ。おそらく聖都に運ばれてきたとき、クーちゃんの肉体は死を迎えていた。そして、それを知ったフィオナちゃんはたとえ禁忌を犯しても貴方の魂を取り戻そうとした。それしか方法はなかったのでしょう。その結果、クーちゃんとフィオナちゃんの魂は繋がり、一つに交わって、クーちゃんは蘇った。合っているかしら、フィオナちゃん」


 エステルの言葉に、フィオナはしばらく黙っていたが……やがて小さくうなずいた。


 そこでセリーヌとリズリットが割り込む。


「ねぇ……ちょっと待ってよ。あたしもそれ聞いたことある! その禁忌魔術ってさ、命を一つにするんでしょ? 等価にするんでしょっ!? じゃあ、寿命だって一つになるわけじゃない? けど、彼は……!」

「グレイスさんの……クレスさんの命は、もう………………それじゃあ、フィ、フィオナ先輩の寿命は…………?」


 二人は恐ろしい事実に気付いていた。


 フィオナは、何も言わない。


 代わりに、エステルが目を閉じて応える。



「そのとき、クーちゃんの寿命は限りなくゼロだったでしょう。だから、禁忌魔術を行使したフィオナちゃんは、実質的に自分の命を半分クーちゃんに差し出したのよ」


『――!』



 それでようやく皆が理解した。


 フィオナが、自らの命を使ってクレスを救ったこと。

 例え、己の寿命が半分になってしまうとしても。


 セリーヌとリズリットが、声を震わせて言う。


「嘘でしょ……フィオナ、あんたもしかして! アカデミーで、あんなに頑張ってたのって……!」

「フィオナ先輩…………だから、だから、あ、あんなに早く、卒業、しようと……」


 先輩と後輩の言葉に、フィオナは何も答えない。


 クレスにも、ようやく意味がわかった。



「……フィオナ。君は……君は…………」



 寿命の半分をクレスに与えたことで、フィオナの死期は確実に早まった。


 それがいつ訪れるのかはわからない。


 そんな恐怖の中で、フィオナはずっと前に進み続けた。


 少しでも早く、クレスの隣に立つために。


 学んだ力で、クレスを守るために。


 生き急ぐように魔術にのめり込んで、知恵を得て、強くなろうとした。


 卒業後に、息を切らしてクレスの元へやって来た。


 お嫁さんにしてほしいと懇願した。


 今が一番楽しいと言った。


 クレスの隣にいるだけの時間を、幸せだと笑った。


 結婚の約束をしたとき、綺麗な涙を見せた。



 彼女が、今までどんな気持ちでいたのか――。



「…………君は、俺のために、そこまで…………!」



 衝撃の事実を知って、クレスは悔しげに拳を握る。

 何を知らなかった自分に腹が立った。

 少しばかり心が近づいたような勘違いをして、彼女の苦悩を知らずにいた。自分の愚かさが憎らしくなる。


「すまない、フィオナ。俺は何も知らずに、ずっと、君に甘えて……!」


「――違うんですっ!!」


 フィオナが声を張り上げる。


 クレスの胸元に飛び込んで、顔を上げた。

 その瞳は、涙で濡れている。


「わたし、わたしは……勝手に、クレスさんの命を操りました。自分のわがままで、クレスさんに禁忌の魔術をかけてしまいました! きっとクレスさんならこんなこと望まないって、そうわかっていても、使ったんです。わがままで、あなたの命を操ったんです! クレスさんが守ってくれたこの命を、勝手に、無責任に、使ったんです!」

「フィオナ……」

「わたしはどうなってもよかったんです! だけど、だけどクレスさんが……勇者様が禁忌で蘇ったなんて知られたら…………こんなことを知られたら……もう…………だから、だから、どれだけクレスさんのことを愛していても、このことだけは、言えませんでした。言うべきではなかったんですっ!」


 フィオナの双眸から、大粒の涙が零れ落ちる。

 同じように、胸に秘めていた言葉がすべて溢れ落ちた。


「ごめんなさい、ごめんなさい。わかってます……こんなことをしたわたしは、もう、クレスさんの隣には……。でも、でも……それでよかった。生まれ変わっても、わたしはきっと同じことをする。だって、それでも、わたしは…………あなたに、ただ、生きていて、ほしかったん、です…………」


 とめどない涙をこぼし、顔をくしゃくしゃにしながら、フィオナは泣いた。


 どんな理由があろうと、彼女は禁忌に手を出した。

 誰にも明かせない秘密。

 フィオナはその罪を独り抱えたまま、寿命が尽きるそのときまで、クレスの隣で笑い続けていようとした。


 だが、暴かれてしまった。

 聖女の前で明かされた真実に、嘘偽りはない。


 だからフィオナは泣いた。

 何度も謝りながら嗚咽した。


 幸せがこぼれ落ちる。

 甘い夢の時間は終わった。

 すべてを失うことを覚悟した。

 そのときが来てしまったのだとわかった。


 もう、聖女たちも何も言わない。


 今の彼女に声を掛けられるのは、ただ一人しかいなかった。



「……フィオナ」



 クレスが、その名を呼ぶ。

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