♯47 赦されなくていい

 ――クレスが魔王を討伐し、物言わぬ状態で聖都へと戻ってきたその日。

 

 まだ学生だったフィオナは、正式に『聖究魔術学院アカデミー』の卒業試験を受ける資格を得たことで史上最速の卒業生になるのだろうと、学院はもちろん街中でも噂になっていた。


 賑わう聖都を歩きながら、リズリットが少々うわずった声を上げる。


『フィオナ先輩! お、おめでとうございます! すごいです! フィオナ先輩ならぜったいに卒業試験も合格できます!』

『ありがとうリズリット。でも、それはまだ来年の話だから。それまでは、もうしばらく付き合ってくれるかな?』

『は、はいっ!』


 その頃のフィオナは、卒業生のセリーヌによる紹介で新入生のリズリットを預かっていたところであり、後輩指導のカリキュラムをこなしたことで卒業試験の資格を得たのである。

 フィオナがこのカリキュラムになかなか手をつけなかったのは、自分に後輩を指導出来るほどの力量があるとは思っていなかったためだ。そして学院の中でそういう人間関係を構築してこなかった、というのも大きい。セリーヌがリズリットを紹介したのは、そんなフィオナのことを思っての行動でもある。

 またリズリットも控えめな性格であったため、初めの頃は二人はまともに会話も出来ずにいた。それがセリーヌの介入もあって徐々に関係が深まり、数ヶ月経った頃にはしっかりとした先輩・後輩の関係が出来上がっていたのである。フィオナはリズリットを可愛がり、リズリットもまたフィオナを大変に尊敬していた。


 そんなフィオナはアカデミーの生徒でありながら、既に魔術師としての仕事を始めていたため、リズリットと共に街へ出ることもあった。


『あのっ、フィオナ先輩。きょ、今日もすみませんでしたっ。リズ、ほとんど役に立たなくて……』

『ふふ、そんなことないよ。リズリットがいてくれてすごくやりやすかったから。それに、依頼者の人も喜んでくれてたでしょ?』

『フィオナ先輩……』

『ほら、学院に戻ろう?』

『……は、はいっ!』


 その日も、二人は仕事でアカデミーから聖教会の本部に向かっていたところだった。

 

 街中で、リズリットはずっとフィオナの後を付いて歩いていた。まるで、親とはぐれないように必死な水鳥のヒナのようである。


 フィオナの背中を見つめる瞳には、憧れと、少しの切なさがこもる。

 小さな手を伸ばしかけるが、すぐに引っ込めてしまう。

  

『…………フィオナ先輩……きっと、来年には、もう…………』

『――あっ』

『ひゃっ!?』


 突然フィオナが足を止めたため、そのままフィオナの背中に顔からぶつかるリズリット。フィオナが慌てて後ろを向くと、リズリットは鼻をさすっていた。


『ご、ごめんなさいリズリットっ。大丈夫?』

『は、はひ……。あの、ど、どうかひましたか?』


 リズリットがちょっぴりもごもごした声で尋ねると、フィオナは道ばたの小さな露店を示す。


『リズリット、アイスクリームは好きだったよね?』

『え?』

『時間にも余裕があるから、少し、休憩していこっか?』

 

 その発言に、リズリットはわかりやすく顔を輝かせる。



 二人がやってきたのは、聖女の住む城のすぐ近く。シャーレの丘。

 高台のベンチは景観が良く、穏やかな日差しが心地良い。アカデミーの塔もよく見えるそんな場所で、二人はカップに入ったミルクのアイスクリームをスプーンで頬張っていた。


『~~~っ! これっ、すっごくおいしいです! フィオナ先輩!』

『ふふ、それなら良かった』

『ご、ごちそうになってしまってすみません。いつかこのお返しも!』

『うぅん。それはリズリットの後輩にしてあげて。あなたが立派な魔術師になってくれることが、わたしは一番嬉しいな』

『フィオナ先輩…………は、はい!』


 そのまま和やかにアイスを食べ進める二人。

 聖都では、聖女のための捧げ物として各地からたくさんの物資が入ってくるが、中でも聖女が好む甘味――スイーツの類いは質が高い。そのため、聖都でも自然とスイーツ関係の店が増え、聖都周辺では牧場なども多く運営されている。新鮮なミルクを使ったこのアイスクリームは、特に人気の一品だ。


『……あの、フィオナ先輩』

『なぁに? あ、おかわり食べるかな?』

『い、いえ! ち、ちがくって……あの、ど、どうして、リズなんかと、こんな……』


 突然の質問に、フィオナは目をパチクリさせて呆然とした。

 その反応にリズリットはあたふたする。


『ご、ごごごめんなさいです! 急に、へ、へんなこといってしまって……』

『……ふふっ、うぅん。あのね、リズリットともう少し話がしたくて』

『え? リ、リズと、ですか?』

『うん。ようやく卒業試験を受けられるって思ったら、いろいろと思い出しちゃったの。それでね、リズリットとはあまり話をしていなかったかなって思って。だから、少し二人の時間をとりたいなって思ったの』

『二人の時間……』


 ぽーっと呆けた顔をするリズリット。

 この頃のフィオナは、必要以上に誰かと関わることが少なかった。それはセリーヌやリズリット相手でも例外はなく、だからこそ、リズリットはこうして二人で話をする機会を持てたことが嬉しかったようだった。


『……あの。フィオナ先輩は、卒業したら、どうするんですか?』

『え?』

『せ、先輩はとってもすごい人だから、きっと、とってもすごいところにいくんですよね! リズ、おうえんしてま――ひゃあ!?』


 キラキラと目を輝かせるリズリットだが、スプーンから溶けたアイスが制服のスカートに落ちてびくぅっと立ち上がる。

 目を点にするフィオナの前でリズリットは赤面し、慌ててスカートを拭こうとするが逆に汚れが広がってしまう。

 小さく微笑んだフィオナは、軽く濡らしてきたハンカチで代わりにリズリットのスカートを丁寧に拭く。リズリットはあまりの申し訳なさにか、真っ赤になって震えていた。


『あうう…………ご、ごめんなさい……フィオナ先輩……』

『大丈夫だよ。それでね、わたしが卒業後にどうするかなんだけれど……』

『あ、は、はい!』


 質問の続き。

 フィオナは、トントンと指先でスカートを叩きながら話す。


『わたしね、ある人に会いにいきたいんだ』

『……ある人、ですか?』

『うん。大切な人。卒業したら、その人に会いに行こうと思うの。会えるかどうかもわからないし、それからどうなるかはわからないけど……それが、わたしの目標だったから』

『もくひょう……』


 まだ幼いリズリットには、よくわからない話だった。フィオナならどこに行っても大活躍をして、立派な大魔術師になるのだと信じて疑わなかったからだ。実際、フィオナにはそれだけの実力があり、実績もあった。名門ベルッチの家柄もあり、各方面からのスカウトも多くあったのである。


 だが、フィオナは初めから自分の進むべき道を決めていた。リズリットには、そう思えていた。


『……フィオナ先輩は、その人のために、アカデミーに入ったのですか……?』


 リズリットの問いに、フィオナは笑顔だけで応えた。

 その笑顔に、リズリットは見惚れた。

 それくらいフィオナが素直に、そして優しく、美しい笑みを見せたからだ。

 

 そのときである。




『――早く道を――――聖女様――――ソフィア様をお呼び――――治療を――――!』




 聖女に仕えるシスターたちと、そして騎士団員たちがゾロゾロと城の方へ押しかけていく姿が見えた。途切れ途切れに聞こえる慌てた声と、必死な表情。悲鳴すら上がっている。

 そんな彼ら彼女らの様子から、何か非常事態が起きたのだと察して立ち上がるフィオナ。周囲にいた人々も、何事かとそちらを見ている。


『フィ、フィオナ先輩。何かあったんでしょうか……?』

『わからないけど……大丈夫だよ。落ち着いて』


 怯えてくっつくリズリットを安堵させるフィオナ。


 やがて、フィオナの耳にある言葉が届く。



『急いで――――――“勇者様”が――――――このままでは――――!』



 それを聞いた瞬間に、フィオナはその場から駆けだしていた。

 突然のことに、リズリットはついていけない。

 

 フィオナはシスターと騎士団員たちの間に割って入る。


 そして――担架で運ばれるその人物を、見た。


 瞬間に、呼吸を忘れる。



『もう勇者様の心臓は止まっています! 急いで聖女様の元へ! どいてください!』



 シスターたちが声を張って目を前を通り過ぎていく。そうして一行は聖城の中へと入っていった。


 フィオナの足から力が抜け、その場に崩れおちる。



『………………うそ』



 その瞳は焦点があっておらず、うつろだった。


『フィ、フィオナ先輩っ。急にどうしたんですか? な、なにがあってっ……先輩? 先輩っ!』


 遅れて駆けつけるリズリット。


 フィオナは、何も応えられない。

 聞こえていなかった。


 一目見ただけでわかった。

 

 彼が、誰なのか。

 どういう状態なのか。


 だから、現実が受け入れられなかった。




『…………クレス、さん……』




 涙も出ないくらいに、絶望的な暗闇がフィオナの全身を支配していた。



◇◆◇◆◇◆◇



 ――その夜。

 アカデミーの寮に戻ってきたフィオナは、一人、遅くまで研究室の魔導書を手当たり次第に読みあさっていた。中にはここにしか置かれていない貴重な魔導書も多くある。


 どれでもいい。 

 現実を否定出来るのならなんでもいい。

 その思いで次々に本を開く。だが、都合の良い魔術はない。


 やがて、フィオナは数百の本に囲まれて座り込む。


 胸を空白で塗りつぶすような現実が押し寄せてきた。


 人の命は戻らない。

 そんなことがありえるとすれば、それは神だけに赦された神秘の術。



 フィオナは決意した。



『……ごめんなさい…………』

 


 投げ捨てたすべての魔導書を見下ろす。


 わかっていた。


 ここに、望むものはない。

 だから、生み出すしかない。


 それが不完全なものでもいい。

 人の手に余るものでもいい。


 まだ間に合うはずだった。

 魂が身体に残っているうちに、実行しなくてはならない。



 たとえ――それで罪人になっても。



『……赦されなくていい』



 フィオナは立ち上がる。

 強い意志の宿った瞳は、前だけを見ていた。


  

『わたしはどうなろうと構いません。だから……だから神様。どうか、あの人だけは、絶対に――!』



 フィオナは、部屋を飛び出す。




 ――翌朝。


 聖都に凱旋した『勇者クレス』が目覚めたという大ニュースは、街中を駆けめぐった――。

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